読み週記 11月

 

第4週(11/25〜12/1)

 週の半ばから、風邪気味なのか喉が痛い。発熱したり、その他の症状が出てきているわけではないのだが、どうも今年の風邪は大変らしいので、困った物だ。こういうときはゆっくりと布団の中であったかくして、本でも読んでいるのが一番である。
 うーん、調子が戻ってきたかな。

 前回、面白いと思いながら読んではいたけど、なにか煮え切らない気持ちにさせられたジェフリー・ディーバー『青い虚空』(文春文庫)を悩みながら購入。もうしばらくいいや、と思っていたのにこれを手に取ったのは、題材がハッカー同士の対決にあったからだ。
 そういう意味では、期待を裏切らない一冊。下調べが十分に行われているのを伺わせる内容で、情報満載、ネット世界が怖くなることうけあいだ。ハッカーの生態やその世界がうまく描かれていて、ミステリやサスペンスを読みながら、そういう職人達の世界を読んでいく楽しさは、ディックの小説の面白さの一端に通じるのは確か。が、一方で「やっぱりな」と納得というかがっかりというか、ぐいぐいと読んでいく感覚以外に、サスペンス小説を楽しむ方法が今ひとつわからない。そういうものだ、と思って読むタイミングを選べばいいということなんだろうか。

 やっぱり北村薫は抜群に巧い。『盤上の敵』(講談社文庫)は巻頭にノベルス版の前書きがそのまま載っていて、それを読んで一回買い控えたものの、やっぱり読むことにして正解だった。
 前書きでは「今、物語によって慰めを得たり、安らかな心を得たいという方には、このお話は不向きです」と書かれていて、これは主要な登場人物の体験が読み手によっては相当しんどい場合があるための前書きであることが後にわかる。これを読んで一旦買い控えたということは、俺の中にも物語に慰めを得たい、という気持ちがあったんでしょうか。
 実際には、個人的には読後感も悪くなく、むしろその巧さにほれぼれとしてしまう。物語は我が家に突然猟銃を持った男が立てこもっていた、という自体に遭遇したテレビ局の職員が、テレビの特ダネを利用して、なんとか屋内に残された妻を救おうとする物語。じっくりと迫るような序盤〜中盤の展開と、二転三転する終盤のスピード感のメリハリも見事だし、今、これほど嫌みが無くうまい本格ミステリを書ける日本人ってめずらしいんじゃないかと思う。本格物って門外漢なので根拠はないけど。スッキリとした文体からは表面的にはうかがえない、物語へ読者を巻き込む力がすごい。ただ、怖くて万人に勧めづらいのは微妙。

 文庫の読者ではあるけど、今では北原亞以子の新刊を見るとワクワクしてくる。周五郎にも似た、約束された安心感がある。一定のマンネリズムがあるし、「クサい」ととる人がいるのもわかる。『おひで』(新潮文庫)は、引退した定町廻り同心森口慶次郎を主人公にしたシリーズの文庫版最新作。慶次郎だけでなく、お馴染みの脇役達も愛着が湧くキャラクターばかりだし、巻末の対談にもあるように、彼らのいる江戸の町自体が本当に魅力的で、むしろこの江戸の町が主人公と言ってもいいのではないか。
 北原文学の魅力は、スっと話に入り、読者の気持ちをいいようにもてあそんだ後、またスっと抜けていく感じ。これが快感なのだ。一つ一つのエピソードに過去があり、未来があるが、あえてそれをスッキリと切り取って読ませるところにミソがある。報われない自分を抱えながら、一筋の希望にすがりたくなった女の淡い想いを描いた「風のいたずら」の最後一文を読んで静かーに喜べた人なら、北原文学との相性は抜群である。

 少しずつ読めるようになってきた。この勢いで年末年始の休みに突入し、だらだらと読みながら年を越していきたい。

 

第3週(11/18〜11/24)

 リハビリ中。少しは読めるようになってきたけど、日々の生活に横たわる不全感みたいなものが、読書の中にも忍び寄っているような気がして、気のせいかも知れないけど、まだまだ復活していない気がする。

 大した基準もなく、未読の山から薄目の本をリハビリ用に。リハビリに読む様な本でないような気もするし、リハビリ向きのような気もする微妙な中編、ポール・オースターの『幽霊たち』(新潮文庫)は、中編を無理矢理一冊の本にしてしまったかのように、解説がたっぷり。ただ解説もつまらないわけではないので、別に損をした感じはないけど。
 「まずはじめにブルーがいる。次にホワイトがいて、それからブラックがいて、そもそものはじまりの前にはブラウンがいる」という書き出しがいい。物語は、私立探偵のブルーが、ホワイトから受けた謎の依頼、「ブラックを見張り続け、それを報告する」というただそれだけの事で推移していく。オースター独特の、熱病の中での現実と妄想が入り交じったような不思議世界の中で、たんたんとした物語が粘っこく進んでいく。あえて色の名前ばかりの主要登場人物。軽さのある文体と、どっしりと重たいストーリーの組合せが独特。

 久しぶりにまた出てきたローレンス・ブロックのマット・スカダー・シリーズ『慈悲深い死』(二見文庫)は、自分がアル中であることを認めたスカダーの復帰作。前前作『100万の死にざま』(ハヤカワ文庫)で自分の問題と初めて向き合うことになったスカダーは、アル中探偵から、アル中と闘う探偵になった。前作『聖なる酒場の挽歌』(二見文庫)では、まだアル中時代の事件を振り返るスタイルだったのが、今回からついに新しいスカダーとなってシリーズが次のステージへ進んだことが示される。
 知人宛のメールにこの本の話題を書いたばかりなのだが、スカダーが酒を断って生きていくこの作品になって初めて、アル中探偵のシリーズの中でアルコールが大きなテーマになっているように思う。かつてスカダーは自らの苦しさをアルコールによって紛らすことによって、過去の傷や自身の問題と向き合いながら向き合いきれない人間だった。ところが今回から、そのアルコールから距離をとることで、過去や自分自身と向き合うスカダーが改めて描かれることになるのだろう。その1作目となる今作では、初めてアルコール、酒がどこかポジティブに描かれるようになったように思う。それは酒が何かの代理としてでなく、そのもの、一つのオブジェクトとしてスカダーによって捉えられているためではないか。

 冬になってコートの季節。毎年のように書いているが、この季節になるとコートの内ポケットに文庫本を忍ばせることが出来るようになって本当に便利。ますます手ぶらで移動したくなる。

 

第2週(11/11〜11/17)

 不読症依然キープ。リハビリ期間に入った気もするけど、相変わらず本を読み進めない気がする日々が続いている。本を読みたい、という気持ちが萎えたわけでは決してないんだけど、むしろ読みたい本も一杯あるのに、どうも進まない。一体なんなのか。

 ジャイルズ・ブラント『悲しみの四十語』(ハヤカワ文庫)は、カナダを舞台にしたサスペンス。妻はうつ病で入院し、娘は美術の勉強に渡米している刑事カーディナルが主人公。が、彼には犯罪者への内部情報リークの疑いがあり、特別調査室のデロームは調査室から刑事部に移籍したとして、カーディナルと共に連続殺人事件を捜査しながら、カーディナルへの調査をも平行して行っている。
 冬の極寒のカナダが舞台になり、全編を冬の寒く暗いトーンが覆っているが、必ずしも陰鬱なわけでもなく、落ち着いた物語の中から、犯人の異常な心理が浮き上がってくる。駄作とは言わないが、特に目新しい物も感じない一冊。

 アーシュラ・K・ル・グィン『言の葉の樹』(ハヤカワ文庫)は、惑星アカに派遣された観察員サティの物語。文明が進んだ宇宙世界の人々を迎え入れた惑星アカは、独自の伝統的な「語り」の文化を捨て去ることで、外の宇宙文明に加わろうとしている、という世界背景。主人公は失われつつある「語り」の文化を求めてゆく、という物語だ。
 示唆に富んでいて、読み応えのある作品ではあるが、これは作者の<ハイニッシュ・ユニヴァース>という一連のシリーズの中に位置する作品である事が、解説で明らかになる。世界観が飲み込みにくかったのはそういう理由もあったのか、なかなか背景が理解できずに苦労した。
 この作品一作を見ても、優れた物であるのは確かだが、むしろ解説を読んだこととあわせて、ル・グィンの著作をしっかりと追いかける必要があるのでないか、という気が強くした。ル・グィンの思索が発展していく過程に一連の作品はあり、「好みの作家」としてル・グィンを挙げるのであれば、その流れをしっかりと追いたくなってしまう。文学部の学生の論文向き?
 かつて俺は一つの世界の歴史を丸ごと、それこそ伝説の古代から現代、未来に至るまで、 まとめて創作する、という集まりを作りたいと思ったことがある。歴史という視点から人間を考える、みたいな意味があったんだと思うけど、地球を丸ごともう一つ創造してしまうというか、一つのプロジェクトとして世界を丸ごと作ってしまう、という野望だ。ル・グィンがやっていることがそれに通じるのかどうかはわからないが、彼女は作品を作り上げ、シリーズを気付いていく中で、人類の歴史、自身の歴史に対する想いを深めているように感じるのだ。それは物書きとしての一つの贅沢な野望と言えるのではないだろうか。

 今週は2冊だけど、これらはどちらもこの数週間をかけて少しずつ読んできた物。一冊の本をあんまり時間をかけて読むのはもったいない気がします。

 

第1週(11/4〜11/10)

 またもや予告し忘れたけど、先週は月曜祝日のため更新がお休み。一週開いての読み週記なれど、なんと今週も読み終えた本が一冊もない。実は更新をお休みした先週も一冊も読み終えておらず、雑誌のみで週を終えた2週間前と併せて、3週連続で一冊の本も読み終えていない事になる。つまりあの頃読んでいた本をまだ読んでいる、ということ。

 これはなんだか緊急事態なのではないか。高校生並の読書量に減っている、ということであって、実際に夜だろうが昼だろうが、いっこうに読書が進まない。それに伴ってなのか、書店に行っても今ひとつ食指が動かなかったり、なんとなく買わずに少し待っている内にその本を逃してしまったりしている。

 実際に地域の書店で買えるような文庫の新刊中は、あっという間に店頭から姿を消してしまったり、その本のことをしっかり覚えていないと、平積みから棚に移動して探せなくなってしまったりするので、「これ!」と思ったら買っておくのが基本。調子が悪いとそんな事も忘れがち。一体何が起きたというのか。全くわからない。今読んでいる本がつまらないかというと、決してそんなことはなく、どちらも秀作だと思えるのに、いっこうにそれが読み勧めないとはどういうわけか。

 これは「不眠症」ならぬ「不読症」というものだろうか。あるいはたんにこのところパソコンの使い過ぎなのか。理由はわからないが、ダラダラと無駄話を続けたのみで今週の読み週記は終了である。いかん。