読み週記 8

 

第4週(8/27〜9/2)

 気付くと秋が隣に腰掛けている。耳元でささやくように、小さな変化を教えてくれる。暗くなるのが早くなり、夕暮れの風が少し乾いて涼しくなり、秋の果物が目に飛び込んでくる。ひっそりとささやかれた秘密の言葉に驚いて傍らを見れば、もう彼はそこにはいない。あわててまわりを見わたせば、あたり一面の、秋。

 先週、書店に謝りつつ読んだ作品の続編、D・W・バッファ『追訴』(文春文庫)は、そのまま前作の物語の続きになっている。前作で負け知らずの弁護士だった主人公は、友人の判事に依頼され、今度は始めて追訴側に回ることになる。
 多くを失った主人公の立ち直りのきっかけとなるはずの事件が2転3転するなか、陪審員制度、正義などについて真摯に問いを発していく著者の姿勢が、これまでにないリーガル・サスペンスの雰囲気を醸し出している。法律に詳しいから弁護士物を書いたのでなく、専門知識を持ち、その世界を見た一人の人間として、訴えるべき主張を感じさせる点で秀逸。

 『くまのパディントン』の作者、マイケル・ボンドの『パンプルムース氏のおすすめ料理』(創元推理文庫)は、どたばた風味のミステリ。主人公は退職した元刑事で、グルメ・ガイドブックの調査員。やはり退職した警察犬のポムフリットを連れて、おいしいディナーを食べるはずが、とんでもない不可解な事件に巻き込まれる。プロットもしっかりしていて、決して重くなく、それでいて独特の風味がそえられた佳作だけど、なんとなくばたばたしてるウチに終わってしまった印象。面白いかどうかは好み次第。俺はダメだけど。愛嬌のある相棒の元警察犬が気に入った人は面白いかも。

 柄にもなく季節感の押し売り風まくらになったのは、「読書の秋」が近づいてきている気がしたからだ。疲れか暑さに負けたか、夜に本を読んでいてもすぐに眠ってしまったのが、このところどうも遅くまで読み続けてしまうようになった。それがいいのか悪いのかはともかく、万年寝不足に拍車がかかってみたり。それとも単なる不眠?

 

第3週(8/20〜8/26)

 知人が図書館でのアルバイトを始めた。本に囲まれる、と言ってもそこで仕事をしているのでずっと本を読んでいるわけではないが、いいなぁ、と思ったりもする。
 そこで考えたのだが、静かな図書館内に拘束され、書籍を扱う力仕事もこなしながら、様々な利用者達に対応する客商売の要素もあって大変な図書館員のメンタルヘルスのために図書館付きカウンセラーとして働くふりをして、クライエントさんが全然来ないのでしかたなく日がな一日図書館の本ばかり読んでいる、という生活はどうか。なかなか理想的な生活のように感じるが、問題は誰がそんな職員にお金を払うのか、という点につきる。

 平積みになっているシリーズの前作が書店の棚にない、という話を書いたが、ある日その書店に行ったら噂の前作が棚に置いてあって衝撃を受けた。書店員に心の中で心から誤りつつ、手に取る。D・W・バッファ『弁護』(文春文庫)は、オレゴンで弁護士として活躍した著者によるリーガル・サスペンス。お国柄か数多く出版されるリーガル・サスペンスは、数も多いだけに当たりはずれがあるが、これはなかなか。
 主人公はめったに負けることがない、という敏腕弁護士。被告人が有罪であるかどうか、ということではなく、「検察側が疑いなく有罪であると立証できない限り無罪」という理屈を最大限に生かして勝ち続ける。その彼が、尊敬する判事から依頼されて、あきらかに有罪と思える男の弁護をすることから物語は始まる。
 一つの裁判だけでなく、それにまつわる人間模様に重点を置いている点で、単なるリーガル・サスペンスでないのがうれしい。ラストのどんでん返しは、読めそうな物だが俺は読めなかったので完敗。

 森博嗣『臨機応答・変問自在』(集英社新書)は、某国立大学で教鞭を執る著者が、学生に課した質問項目への回答を集めた物。毎回授業の最後に質問をさせ、それを成績評価とするだけに、学生の方も必死で質問を考えるのか、科目とはなんの関係も無いような質問が続出している。
 簡潔さゆえのあっさりしたおもしろさや、ユーモアのある回答などが魅力の一冊だが、質問の方に魅力がない物が多いので、今ひとつの印象。もっともなかにいくつか面白い物もあるので、誰かに借りてちょっと暇なときに読んでみるのもいいかもしれない。

 どうしても恋愛小説家、というイメージがあって読めずにいた江國香織だが、人にすすめてもらったので『つめたいよるに』(新潮文庫)を読む。決して派手になることもなく、押さえた筆致ながら、確かにうまい。短中編に関してはかなり安心して読める気がする。柔らかい、優しい感じがあって、どうしても個人的に受け入れがたいのだが、実はそれがいい、と思っている自分がいるのが悔しいところ。後半にいい作品が特に多くて、中でも一番は「さくらんぼパイ」だった。作品に出てくるチェリーパイを、題名では「さくらんぼパイ」としたあたりが、独特のセンスなんだと思う。3人の登場人物が短編ながらじっくり書かれていていい。

 これもやはり人に教えてもらった本。著者が知人なんだそうで。渡辺将人『アメリカ政治の現場から』(文春新書)は、アメリカに留学し、大学院を卒業後、下院議員の事務所の所属し、後にヒラリー・クリントン上院議員候補、ゴア大統領候補の選挙事務所で、アウトリーチ局の仕事をすることになった著者のレポート。その多様さゆえ、なかなか概観しにくいアメリカ社会の一側面を描写していて、そのこと自体は目新しいわけではないが、やはり貴重な情報であり、日本でも話題になった選挙に日本人として参加した、という経験はおもしろい。新書らしく、的確な情報がたくさんあってわかりやすく、興味深い話が多い。
 様々な人種が混在する社会での選挙については、ここに書くよりも本書を読むべきなのであえて触れないが、「日本は単一民族の国だ」というずいぶん昔に否定されているテーゼも、アメリカ社会を見れば納得できてしまうほど。日本も民族的に単一ではないが、なにしろルーツの幅が広すぎる。
  残念だったのは、登場する人物達のキャラクターがもっと描かれてもよかったのでは、という点。様々な状況やシステムの話が非常に興味深いと同時に、著者自身も含めて、登場する人物達のことももっと知りたい、という欲求が出てくる。下院議員の事務所での同僚であったナディームって人なんて、なんか凄く面白そうだったけどなぁ。

 図書館付きカウンセラー計画は早々にあきらめざるを得ないようだが、そもそも目的意識の段階で人としてダメです。

 

第2週(8/13〜8/19)

 どうも暑かったり暑くなかったりで落ち着かない。7月の異常な暑さから今年は大変だとクーラーも売れて、夏が夏らしけれりゃ景気も上昇だ、なんてムードかと思いきや、8月に入ったらすっかり冷夏。水不足も重なって、西新井の東京マリンが心配な毎日。なんて、本とは全く関係ないまくらで始まってみたり。

 先週の続きで、読み終えた佐藤賢一『双頭の鷲』(新潮文庫)の下巻を読み終える。本当のことを言うと、先週興奮気味に読み週記を書いた直後に下巻を読み終えてしまったので、一週間たって興奮も一段落してしまい、テンションが落ちてしまった。
 それでもこの本は凄い。これだけ面白い本を集中して読むと、その後の本が今ひとつ楽しめなかったりするから不思議だ。
 母親に疎まれた事から、町の悪ガキとして成長した長腕の男デュ・ゲクラン。自称戦争の天才は、幼稚で下品で、陽気で人好きのする奇人だ。貴族の邪魔さえ入らなければ負け戦もない、本物の天才戦略家で、戦場とその地域を鳥瞰し、一瞬にして攻略の糸口を見つける戦略性と、相手軍の状態や布陣を見抜いて、意外なようで的を射た戦術を駆使して、一挙にフランスの英雄として100年戦争を駆け回る。
 物語は彼の半生記であり、彼の補佐役として常に付き従ういとこの修道士エマヌエルとの深い絆、用兵時代からの仲間や、宿敵であり一番の理解者であるやはり戦争の天才であるグライーとの友情、家族の相克、そして彼を気に入り、自らもフランスの偉大な王となっていくシャルル5世やその弟のアンジューなど、彼を巡る様々な人物の成長、そして女達など、人間のドラマとしての歴史を描いた時代小説の楽しさだけでなく、様々なエンターテイメントの魅力が詰め込まれている。
 とにかく物語を読む楽しさにあふれた作品で、世界史の知識がさっぱりなくても、フランス人の名前が覚え辛くても、読むべし読むべしと強烈プッシュの作品。間違いなく、佐藤賢一の代表作として残るはずだ。

 先日、友達と個人で行う趣味について話した。バンドやグループ競技は、楽しむためにどうしても仲間を必要とするが、絵や読書などは個人で完結するので入りやすい、と。だが、それで完結できる人はいいが、やっぱりその先に人間を求めることも多い。絵を描けば誰かに見てもらいたくなるし、車の運転や読書の楽しみは、その興奮を誰かと分かち合いたくなる。それもまた楽しみ方なのだ。

 

第1週(8/6〜8/12)

 町の小さな書店では、どうしても不便を感じてしまうことがある。おそらく役割が違うんだろうと思う。都心の大きな書店ですら、あらゆる書籍をそろえることは出来ない。大量の本が出版され、また日々新作が出てきている。書店だけではない。国会図書館ですら、日本で出版されたすべての本を網羅できているわけではないのだ。
 だから、町の本屋で欲しい本を見つけられないからと言って腹を立てるのは間違っている。たいていの本は注文すればその書店に届くし、丁寧に電話で知らせてくれたりする。
 それでは町の書店には何を期待するのか。わがままに言えば、俺が面白いと思う本を置いてもらえればいいのだが、それは単純に俺個人の話。期待したいのは、ただの商売人でなく、本のプロであって欲しい、と思うこと。面白そうな本が平積みにされたり面置きされていて、それが面白ければこれに勝る物はない。新作を平積みにするのは当然としても、やっぱり書店員が面白いと思う本、これを客に読ませたい、と願う本を堂々と置いて欲しい。都心にあるような本屋では、たまに書店員推薦のポップを見ることがあるが、町の本屋ではなかなかそうも行かない。版元の営業が店に来て、自分の会社の新作を棚において、別の会社の出版されて何年もたつような本が大きく平積みに扱われていたらやはり腹も立つだろうし、小さな書店ではそこまで自己主張もできないのかもしれない。
 それでも、やっぱり客としては書店員と書棚を通して会話をしたい。誰かの新作にあわせてその人の旧作を版元こだわらずにおいてあったり、読めばわかる関連本が隣にさりげなく置かれていたりするのを見ると、なんだかうれしくなるのだ。

 佐藤賢一『双頭の鷲』(新潮文庫)の上巻を読む。単行本として出版された当時、『本の雑誌』(本の雑誌)紙上で北上次郎が大絶賛していたのをおぼろげに記憶している。やや興奮気味に描かれたその書評を読んで、是非読まなくては、と思ったのだがなかなか見つからず、同じ作者の『ジャガーになった男』(新潮文庫)を読んでちょっとがっかりしてから手を出さずにいて、その本のこともほとんど忘れていた。
 この度文庫化されたので、書店に並んでいるのを見かけて、急にその記憶がよみがえった。北上次郎がどのように絶賛していたのか、そもそも北上次郎が絶賛していたことすら覚えてなかったが、書名を見た瞬間に、「これは読まなければいけない本だ」と真っ先に思って手に取った。
 詳しい感想は下巻を読み終えてから来週の読み週記に載せるとして、とにかく読み始めたら止まらない傑作。100年戦争時のフランスの将軍、ベルトラン・デュ・ゲクランを主人公にした時代小説で、世界史に疎い俺は、背景を十分に理解していないし、そもそもフランス人の名前は覚えにくいので、なおさら辛いのだが、そんなことはなんでもない。とにかく止まらなくてつい夜更かしをしてしまう魔術的な魅力の物語をまた発見した。とにかく面白い。

 なんで急に書店の話を始めたかと言うと、時折がっくり来てしまうことがあるからだ。ポップ付きで平積みになっている文庫の新作が面白そうで手に取ると、シリーズ物の2作目だったりすることがある。それが翻訳物だと、実は執筆順でないことはよくあるのだが、それでも2作目だと思うと、いくら読みたくても1作目を先に読みたくなるのが人情という物。当然棚の中に1作目を探すのだが、これが意外と置いていない。これが悔しい。
 もちろんすべてのシリーズの過去作を棚に並べきるのは不可能だ。『グインサーガ』(ハヤカワ文庫)や「ペリー・ローダンシリーズ」の新作が出たからと言って過去作を全部並べたらそれだけで棚が一杯になってしまうし、同様のシリーズ物はたくさんある。
 それでもそれが2作目で、しかも結構面白そうなんだったら、1作目を置いてくれてもいいんじゃないか、とつい不満を感じてしまう。「新作なので平積みだけど、実はあんまり面白くないんです」ってメッセージなんならともかく、そうでないなら是非、1作目もせめて棚に並べて欲しい。わがままを言うようだけど、それこそプロの仕事なのでは、という気がする。