所用で松本に行ってきた。
松本へ行くのは4年ぶりではないか!と思ったが、うーむ思い出せない。

往路はもちろん中央本線特急スーパーあずさ・・・で行きたいところだが、ちょっとでも安く済ませたいがために
普通電車で行く事に相成った。もちろん切符は学割を適応させて2割引にした。

JR八王子駅午前6時30分発、JR松本駅午前10時17分着。
4時間近い乗車時間である。
八王子駅から乗車後、朝早く家を出たこともあって眠っており、甲府駅を過ぎた辺りで起きてた。
下諏訪、岡谷あたりまでは快適に乗れていたが、だんだん終点に近づくにつれて気が緩んだのか
電車に乗っていること自体、苦痛になってきた。普通列車のシートは硬いので背中がなんだか痛くなってくる。

そして終点松本駅に到着。フラフラな状態で撮影。↑
高校時代は毎日乗っていた通称「青電」。さすがに八王子から松本までぶっ続けで乗ると辛い。

所用の待ち合わせの時間まで空きがあったので、松本の駅前を散策しながら松本城に向かった。
しかし、散策するも数日前に北海道から実家に帰ってきたばかりの身には、盆地特有のジリジリくる
暑さには辛かった。なんか辛いことばっかり。フラフラ歩きながら過去の記憶を頼りに松本城へ。


はい!もう着いちゃいました。松本城です。国宝及び史跡指定を受けている建築物です。
松本城の入園料は520円。隣接する松本市立博物館との共通券なのでお買い得ですね。


城の起こりは永正元年(1504年)、古来から北陸道、中仙道、越後路に通じる交通の要地として重要視され、
平安時代には国府が置かれ、鎌倉、室町時代を通じ豪族の松本、坂西(ばんざい)氏なのどの居城があったところに、
小笠原貞朝の臣島立右近貞永が入り、「深志城」と称し城を起こした。
天文19年(1550)小笠原長時のとき、安曇(あずみ)、筑摩(ちくま)の諸豪と連合し、武田信玄と戦い、大敗して逃亡した。
天正10年(1582)、越後の上杉、飛騨の竹中氏の備えとして武田信玄の城になっていたが、勝頼の代になり武田家が滅びると
織田の城代が置かれていたが、本能寺に信長が倒れると上杉景勝が城を占拠したが、つねづね復帰を考えていた小笠原貞慶に
攻められ撤退。貞慶は貞時の第3子。深志城は松本城と名前を改めた。 その後、石川和数正、小笠原、戸田、松平、堀田、水野とう
めまぐるしく城主が変わり明治維新を迎えた。
現在の城は石川数正と光長父子が築いたものである。


天守は5重6階の大天守を中心に乾小天守を渡櫓で連結し巽小天守と月見櫓(写真右側)を複合した「連結複合式」と
呼ばれる構成で、独立天守のの多い当時のものとしては珍しい形式だ。

柄でもなくお城の解説なんかしたら疲れてしまった。(本当は解説本丸写し。)

当日はお日柄も良くー、お盆休み中ということもあり城内は混雑しており天守閣に上るのは30分待ちという有様であったので、
ちょこっと城の中を覗き、あとは城の周りの庭園で散歩した。

その後、松本市立博物館に入館。松本の旧石器時代から現代に至るまでの図表、遺物、模型、写真などが展示されてました。
そろそろ待ち合わせの時間になるので駅に向かった。


途中にお城風の交番があった。


さぁー、なんでしょう。蛙の二宮金次郎?


おしまい