山寺へ行く


AirShow放浪記に書いた通り、松島航空祭は大地震により中止だった。 (その経緯はこちら

しかし、青春18きっぷを使い、わざわざ宮城県まで来て、ただ帰るだけではつまらん!!!
根が貧乏性なので、どこかを観光して帰らないと気が済まなかったので、思いつきで山形県は山寺へと行って参りました。

なんで山寺に行く気になったのかと言うと、この歌の歌詞を思い出したから。ただそれだけ。

1泊した多賀城のホテルを9時20分頃に出て、9時30分頃にあおば通り行きの仙石線に乗った。
乗る際、改札に駅員が居らず、呼んでも出てこず、ちょっと待っているうちに、ホームに列車が
来てしまったので切符に判を押してもらわずにホームに侵入。このときは「降りる駅で判を 押してもらえばイイや。」と思っていた。

仙台駅に9時50分ぐらいに到着。ここで10時7分発の仙山線、特快・山形行きに乗換え。
定刻通り仙台駅を出発し、列車は単線の線路をゴトゴトと山形へ向かった。
車窓がだんだん ビルや住宅の多い地区から、畑・田んぼの多い地区へ移り変わり、
20分もすると鬱蒼とした 山の中に変わっていくのが面白かった。

途中、車掌さんが検札に来たので切符を見せたら「????」な顔をされた。
今日の日付の判が押してなかったからだ。


車掌さんに切符を渡すよう促されたので、切符を預けたら上記のように書かれた。
山形運輸区伊藤車掌の生サインだっ。


仙台から50分で山寺駅に到着。とても小ぢんまりとした駅です。


さてさて、駅から山門へと向かいますが、目の前には山寺の一部が見えます。
あんな崖の上まで登っていけるのか心配になってきた。
駅の時刻表には「山寺散策の所要時間は約2時間です。」と書いてあったので、
この記述を信じ遅くとも15時03分の仙台行き列車に乗ることにした。


面百山(1264m)の水を集めて流れる紅葉川に架かる橋を渡る。


一休さん?


はい。山寺に到着です。正式には「宝珠山立石寺」と言い、比叡山延暦寺の別院であり、
東北を代表する霊場の1つなんだそうです。
この大きな建物は、国指定重要文化財となっている根本中堂。



招福布袋尊(しょうふくほていそん)
悪いところを触って拝むと直ると言われていて皆が触る。
つい、お腹をいっぱい触ってしまった。後頭部を触っておくべきだったか・・・。


立石寺山門です。拝観料300円を払って入ります。


山門を通り抜けると目の前に看板が・・・。
なになに?「石段を1段2段と登ることにより私達の煩悩が消滅する・・・」

ありがたいなぁぁ。


急な階段をどんどん登って行きます。
この日の気温は23℃前後で涼しかったにもかかわらず汗が吹き出てきました。
普段の運動不足を露呈してしまった。


山門から登ること約10分。せみ塚に到着です。

松尾芭蕉の「おくのほそ道」の紀行文に、
『 山形領に立石寺(りふしゃくじ)といふ山寺あり。慈覚(じかく)大師
の開基にして、殊に清閑の地なり。一見すべきよし、人々の勧むるに
よりて、尾花沢よりとって返し、その間七里ばかりなり。日いまだ暮れず。
麓の坊に宿借り置きて、山上の堂に登る。岩に巌(いはほ)を重ねて
山とし、松柏(しょうはく)年旧(としふ)り、土石老いて苔滑らかに、
岩上(がんじょう)の院々扉を閉ぢて物の音聞こえず。岸を巡り、
岩を這ひて、仏閣を拝し、佳景寂莫(かけいじゃくまく)として
心澄みゆくのみおぼゆ。

閑かさや岩にしみ入る蝉の声----

芭蕉翁の句をしたためた短冊をこの地に埋めて、
石の塚を立てたもので、せみ塚といわれている。

という、説明板が立っていた。せみ塚の手前に茶屋がありましたが、
ここでは休憩せずに階段を登りました。


せみ塚から登ること約5分、仁王門に到着。
門の両脇には仁王尊像があり、邪心を持つものは登ってはいけないと、
睨みつけているそうです。って、ことは俗人な俺殿は通れないのか!?と思ったけど、
無事通る事ができました。


向かって右の建物が開山堂。立石寺を開いた慈覚大師(じかくたいし)のお堂で
大師の尊像が安置してある。左の岩の上にある建物は、写経を納める納経堂で
山内で最も古い建物である。


開山堂から更に奥へ進むと は五大堂と言う、天下泰平を祈る道場がある。山寺随一のパノラマが広がる。


五大堂からこのような絶景が眺望できる。


絶景をもういっちょ!


はい!次ね〜ヽ(´∀`)ノ