読み週記 10 月

 

第5週(10/30〜11/5)

 3連休でたっぷり読めるかと思うとそうでもない。全然読めなかったかと思うと、これまたそうでもない。本当に時間とは不思議な物である。

 毎回が佳境、毎回が急展開の不思議なマンガ、浦沢直樹『MONSTER』(小学館)の15巻。どうしてこうも読者を誘惑し続けられるのかが不思議でならない。隠された事実が次々と明らかになり、それがさらなる謎を呼び、とエンターテイメントの基本を押さえたような作りながら、毎度毎度その手に乗ってしまう。もはやあらがう術もなく、ただただ次を切望するばかりである。連載で読んでる人もいると思うんだけど、とても月2ペースに区切られて耐えられる物ではない。

 『本の雑誌』(本の雑誌社)の11月号。時期的に大分前の話になってしまうの笹塚日記だけど、「WEB本の雑誌」(http://www.webdokusho.com/)が開かれた、という話が載っている。
 様々な要望から、お勧め本などを紹介するまさに個人向け書評を展開している「読書相談室」はこのHPの目玉企画で、確かに面白い。それだけに答えるのも大変で、実際最近は目黒考二の回答をほとんど見かけなくなってしまった。そのくせ突然日刊スポーツのインタビューを受けてたりするんだけど。
 その「WEB本の雑誌」上で、「新刊めったくたガイド」のノンフィクション部門が近々高野ひろしから変わる、というのを読んで大喜び。至極個人的で申し訳ないんだけど、どうしても彼の文体だけは納得がいかなかったのだ。単に好みの問題なんだけどな。

 その『本の雑誌』の名物コーナー「発作的座談会」の特別版、『沢野字の謎』(本の雑誌社)は、毎月の『本の雑誌』の表紙用のイラストに添えられた、沢野自身による謎のコピーナンバーワンを決定する、という書き下ろし。いつものメンバー、椎名誠、沢野ひとし、木村晋介、目黒考二が、地区予選、予選リーグ、そして決勝トーナメントの形式で、沢野のベストコピーを決定するんだけど、これが抜群に面白い。
 俺は昔からこの表紙に添えられた一言が好きで、『沢野字の謎』にも記憶に残っているフレーズがいくつも出てくる。本当に何も考えていないようで、どこか心をくすぐる名コピーと、それを肴に盛り上がる面々のコメントがまたおかしい。沢野の偉大さをかみしめる一冊。ちなみに俺の記憶に残ってたのは「階段のあかりをつけたら妻がいた」と「お前たちは豆腐とネギ」、「お前のはなしは最後に金」だった。

 現在の所、最後の月面着陸船船長である、ジーン・サーナン『月面に立った男』(飛鳥新社)は、アポロ17号で月面に向かった宇宙飛行士の自伝。パイロットにあこがれて空軍に入ったサーナンがいかにして人類最後の足跡を月面に残すに到るかが、非常に上手く書かれている。
 仲間達との友情やライバル争い、月着陸への熱い想いや、彼を助ける家族達の姿、「1960年代に月へ」というケネディの言葉を果たすために、アメリカ人達がいかにそれを成し遂げるか。まとめてしまえば読まずにも予想できるような物だが、 エピソード一つ一つ、ディティールのそれぞれが、歴史的な人物の貴重な証言として浮かび上がってくる。
 サーナンは、マーキュリー計画、ジェミニ計画、そして月着陸を達成するアポロ計画の証言者であり、そのなかの一人である。彼の冒険への熱意にあふれた日々がつづられた後、彼が述べる「さらに遠い宇宙への探検、それを再開しなければならない最大の理由」は一読の価値有り。

 そろそろ朝起きるのが辛くなってきた。寒くなるにつれて、布団から出ることは苦痛になっていく。不思議なことに、人間は毎年の経験から何一つ学ぶことなく、夜更かしの読書を続けるのだ。

 

第4週(10/23〜10/29)

 早い物で、もうすぐ11月である。このような会話は多分そこら中で行われていることと思う。だからどうというわけではない。何となく今年のベストを何らかの形で集めたいなぁ、と思っているに過ぎない。

 恥ずかしながら、って別に恥ずかしくないのかもしれないけど、鈴木光司『ループ』(角川ホラー文庫)を勢いよく読む。シリーズ第1作、『リング』(角川ホラー文庫)を読んだときは、良い意味でどこかで読んだようなホラーっぽくてすごく好きだったが、その物語が『らせん』(角川ホラー文庫)、そしてこの『ループ』と進むにつれ、全く予想を覆す方向に進んでいくのはまた面白い試みだと思う。それによって一般的な評価がどう変化したかはともかかく。
 ところが、問題なのは本の内容ではなく、別の所にある。と言うのも、ある番組に著者の鈴木光司が出ていて、インタビューに答えていたのを見たのである。その番組ではインタビュアーに、『リング』、『らせん』、『ループ』と続くにつれて、ホラーがSFに、やがて普通小説(文学、その他なんだったか忘れたけど)へと変わっていっているように思える、と指摘され、答えて曰く。「大変正しい読み方をなさってますね」だって。どの辺がどう嫌な感じだったかは多分わかってもらえると思う。
 この3部作、実に良くできてるし、『ループ』のできも悪くない。でも何となく「恥ずかしながら」と形容してしまう一連の作品として、俺には認識されたままなのだ。

 『カラフル』(理論社)を読んで以来、心の中に残り続けながら何となく読めずにいた森絵都の『ショート・トリップ』(理論社)は、旅にまつわる超短編集。最初の作品のユーモアに惚れた俺は、半分も読まぬうちに、たまたまメールする事にした友達に、早速薦めてしまった。
 全編にしみ通っている独特の現代的なユーモアと著者のリリカルな文章に彩られた作品は、そのほとんどが及第点以上の佳作。好みはあると思うけど、それなりに楽しめることは間違いない。
 ところが少ししたところで、ある人に「これは君の好きなユーモア」と評されて納得。そうかもしれない。
 そんなわけで、それはそれで良し。多分無いと思うけど、妙に評判になってしまうことなく、ごく身近ななんとなく近いセンスを共有する人の中で、静かに好まれる一冊になって欲しい、と思う。

 もう一年が終わってしまう。という意見が大半を占める中、単に一年が過ぎたから一年が終わるに過ぎない、と言う人もいる。どちらも正しい。どちらがより幸せか。それも個人の問題である。どの本が面白いかと一緒のことだ。

第3週(10/16〜10/22)

 毎週のように本が読めない話が枕になるのは、他に本に関する話題が少ないからである。別に無い訳じゃないんだけど、なんとなく簡単にできる話がそれしかない、ということ。それではなんだか負けた気がするので、今日はあえて別の話題にする。
 毎週更新しているこの読み週記には、仕事のために読む専門書は加えていない。どこからが専門書になるのか、どこまでが仕事関係なのかはほとんど恣意的ではあるんだけど、なんとなく分けている。だから実際はここに書いている物以外の物を読む時間があるわけなんだけど、実はその時間がほとんどない。
 結局積まれている本が気になってしまうのが原因なんだけど、実は専門書の類も積まれているわけで、俺の部屋には2種類の未読の山があることになる。ちっともうれしくないのはなぜだろう。

 最近、仕事がら自閉症もしくは自閉症近辺の人に加え、自閉症に関わっている人に会うことも多いため、なんとなく自閉症に関する本をよく読む。
 ドナ・ウィリアムス『自閉症だったわたしへ』(新潮文庫)は専門書ではなく、普通の読み物として読める貴重な一冊。自身が自閉症である著者が、自らの半生を実に的確に記している。外部からは理解が難しく、その疎通性の悪さからその内面を読み解けない自閉症の世界を、これほど明らかにできたのは奇跡に近いのではないかとすら思える。多くが軽い遅滞をともなう自閉だけに、その内面を自らが広く理解できるように語ることも難しい。そういう意味でも貴重な一冊だ。
 もちろん自閉の症状は個人によって現れ方も変わるし、元来の自閉的な症状に加えてなんらかの情緒的な問題や、精神遅滞などが加わることが多いので、この一人のケースだけで自閉がわかるわけではないけれど、彼らの内的世界をまわりが感じ取るおおきなヒントになることは間違いない。

 追っかけているシリーズ物の新刊が出るとうれしくなる。書店の棚の前で一人静かに興奮している人が、ある時期に多発している可能性はあると思うんだけど、俺にとっての興奮の源となるシリーズ物の中でまず堅いのが、ディック・フランシスの競馬シリーズと、ロバート・B・パーカーのスペンサーシリーズだ。内容もさることながら、それぞれにぴったりと当てはまる菊池光の訳も素晴らしい。他の人の訳で読んだことがないから当然なんだけど、彼以外の訳は考えられないくらい、シリーズを魅力的な物にしている。
 スペンサーシリーズの文庫版最新刊『ペイパー・ドール』(ハヤカワ文庫)は従来の作品とはちょっと違った雰囲気。というのも、スペンサーがいつものようなマッチョな行動に訴えることも少なく、おなじみの保護的な父性を見せる部分も少ない。一人の探偵として淡々と仕事を続ける正統派のミステリーになっている所がミソ。もちろん今まで通りのスペンサーとホークの会話もいいアクセントになっている。

 結局いつもの未読話に終始しちゃったけど、最近、持っている本の処分を考え始めていて、そのために本のデーターベースの様な物を作ろうと思っているのが、さらに拍車をかけている。単に捨てるのが惜しくて、それを引き延ばすためにそんなこと考え出したんだろうけど、これがまた以上に時間がかかる。それはそれで恐ろしいことだ。

第2週(10/9〜10/15)

 危機的状況はまだまだ続いている。どうもこのところ、間違いなく読むペースより多く買っている。それは昔からそうなんだけど、最近本を買うことに病んでいる気がするのだ。わかっているけど買ってしまう。もはや病気である。

 期待ほどではなかったのが、ラウル・ホイットフィールド『ハリウッド・ボウルの殺人』(小学館文庫)だ。「ハメット、チャンドラーと並ぶ」と称されているハードボイルドの古典。どうも古典に弱い俺は、これも今ひとつ楽しめなかった。新しい物を求めすぎている点を差し引いても、解決に納得がいかない。トリックはいいとしても、複線の張り方や、意外な犯人の正体など、単に自分がさっぱりわからなかったから、という噂もある物の、ちょっと気持ちにすっきりと入ってこないように感じるのだ。
  もっとも誰もが怪しい、というシチュエーションは上手くできている。非常に疑い深い主人公のキャラクターがそれを一段と後押ししてるんだけど、問題は主人公につられて読者までが主人公までを疑ってしまうようになること。俺だけかもしんないけど。

 一方で期待通り、もしくは期待以上だったのが井口俊英『刑務所の王』(文藝春秋)だった。1995年の大和銀行事件の中心人物として収監された著者が出会った、刑務所内のギャング団の創始者から聞いた、彼の衝撃的な刑務所での半生を描いた物。「刑務所の主」みたいな物語は沢山あるけれども、全米規模でのプリズン・ギャングの物語は壮絶を極める。
 刑務所の中で生きていくために、一人のハイスクール卒業生がタフになることを自分に課し、それがあれよあれよという間に全米規模のギャング団の中心人物になってしまうという展開の仕方に加え、そこに描かれる刑務所内の独特の価値体系の中での囚人達の姿が実に生き生きと描かれている。
 司法国家であるアメリカはそれだけに刑務所も囚人も多い。様々な人種が絡み合う国であるだけに、刑務所内の世界も複雑で、迫力のあるフィクションを読んでいるような現実がそこにはある。 淡々と自分自身の価値観と矜持を守り抜く主人公の迫力ある人生は、一読に値する波瀾万丈の物語。 アメリカの司法制度、特に矯正の分野における表と裏、囚人の世界に生きることで、外の世界で生きることが難しくなってしまう主人公の悲劇的ですらある人格形成など、読みどころも多く、大当たりの一冊だった。

 面白い本に出会うことは本当に多い。だからこそ足繁く書店に通うんだけど、最近そのことに罪悪感を感じる瞬間があるのだ。本当に人生を考え直す必要があるのかも。

第1週(10/2〜10/8)

 近所の書店が文庫棚の配置を換えて1月か2月くらいになる。長年親しんできた棚との関係をもう一度作り直さなくてはならないのだから大変で、ついついイメージと違うせいで不安になってしまう。かつてほどしょっちゅう店に行かなくなってしまったので、なかなか慣れることも出来ず、未だにどの文庫がどの場所にあるのか把握できない。困ったものだ。

 「トマス・ピンチョン絶賛!」という腰巻きの惹句に釣られたかどうかはともかくとして、マグナス・ミルズ『フェンス』(DHC)は成功の部類。この間池袋に行ったときに買った本の1冊だけど、あのときは今ひとつ海外文学に目を引く物が少なくて、厳選する余裕もなく買った物だけに不安もあったけど、これはとりあえず面白かった。
 アイルランドのフェンス建設会社の3人が、上司に言われるまま現場に赴き、各地でなぜか仕事の途中で人を殺してしまうというお話。仕事をさぼりながら、言葉にならないほどの不平・不満を抱えながら仕事をせざるを得ず、ひたすらフェンスを建設しながら現場での共同生活を続ける彼らの境遇から、オースターの『偶然の音楽』(新潮社)を思い出すのはこの間WOWOWで映画を見たせい?

 出先で読む本が無くなったとき、あわてて駆け込む書店で良い物が見つからない。でももう疲れてるし、安心できる物を見つけてとっとと帰りたい、という時にこのところ選ぶのが山本周五郎。そんな読み方をしている間にずいぶん増えちゃったけど、今のところ既読のものを買っていないのは不幸中の幸いだ。もっとも既読のような気がして手が出せずにいるのがいくつかあるんだけどね。
 『一人ならじ』(新潮文庫)は戦の明暗を分ける橋をくずさぬために、とっさの判断で自分の足を挟んで見方を助けた男の表題作他を含む短編。ほとんどが地味なれど自らの信じる道を歩む武士やその妻が主題となっている。
 出てくる発想はこの現代にはちょっと当てはまりそうにない様な物が多いんだけど、大抵は何となくわかる。というよりよくわかる。でもたまに理解できない物もあって、「夏草戦記」、「おばな沢」なんかはちょっとわからなかった。
 周五郎は戦前、戦中、戦後とそれぞれの時期にわたって多数の短編を書いている。時代背景と周五郎の思想との絡み合いを考えながら読むのもまた面白いのではないか。そういう論文を書く文学部の青年がいてもおかしくないと思うがどうか。自分ではもう綿密な調査をする気力が残っていないので、もしあれば読んでみたいと思うけどな。

 その文庫棚の変更が原因かわからないが、この間その書店の店長さんだか副店長さんだかが夢に出てきた。絶対あり得なさそうな出版界の寒い話やら、書店業者は客の好みや人となりまで、以外に知り尽くしている、などという話を聴かされて、ちょっとびびってしまった。