読み週記 12月

 

第1週(11/28〜12/3)

 本の収納というのは本当に大変な問題だが、同時に楽しい作業でもある。楽しいというか、自分が貴重な宝物を持っている、というのを再確認する作業であるように思う。今の時代、本というのはたいへん効率の悪い情報媒体であるのにかかわらず、少なくとも俺にとっては体と心に馴染み、確かな満足をもたらす媒体でもある。友人との話に出たが、えらくアナログな物なのに、それがこれだけ息づいている、というのが素晴らしい。同時にこの媒体が多くの人々にとって同じように馴染む媒体であることを切に願っている。漫画がデータになったり、本が端末で読めるような時代になっている。「それでもやっぱり本はこの形がいいよね」と考える人が減らないことを。

 森絵都、という作家に出会ったときの衝撃を今でも覚えている。児童文学の作家として出会ったが、ベタといえばベタ。ひねくれもののはずが、あれよあれよという間にすっかりその魅力に取り込まれている。それでもそのストレートな「いい話」を読むことにどこか抵抗があって、たまに手に取るものの、熱心に追いかけるようなことはなかった。
 文庫の新刊に森絵都『つきのふね』(角川文庫)を見つけたとき、単行本として書店に並んでいるのを見ても手を出さずにいたときのことを思い出した。それでも買わずにいることがどうしてもできなかった。そしてやはりその世界に、素直に、取り込まれていくことを避けることができなかった。そうさせる森絵都のマジックはなんなのだろうか。この『つきのふね』に出てくる重要な登場人物の1人、勝田君、こそがその正体なんじゃないかと思う。物語を魅力的にし、かつストーリーの強烈な推進役となってるこの少年は、考えが浅く、独りよがりで強引、そして迷惑極まりないしつこさがある。だが同時に、自分が大事にしているものを信じて、それを守るため、得るために迷いなく前に進んでいく。愚直で、恥ずかしいを通り越しておかしな人だ。でも、その愚直さで、周りの人々が求めているものを確実についている。そう。森絵都の世界に、そのベタとも思える気恥ずかしさは、実は誰もが求めているものなのかもしれない。

 このところ、自分が本、特にフィクションを楽しんでいることに罪悪感を感じる。罪悪感というのは違うか。それを楽しんでいる自分がいけないような気持ちになるのだ。でも俺は本を読み続けているし、自分の核のどこかに、この本を読むことが含まれている。
 自分でいる、というのは難しい。