読み週記 1月

 

第4週(1/26〜2/3)

 日頃大変お世話になっている書店なので、あまり声を大にして言うのは気が引けるのだが、最近文庫の棚の陳列法が変わって大変苦労している。慣れた書店の棚というのは(特に週に何日も眺めている場合には)ある程度の認知地図が頭の中に出来ているので、変更があると混乱するのは当然のことだと思うが、これほどまでに混乱しきって困ってしまうとは思わなかった。
 版元によって配置場所が微妙に変わったりするのはいいとして、同じ版元の文庫でも日本人著者の作品と外国人著者の本で場所が違って、「海外文学」として集まっているが、版元によっては分けてない所があったり、点数の多い版元と少ない版元が無造作につながっていたりするのだ。新しい認知地図の作製に苦労する一週間であった。

 

 先週書いた、読むのに苦労していた『その腕のなかで』(カミーユ・ロランス)は、無数の断章によって描かれた一人の女性の男性論というかなんというか。街で見かけた精神科医の元に通いながら、自分の父親や自分の人生に登場した様々な男達について語っていく、という構成。精神科医に語っている調子の部分と、三人称で語られる部分が出てきて、読み手としては退屈しないとは思うんだけど。
 どうしてかわからないけど、フランス文学をなんとなく手にとって成功したと思えたことがない気がする。これはここ数年の事だとは思うんだけど、なにが合わないのか明確に言語化できない。とにかくその雰囲気というか思想性というか、肌に合わないのはどういうことか。フランス文学にゆかりの深い血筋なんだけど、ホントに申し訳ない。俺はそれほど面白いとは思わなかったので人に薦めにくいんだけど、女性の読み手にどのように受け取られるのかは聞いてみたいところ。

 一方こちらは、なんとなく男性の方にウケが良いように思えるのが、このミス2003で1位に輝いた、横山秀夫『半落ち』(講談社)だ。翌日が仕事だとわかっていて、早く寝ないと、と思いつつも、結局ページをめくる手を止められずに一気読みしてしまった。
 「警察小説」と言われているそうですが、昔の「太陽にほえろ!」みたいな泥臭い熱さがあるような気がします。
 ある県警のベテラン警備が、アルツハイマーに苦しむ妻を殺害した、というのがメインの物語。ベテラン警部は自首をして殺害を告白するのだが、殺害から自主までの「空白の2日間」章立てがされていて、それを軸に、事件に関わる男達一人一人を主人公とする形で、それぞれのサイドストーリーが絡んでいく。 警察や検察内部の保身へのあざとさや醜さが描かれる中で、ただ、犯人の元警部だけが静かにたたずんでいる、という印象を残す読後感。ちょっと宮部みゆき『理由』(朝日新聞社)を思い出したりもした。

 今年最初の山本周五郎『深川安楽亭』(新潮文庫)には周五郎の完結している最後の短編も収録されている。周五郎作品を全部読んだわけではないのだが、これ以上新しい作品が書かれることがない、というのは残念なことだ。今更だけど。
 一番面白かったのは、広東で20年に渡る修行を経て、謎のぐうたら坊主と貸した雪海和尚の教えを忠実に守るがため「百足ちがい」というあだ名をもらった男を主人公にした「百足ちがい」だ。珍しくユーモラスな登場人物達が出てきて、もちろん周五郎節、という佳作。

 

 俺は書店員になったことがないので、書店とは常に客としてのつきあいをしている。店員がどんな気持ちで棚を作っているのか、客としてそのメッセージを感じ取ったときに味わえる楽しみが、書店に行く楽しみの一つであることは何度か書いた。よっぽどの事がない限り、棚の変更は何か意図があるわけで、これからしばらくその謎解きをすることになりそうだ。

 

第3週(1/20〜1/25)

 わーい、年明けて間もなく、早速今週読み終えた本が無いよー。

 溜まっていた雑誌を読んだら、日が暮れてしまった。このところ、定期購読している雑誌をため込んで購入するようになったので、それらが一気に来ると、結構時間がかかる。雑誌類はそんなに丁寧に読む訳じゃないんだけど。そういえば昔は雑誌も全てここに書いていたのにすっかり書かなくなってしまった。だって、面倒くさいんだもん。だってね、奥さん。読んでご覧なさいよ、『週間少年ジャンプ』(集英社)を5冊、一度に。そして『SWING JOURNAL』(スウィングジャーナル社)2ヶ月分と『JAZZ LIFE』(三栄書房)。CD購買欲を果てしなく煽られる一週間であったとさ。

 むやみに軽いテンションで一週間を乗り切れ。

 

第2週(1/13〜1/19)

 今年最初の更新はもうしたけど、2003年の1月としては最初。いきなり祝日があったので、初っぱなから2週目だ。だからどうした、と言われればそれまでなんだけど、初め、とか区切りとかがしばしば出てこないと飽きちゃうからね。

 嬉しいお年玉、ディック・フランシスの文庫新刊が新年早々書店で発見された。丁度祝日だったこともあって大喜びで、他の読書を中断して読むことにした。『騎乗』(ハヤカワ文庫)裏表紙のあらすじによると、今までは初めてだが、主人公は17才。フランシスの孫の世代を描いているわけで、どうなのかと不安だった。
 読みだしてすぐにわかるが、17才としてはできすぎ。でもリアリティが全くないわけではないのは、それがリアルであるか、ということより、馬に乗り、レースを走る事への情熱については、17才であろうと、もっと大人の世代であろうと、共通する部分がある、という所にポイントがある。もちろんフランシスがあえて17才を主人公に選んだことは、「馬」だけで説明されるわけではない。
 物語は、アマチュアの障害騎手であった主人公が、突然解雇され、父親の選挙運動を手伝うことになる話。おそらくフランシスのシリーズの中ではさほど優れた作品ではないと思うのだが、中盤、主人公の誕生日のエピソードは、フランシスファンなら誰もが心を動かされるに違いない。

 マイケル・コニック『ギャンブルに人生を賭けた男たち』(文春文庫) は、ラス・ヴェガスや世界で勝負する勝負師達と、彼らを待ちうける様々なギャンブルについて書かれたノンフィクション。カジノでプレイされている様々なゲーム、スポーツ賭博が如何に運ばれており、その現場にはどのようなギャンブラー達がいるのかが、色々な競技のフィールドについて語られている。ギャンブラー達の生態や、カジノの裏が描かれているという点で、物珍しさもあって楽しめるのは確かだが、どこか中途半端。例えば、どんな種類のゲームが、カジノ側にどれだけアドバンテージがあるか、という細かいデータが示される部分も有れば、得意な才能と個性を持ったギャンブラーの人物像が語られたりもする。どちらも面白い話ではあるんだけど、1冊の本としては組み立てがアンバランス。もともと1冊の本にするつもりで書かれたものではない物を集めたのかも知れないけど。ギャンブルについてなら、良書は数が多いし、なにもこんなに中途半端な形で出版されなくてもいいんじゃないかと思ってしまう。

 シリーズの転回点を過ぎたローレンス・ブロック<マット・スカダー シリーズ>は巻を追うごとにすごみを増しているような気がする。まるでそれまでがちょっとした序章で、ブロックが本当に書きたかったのはあの『八百万の死にざま』(ハヤカワ文庫)以降なのではないか、という気さえしてしまう。
 『倒錯の舞踏』(二見文庫)は前作『墓場への切符』(二見文庫)から次作へと続く<倒錯三部作>と呼ばれる3作品の真ん中。この3部作がどうつながるのかは次作を読んでみないとわからないけど、今のところシリーズの中のひとくくり、というだけで、直接事件自体がつながっているわけでもない。
 もっともエレイン、ミック・バルーと言ったシリーズのサブキャラ達との関係はどんどん進展しているし、それに併せてスカダーという男の物語も深まって行っている。今まさにシリーズとしてのアイデンティティを確実な物にしつつあるのではないか。
 次第に年を取りながらも、比較的静かに時が流れていくろばーと・B・パーカーの<スペンサー シリーズ>に比べて、こちらの方は主人公を取り巻く環境の変化が大きい。それをもってシリーズの特徴とすることは出来ないが、どちらかと言うと、後者の方が退行的な不変性というか、安定感みたいなものに支えられていることは否めない。それが悪いとは思わないけど、いつものメンバーがいつものように登場しながら少しずつ変わっていく<スペンサー シリーズ>に比べ、読み手として揺さぶられる機会が多いのはこちらの方だ。

 ええと、このことは一度書いたかも知れないけど、祝日に更新をお休みすることになって、一週間分の読みデータが記録されないことになる。ということは、月曜祝日がある前の週に読んだ本については年末やその後に振り返っても出てこないので、ベストにしたり誰かに勧めたりするときにすっかり記憶から抜け落ちたまま拾われずにいてしまうということだ。
 よって、せめて書名くらいは記録しても良いんじゃないか、と思ったのに、早速第1週に何を読んだのか忘れてしまった。初めや区切りが一杯あるのはいいけど、そこで躓いて悔しい想いをする機会も増える、ということなのだなぁ。