読み週記 5

 

第4週(5/28〜6/3)

 なんと、恐ろしいことに今週は本を一冊も読み終わらなかった。全体的に暑くなってきた中で気力がそがれ、だらだらと夜を過ごしているウチに一週間が終わってしまった。よってここに書くことがない。悲しい話である。

 何かを読む、というのは非常に時間のかかることで、速読術が使えない俺は、一冊の本を読むのに時間がかかる。リーダビリティが最大限に発揮されるような物の場合はそれでも読めると思うが、じっくりと読み込むことが必要であれば、当然時間もかかる。だからつい読みやすい物に走ってしまいがちだが、我ながらそんなことを続けてはいかんなぁ、という想いもある。難しい物だ。

 

第3週(5/21〜5/27)

 徐々に活力が回復しつつある兆候と、気温が高くなっていく兆候が同時期に来た。なにかと言い訳をしては楽をしようとする俺の性根にぴったりの時期。せっかく頑張って行こうかな、と思うやいなや寝苦しい季節になってしまって、まったく嫌ねぇ。

 こんな時には、菊池光のクールな文体に浸っていたい、という願望を込め、ロバート・B・パーカー『暗夜を渉る』(新潮文庫)を手に取る。フランシスの単行本の新刊が店頭に並んでいたのを見つけ、もしや文庫も新刊が、と期待してみたら、あったのはパーカーだった、というわけで。
 「スペンサーシリーズ」ではなく、なんとまた新しいシリーズ物が始まった。「サニー・ランドルシリーズ」が文庫で出たのが半年前くらいだと思うけど、また別のシリーズがあるとは驚き。この辺、パーカーの著作がどのように訳されているのかわからないので時代が分からないけど、スペンサーシリーズが老境にさしかかってきたところでまた新しいヒーローを創造しているかのような感覚を、文庫の素直な読者はもってもおかしくはないと思う。
 今度の主人公は、愛する妻が不倫をして別れ、アルコールにおぼれた挙げ句に職を失い、西部の警部から東部の町の警察署長になったジェッシー・ストーン。解説にあるように、西部から東部へと職を移すのは、一種の都落ちの感がある。序盤はストーンが妻との出会い、別れの記憶に苦悩しながら車で東部へ向かい、新たな職に就くまでが語られ、赴任先の町の支配者との戦いが後半にやってくる。
 私生活が作品に投影されやすいパーカーの事なので、この作品が書かれたのは、「スペンサーシリーズ」でスペンサーの恋人スーザンがスペンサーと距離を置いていた時期から回復期に書けての時期に書かれたのではないかと思うけど、相変わらず主人公は別れた妻との思い出から逃れられず苦悩する。悪に対して徹底的にタフでありながら、自らの人生、特に女性関係については脆いパーカーのキャラクターらしい設定だ。

 部屋にクーラーが欲しい、というのは去年も書いた気がする。快適な読書生活のためにも、熱い東京の家には是非クーラーが必要なのだ。と今の全くタフでない若造の一人は考える。

 

第2週(5/14〜5/20)

 どうも連休があけたことと眠いことはあまり関係がない様だ。なぜかというと、連休前にもやっぱり眠い眠いと連発していたからだ。この20年くらいずうっと眠い気がする。
 「子供の頃、休みの日だけ妙に早起きしてしまうのに、大人になると休みの日は全く起きる気になれない」という話を聴く。とんでもない。自慢ではないが、こちとら子供の頃からいつも許される限り寝ていたい人間なのだ。

 困ったときの周五郎、とは、最近本屋で頻繁に唱えられる呪文であるかどうかは謎だけど出先で本が無くなったときに山本周五郎には何度も助けられている。大抵の本屋には一杯並んでるし、どれを読んでもはずれることがない。もうすでにウチには周五郎が16、7冊あるが、その半分くらいは出先で買った物。読む本がないから買った本なのに、どれも確実に楽しませてくれるから嬉しい。
 『大炊介始末』(新潮文庫)は、名作揃いの短編集。長編も見事に読ませるが、周五郎の短編も、どれもがしまっていて、飽きさせない。本ごとに作品が年代順に並んでいるわけではないけれど、それはそれ、文学部の学生だったら、周五郎で論文が書けよう物だ。
 表題作はもちろん、底抜けに明るい姉妹を描く「おたふく」、あくまでも職人としての意地を貫き、またそれを信じて男についていく家族を描いた「ちゃん」は特に傑作。せつなくも力強いラストを迎える「なんの花か薫る」も素晴らしい。

 読み勧めていくうちに、「題名にだまされた!」と思ってしまったのが、アイザック・B・シンガー『ルブリンの魔術師』(吉夏社)だ。なんかちょっとファンタジックな香りがあって手に取ったんだけど、実際は19世紀末のポーランドに生きるユダヤ人の物語で、天才的な手品師/軽業師の主人公ヤシャが、恋におぼれる中で自分を見つめ直すことになる物語。とにかく迷い続ける主人公。信仰心に目覚めたかと思うと、次の瞬間には再び神を信じられない女たらしに逆戻り、とふらふらしながら、過去の自分に決別するまでの物語。
 19世紀末のワルシャワの風景の描写、自らのアイデンティティを巡って混乱した時代を生きるユダヤ人達の姿がまた見事に描かれている。

 新学期になって、近所のいつも行っている書店の店員の顔ぶれが変わった。店員からすれば毎日訪れる大量の仕事でしかないお客だが、こちらから見れば、自分の生命線の仲介役の人々だ。例えレジでお金を払って「カバーはおつけしますか?」、「いや、結構です」と会話を交わすだけの仲であっても、独特の風情を感じさせるつながりなのだ。

 

第1週(5/7〜5/13)

 どういうことか、連休ですっかり寝癖がついたのか、それ以降眠くて仕方ない。一度崩れたリズムを取り戻すのに時間のかかる年齢になったということなのか、とも思うが、そうは思いたくないので、考えないことにする。

 桜玉吉『幽玄漫玉日記』(エンターブレイン)の4巻を読む。実は2、3巻は読んでないんだけど、続き物でないのでアリ。絶妙の不気味さとブチ壊れ具合が最高。読んでいない2、3巻も読みたいなぁ、と持ち主に無言の圧力を掛けることにする。

 押井守原作、藤原カムイ絵の『犬狼伝説完結編』(角川書店)を読む。前作を読んだのはずいぶん前で、しかもこれがその続きなのかよくわからなかったけど、持ち主の言葉を信じる。よくわからなかった割に、意外に心に残る映画「紅い眼鏡」など一連の作品につながる、特別機動隊「ケルベロス」が解散に追い込まれるまでの顛末。かなりつくりこまれた、押井入魂の世界観も、そうとう腰を据えないとそのメッセージまで読み解けないレベル。クリエイターに近いレベルの集中力を要求しているのがよくわかるけど、ついていくのは難しいと思う。特に体調が悪いときは。 

 裏本で稼ぎ、表の世界でも商売を始めた会長の下で、写真雑誌を作ることになった主人公の日々を描く、本橋信宏原作、たがみよしひさ絵の『アンダーグラウンド』(秋田書店)の2巻。こちらも1巻を読んだのがずいぶん前なので、大分話を忘れてしまったけど、1巻を探し出すのが面倒だったので、そのまま読む。何となく話を思い出しつつ読むが、前作の登場人物をあまり覚えていないこともあってか、会長の強烈なキャラクターも、ちょうど沈没気味の時期であるだけに薄まりがち。面白いけど、流し読みをしてしまった。マンガといえでも疲れて読んではイカン。

 アンダーグラウンドな世界を描いた秀作、塩崎利雄『極道記者』(幻冬舎アウトロー文庫)は、前から読みたかったんだけど、なかなか出会えずにいた本。本を忘れて、職場の近くの書店に飛び込んで発見した。小さな本屋で、時代小説とエロ本、エロ小説と雑誌しか置いていないような、かなり悲しい書店であったのだが、近所の書店にはないこの本を見つけて早速レジへ。あまりの面白さに一気読み。
 ギャンブルに明け暮れるスポーツ紙、競馬記者が主人公。仕事にしている競馬はもちろん、麻雀、サイコロなどにどっぷりと浸り、その筋の人々が開いている賭場にも通う。ビバダメ人間、と言わんばかりの生活をしながら、3人の愛人の元にも通いつつ、生きているが、些細なきっかけから、そんな人生に変化が訪れる。ギャンブルシーンの詳細な描写と臨場感、ギャンブルやヤクザな世界に生きる男達の描き方など、どれもがしっかりしていて、読み応えがある。ギャンブル小説も数あるが、このジャンルは描写がしっかりしていれば、キャラクターは自然と浮かび上がってくる。それを確実に捉えて読ませるのは見事。ギャンブル小説を読むなら書かせない一冊であるのは間違いない。

 ゴールデンウィークの読書生活がたたったのか、その後の不調はいかんともしがたい。大きな代償と思いながらも、実はそんなことは関係なく、たんなる気のゆるみではないのか、という不安を抱える今日この頃。