読み週記 8月

 

第3週(8/20〜8/25)

 人々の夏休みが徐々に終わりつつあるようで非常にめでたい。なんて言ってすいません。人々が仕事に向かい初めて電車も混んできたので、今週末に夏休みをとることにした。来週の火曜の午前中までを夏休みにしたので、来週は読み週記はお休みである。

 もしかしたら前の週に読んだ本かも、と想いながら、森福都『吃逆』(講談社文庫)である。腰巻きの「田中芳樹氏絶賛」に惹かれたどうかはともかく、中国史を絡めたミステリーらしいので手に取った。
 宋の時代、役人の登用試験である科挙に受かった物の、下位合格のために士官待ちである主人公は、しゃっくりをすると、不思議な光景や、心の奥に引っかかって見えずにいた真実が見える、という特殊能力の持ち主。この特技に目を付けた、まだ歴史に登場したばかりの「新聞」を発行せんとするもう一人の主人公が、「吃逆偵探」として売り出すが、実際に冴えを見せるのはこの新聞発行人ばかり。しかし彼には大きな秘密があり・・・というベースのストーリーがある連作短編集。早咲きの文化の都、宋の開封の描き方は魅力的だが、肝心の登場人物が今ひとつ。しゃっくり男の能力は都合良く使われすぎてる感じがするし、もう一人の秘密を持つ主人公も何か物足りない造形で、もうちょっとどうにかして欲しかった。しかも、こう並べてみると、舞台の使い方も、もう少し筆力があれば、と余計な不満すら持ち上がってしまうのでこの辺で。連作としての作りと、物語の締め方は惜しい感じなので、今後に期待。ところで、この著者の名前は、児童文学作家の森絵都と、名字と名前の区切りは違えど、一字違いなんですが、なにか関係があるんですか?

 コリン・ペイトマン『ジャックと離婚』(創元コンテンポラリ)は、ベルファストの街から始まる北アイルランドの土地柄を存分に魅せるドタバタサスペンス。ドタバタ、と称したのは、シリアスな盛り上がりよりも、前面に力一杯押し出したユーモアがウリであるのが確かだからで、サスペンスとしても骨組みがしっかりしていて、決して甘ったるくもない。むしろごつごつした物語が、軽妙でだらしのない主人公のユーモアに隠されている作りに驚かされる。
 命の危険にさらされるような状況でも、つい皮肉やジョークが口に出てしまう主人公は必ずしも珍しくはないが、その爽快さすら覚える突き抜けた感じと、主人公以外の登場人物も個性的で味があるため、リーダビリティにつられるようにして、骨太の物語に引き込まれていく。

 今週一番の収穫は、いしいしんじ『麦ふみクーツェ』(理論社)だ。訪れた小さな港町で、街にある吹奏楽団を厳しく立て直すティンパニ奏者の祖父と、妻を失ってから、どこかねじの外れてしまったような数学者の父親に連れられた主人公は、家の屋根裏を覗いたときに、広大な麦畑を静かに麦ふみをしながら進んでいくクーツェに出会う、とう始まり方がいい。主人公の少年のビルドゥングスロマンでありながら、家族の物語でもあり、際だったメルヘンでもある。優しくももの悲しい世界観と、クーツェがかなでる、「とん、たたん、とん」という音が全編に満ちている。海外文学作品のような雰囲気があるのは、登場人物や世界観だけのためではないと思う。著者のどのような感覚が、この素晴らしい作品を生みだしたのかはわからないが、文句無しの傑作。登場人物や街に降りかかる様々な出来事や、人々の背景にあるエピソードがまた素晴らしい。感動の物語、という表現の仕方もナシではないと思うけど、それよりもむしろ、静かに物語を楽しむ贅沢な喜びを味わえる作品、と言いたい。ゆっくり、贅沢に時間を使って読んで欲しい。

 今年の夏休みは、固い決意で自堕落に過ごしたい。未読の山解消が少しでも進めばいいが、もちろん本を読むことが休みの一番の目的であるけれど、少しでも前向きな気持ちを感じずに過ごしたい。あれ、なんだそれ。

 

第2週(8/12〜8/18)

 ようやく仕事関係の本を読む余裕が出てきたので、今週はずいぶん色々読んだように感じるけど、読み週記の中では少ない。だからといって、あまり本が読めていない不幸せ感があるかというとそうでもない。なんだか謎かけみたいになっちゃったけど、どうやらとにかく「読む」ことで幸せにもなるみたい。

 ブライアン・ステイブルフォード『ホームズと不死の創造者』(ハヤカワ文庫)の裏表紙にあるあらすじを読むと、25世紀、ナノテクと生物学が進歩した時代の殺人事件を、女性刑事シャーロット・ホームズと、フラワーデザイナー(これも読んでみると、文字上のイメージとは全く違う仕事だけど)のオスカー・ワイルドが調査する、という物語であることがわかる。ホームズとオスカー・ワイルドという名前が出てくることで、パロディめいたキャラクター物の、ちょっとキワモノっぽいイメージが立つけど、全然中身は違う。ワイルドの名前は作中で意味を持ってくるけど、ホームズの方はほとんど必然性がない。
 だが、予想を裏切るのはそこまでで、実際にはSFとしてもミステリとしても、なかなかの読み応え。ペダンチックな趣味を感じる向きもありそうだし、ミステリと言ってもそちらの部分はやや道具立てとして利用されていて、サスペンスに近いかも、とも言える。もっとも看板が大げさなだけに、なにか足りないような不満も残る微妙な一冊。原題にないホームズの名を入れたのは戦略的にはどうなの?

 フリーマントル『消されかけた男』(新潮文庫)は、スパイ小説、いわゆるエスピオナージュと呼ばれるジャンルでも有名らしい<チャーリー・マフィンシリーズ>の一冊。エスピオナージュというジャンル自体が今まであまり通らなかったポイントなので、なにか新鮮な気持ちで読めた。古い生き残りのスパイとして、新体制から疎まれる主人公の立場や、正義の味方というわけでも無いその造形など、かなり面白いシリーズ発見の予感。どうもスパイというとジェームス・ボンドやらナポレオン・ソロのイメージや、ヒロイックな物語を想像してしまっていたけど、この小説ではスパイである主人公が、有能なスパイでありながら、一介の公務員という不自由な立場で描かれている所がミソ。面白いシリーズを今更だけど発見の予感。初版は昭和54年なんですけど。
 こういう一昔前だけど、未だに出版ベースにはきちんと乗っている(のかしらん)ような名作シリーズを遅れて買い始めて思うのが、シリーズを順番に追える資料が手に入りにくい、ということだ。 ずいぶん前に、エド・マクベインの<87分署シリーズ>で、刊行順に買って読んだら、翻訳順が元の順番と違い、先の話を読んでしまったせいで、登場人物の未来を先に知ってしまって後悔したことを書いた。恐るべき裏切りのネタ晴らしの巻の解説に初めてシリーズの順番が書かれていて、「今更遅いって!」と激怒した記憶がある。御陰で未だにこのシリーズに取りかかれていない。
 それ以来、古いシリーズを追うのが不安になって、面白そうなのになかなか手に取れずにいる。地元の書店のような小さな店では、そのシリーズを扱っていても、置いてあるのはそのシリーズの代表作だけで、シリーズの途中や転回点からそのシリーズに入ってしまうことになる。代表作が評判通りの面白さだとして、最初から物語を追ってそこにたどり着く、という楽しみが味わえなくなってしまうのだ。
 そのせいで、読みたいとは思ってるのに手が出せずにいるのが、ローレンス・ブロックの<マット・スカダーシリーズ>。なんとかならないものか。
 よって、古いシリーズ物の本来の発行順を教えてくれるブックガイドを募集中。かなり喜ばれると思うんですけど。

 『本の雑誌』(本の雑誌社)で紹介されていた、いとう耐の『風前の灯』(双葉社)はパロディ心に満ちたおもしろマンガ。同社の『週間アクション』で不定期に連載されていたシリーズと、江口寿史、相原コージの代原として使われた物をまとめたものらしい。時折かなりブラックなジョークが平然と描かれていたりして、個人的には好きなんだけど、なにか今ひとつ足りない。ネタの割に無難に上手い絵とか、突き抜け切れていない印象が残ってしまう作品とかがあって、全般的に物足りない想いが残る。ぜひとも大化けして欲しい作家だとは思うので、なんとかブレイクしてくれないだろうか。気心の知れた仲間にだけこそっと教えたくなるような一冊。

 一杯読んだような気がするので、何か忘れているかもしれない。夏になって多少はゆとりが出てきたんでしょうか。というより、みんながお休みモードなので、追従して気分だけでもゆとりを持ちたい願望の現れなのか。謎は深まる一方である。

 

第1週(8/5〜8/11)

 先週の読みかけ本をいくつか読み終える。いろいろ同時進行になると、どれがその週に読んだ本なのか、読み週記に記さぬまましまってしまった本があるのかどうか、など、全く把握できなくなってしまうから困る。

 日高敏隆『ネコはどうしてわがままか』(法研)はなによりも題名の勝利。内容は、色々な動物の行動についてわかりやすく日高先生が紹介してくれる、という物で、紹介されている動物は数多く、一つ一つについては短く取り上げているだけなんだけど、ヘビ、アブラムシ、ボウフラ、ムカデなど、その生活についてそんなに詳しく知らなくてもいいなぁ、という生き物も数多く取り上げているにもかかわらず、「ネコはどうしてわがままか」という書名は実にキャッチーな感じ。もう少し一つ一つについて詳しく書かれていてもいいような気もしたけど、雑学遊びとしては十分。道を歩いて見かける動物たちに妙な共感を抱きやすくなる一冊。

 グローバル化する世界の、今世紀最初の10年を読み解く、というテーマで、現代のキーワード、「グローバリゼーション」、「リスク」、「伝統」、「家族」、「民主主義」という五つを使って語った社会学の本、アンソニー・ギデンス『暴走する世界』(ダイヤモンド社)を読む。テキスト自体はさほど大量でなく、それだけに今ひとつ迫力に欠ける、という印象が不思議。それぞれのキーワードを元に、著者が狙っているのはグローバル化する世界における様々な価値観の揺らぎや、新しく構築されるべき社会のスタイルについて考える材料なんかが盛り込まれる事だと思うんだけど、どの議論も抜群の説得力、というほどには行かず、言説のための言説めいた感がどうしても残ってしまう。社会学のスタンスとしてはそれでいいのかもしれないんですが。
 同時にそれは、グローバリゼーションという現象が、もしくは現状が、世界を読み解いていく事をさらに困難にさせている、という有り様を浮かび上がらせているようにも考えられるのかも。もちろんそのためには何か軸になる観点が必要なわけで、それを作っていく材料にはなりそう。比較的わかりやすく書かれてるし。

 北上次郎『ベストミステリー大全』(晶文社)は、『小説現代』(講談社)に連載されたコラムを1998〜2000までの13年分集めた物。北上次郎の書評はいつも面白く、特に「本を読んでいる一個人としての自分」が適度に顔を覗かせるコラム風のものがいい。残念なのは一本一本が非常に短いので、北上書評に現れる余韻みたいな物があまり味わえない点。贅沢を言っても仕方がないですが。
 恐ろしいのは、紹介されている本の中でも文庫の数が圧倒的に多く、人気のシリーズ物をのぞくと(それだってほとんどが)簡単に手に入らない物が多いこと。なんと多くの良本が発行されては消えていくことか。「ああ、この本読みたい!」という気持ちがその本に追いつけないことがもどかしい。
 買えても読むのは先になりそうだけど。

 机の下に増設した手製本棚(ほぼ積んでるだけだけど)もそろそろ一杯になってきた。というかすでに飽和してるんだけど。この夏か年末あたりには、再び本の収納場所問題に真剣に取り組む必要が生まれそうだ。