読み週記 7月

 

第4週(7/28〜8/3)

 最近日々が過ぎていくのがすごく早いような気がする。月日を感じさせる作業(例えばこのページの更新とか)があるとそう感じやすいのかもしれない。ついこの間読み週記の7月を始めたばかりなのに、もう8月になっていた。時間の経過をいちいちのんびりと感じられないほど、日々が充実しているのかも知れない。日々の過ぎ行く様を感じ取れないほど、日々にゆとりがないのかもしれない。そういえば、溜まっていた未読の本がいつのまにかずいぶん減っているようにも思う。一体その一つ一つがどういうことなのか。それがわかるほど、日常を対象化できていない。

 息を付かせぬ展開のサスペンス小説にはこの1、2年、少し飽きてきている、と思っていたのに買ってしまったジョナサン・ナソー『監禁治療』(ハヤカワ文庫)は、精神科医が解離性同一性障害(「多重人格」と一般には認知されてるやつね)の殺人鬼に監禁された状態で治療に挑む、という裏表紙にあるあらすじに惹かれた。序盤、やはりありがちというか、ハリスのハンニバル博士のシリーズにも似た、サイコパスっぽい犯人を描いたを追うFBI捜査官、犯人、そして主人公の女性精神科医、というわかりやすい設定に少し興ざめ。大筋としては一般的なサイコサスペンスの枠を出ない展開と言えるかも知れないが、解離性同一性障害をテーマに据えて、非日常的な状況でその治療に挑むことになる精神科医の様々な葛藤が描かれるあたりは、なかなか良くできているように思う。都合良く語られている部分がないではないけど、解離性同一性障害の「システム」としての説明の仕方も面白い。こんなにわかりやすかったらいいだろうなぁ、と思わなくもないけど。

 そういえば久しく池袋本屋巡りをしていない。amazonで手軽に本を入手したり、そのエネルギーや時間やお金がなかったり、というのも理由だけど、久しぶりにあの楽しさを味わってみたいと思う。未読の本が一杯あるのは大変だなぁ、と思うけど、それがないのはそれはそれで寂しい。本を読み終わって、「さて次なに読むか」と考えたときに選択肢が少ないと、ちょっと損をした気分になる。

 

第3週(7/21〜7/27)

 またもや予告無しだけど、月曜祝日のため先週はお休み。一月くらい前に、過去の読み週記を全部テキストに落として振り返って気づいたんだけど、「休みの週は更新しない」って決めたのはいいけど、その週に読んだ本を書かないと、読んだ本の記録としては意味がない。元々は読んだ本の記録を取るために始めてるんだから、更新の縛りのせいでそれがかなわないんじゃしょうがない。
 ということで、更新お休み中に読んだのは神林長平『グッドラック・戦闘妖精雪風』(ハヤカワ文庫)。その前に読んだ<雪風シリーズ>の続編でした。<敵は海賊シリーズ>と、神林長平の追い続けるテーマのなかでは、ある意味対になるようなシリーズ。どっちも面白いけど、理屈っぽさで<敵は海賊>の方が個人的には好みかな。実は<雪風>の方が人間くさい。

 というわけで今週の本番。佐藤和歌子『間取りの手帖』(リトル・モア)は、朝日の書評で見つけた職場の人が持ってきてて、職場でブレイクした一冊。みんな借りたりして読んだのに、欲しがる人が続出したかどうかは定かではないけど、少なくとも俺は所望してしまった一人。ところが近所の書店には姿も見えず、amazonでも品切れ。なんてことだ、と思っていたら、俺が紹介した別の人が購入していて、「別の本一冊と交換してあげる」と言う契約でようやく譲り受けた。おっと、早くお礼の本を選ばなきゃ。
 紆余曲折を経て入手したこれは、「マドリスト」と自称する現役学生の著者が見つけたおもしろ間取りを、一言のつっこみと共に99件紹介している。間取りそのものの面白さももちろん、つっこみがまたなかなか利いている。 読書、というより、枕元とか鞄に入れておいて、疲れたときにクスリと笑って気を紛らわすように使用可。最近著者が新聞に載ったりでまた売れ出したみたいで、今見たら、amazonでも売ってました。

 ギュンター・グラス『蟹の横歩き』(集英社)は、ノーベル賞作家による、「ヴィルヘルム・グストロフ号事件」という実際にあった、第二次大戦中の客船撃沈事件をベースにした物語。避難民や軍人を大量に載せ、被害者数はタイタニックを遙かに凌ぎながら、歴史の影に隠されてきた事件を、その惨事のさなかで生まれた男を主人公に描く。題名の「蟹の横歩き」は、まるでカニが歩くがごとく、横へ横へ、とまどろっこしい用に物語が語られながら進んでいくことからついている。実際はまどろっこしい、というより、一つ一つの人物、エピソードが鮮やかに描かれ、かつその蟹の足跡がいつしか見事な親子の物語を形作る、という見事な構成。
  第二次大戦に関わるドイツ文学を読むのは初めてだが、なるほど、こういう風に調理されるのか、とノックアウト。

 ドナルド・ウェストレイク『鉤』(文春文庫)は、ありがちな題材を使いながらも、先の展開が気になって止まらなくなる犯罪サスペンス。スランプで新しい物語を満足に書けなくなった小説家。ある日、かつて共に大作家を目指し、今は出版界から姿を消しつつある友人と出会ったことで、彼の運命は急転する。スランプの原因を話した彼は、力はあれど売れない友人との間に取引を持ちかける。
 たまたま急にヒマになった日を一日使って一気読みしたこともあるけど、なかなかの佳作。通り一遍なサスペンスとは一線を画する物語で、絡みある二人の小説家の行く末が終盤まで興味を引き続ける。ふーん、そう落とすのか、と最後の最後でちょっと気勢がそがれるのが惜しいところだが、物語が創れない小説家の苦悩や、逆に創作の喜びなど、作家の素顔がかいま見えるところも面白い。

 電車で本を読んでいて涙がこぼれそうになったのは、多分浅田次郎『プリズンホテル』(集英社文庫)以来じゃないかと思う。どうも比較的ベタベタなところに弱いのはどうしてでしょうか。
 北村薫の<時と人シリーズ>第三弾。『スキップ』、『ターン』(新潮文庫)に続く。それぞれの話はシリーズの名前通り、時の不自然な流れに翻弄される人と人のつながりを描いたもので、お話自体は全く関係がない。<時と人>をテーマにした3つの物語がそれぞれ楽しめるが、個人的には『スキップ』が一番だったように思う。それに比べると『リセット』は少し優しすぎる、というのが正直な感想。巻末の対談で(腰巻きにも書いてあるけど)宮部みゆきが「『リセット』では時がやさしいんです。」と語っている通り。あとは好みの問題だと思う。
 だからといって、ええと、今更こうやって北村薫を絶賛するのは少し恥ずかしい気もするんだけど、やっぱり素晴らしい作品であることは間違いない。北村薫を読んで嬉しくなるのは、「こういうものが書きたいんだなぁ」というメッセージがストレートに伝わってきて、それがまた小難しくなく、やさしい。それをこれくらい見事に書かれると、やっぱりうらやましいな、と心底思う。北村薫は、決して甘くない優しさを素直に愛でることの出来る作家である。

 今週はどういうわけか、一杯本を読んだような気がする。こういう週がどうして突然現れるのか、さっぱりわからない。気が付くと未読の本が少なくなっていたりして、大変である。どうしよう。

 

第1週(7/7〜7/13)

 もうこのページには再三書いている話だが、出かけたときに本を忘れるというのは本当に辛い。んでもって、予想以上に電車やなにかで読む時間があって、普段は読めないのに、こんな日に限って少しゆっくり車内で読めそうだ、なんてことになると、悔しくてしょうがない。何が言いたいかというと、今週はそんなこともあったりで、一冊も読み終えた本がなかった、という言い訳だ。 

 そんなときにたまたま出先で本を借りていたりして、おお、読む本を俺は持ってるじゃないか、と気づいて大喜びすることもある。ついていると言えばついているが、これも重なると、要するに読みかけの本がどんどん増えてしまうということ。最近は雑誌も読みかけになってしまうことがあり、なんだか知らぬが、いろんなものが読み途中になっていて、どれから、どの場所で読んだらいいのかわからなくなってしまいそうだ。不思議なもので、そんなときに限って、面白そうな本の情報が手に入ったり、人に薦めてもらったり。いつも思うんだけど、こういうのって、もう少しうまく流れないもんなんでしょうか。

 そんな言い訳を連ねつつ、今週は無しである。