読み週記 8月

 

第4週(8/25〜8/31)

 ようやく夏が来たと思ったら新学期。早くも電車が混みだして、ますます車内で本が読みにくくなってしまった。なんということだ。

 ディボール・フィッシャー『コレクター蒐集』(東京創元社)はなんとも不思議な小説。主人公は古代の時代から生き続け、様々な人間を観察し、記憶の中に蒐集してきた骨董品。現代の美術鑑定家の元に預けられた「彼」は、「彼」を蒐集し、また使用してきたコレクターやそれにまつわる人々を「蒐集」している。
 この物語は、そんな「彼」の視点から語られる様々なコレクトされた人間たちの挿話に装飾された純愛を求める美術鑑定家の物語であると言えるかも。大筋にはほとんど自ら関与することなく、観察者としての骨董品の皮肉な視点が楽しい。

 文庫化されたオーソン・スコット・カードの『消えた少年たち』(ハヤカワ文庫)の上巻。アメリカ西部から父親の仕事の都合で南部のちいさな街に引っ越してきた家族の物語。両親は誠実さや善良さを大事にする信心深いモルモン教徒で、望まぬ職場、生活環境に脅かされることになる。そんな環境のなかで、彼らの愛する子どもたち、特に長男のスティーヴィーに、大きな変化が訪れる。真面目(決して生真面目、というだけではない)モルモン教徒の二人が出会う様々な葛藤は、なにも彼らのだからこそ味わうようなものではなく、読者の誰もが怒り、心を揺るがされるような出来事によって引き起こされている。果たして下巻はどのように進んでいくのか。

 慣れ親しんだ自分自身がちょっとしたことから変化していくことはしばしばある。ただ漫然と生きていくのは容易ではないし、何かに出会わない人生はない。何かに共感し、突き動かされる人が、電車のあちこちにいるのだ。

 

第3週(8/18〜8/24)

 今週は色々あって週末に本が読めなかった。それこそ1文字も。珍しいこともあるものだ。よって読み週記にもなにも書く本がない。大変だ。そうでもないか。

 本格的に暑くなってきて、外にいると色々やる気がない。しかもクーラーのせいでどうもスッキリ眠れていないのか、夜もすぐに眠くなってしまうことが多いし、かといって電車に乗ると暑くてなかなか本に集中できない。そんなことをしているうちに、本を読む時間が全然ない事に気付いて愕然としてしまった。電車読書と夜読書、この二つが俺の読み時間のほとんどを占めてるんですね。

 どうも、休みの日にゆっくり読書、という習慣がないのか、よっぽど長い連休でもないかぎり、本を読んで休みの日中を過ごすということがあまりない。夜とか電車の大半の時間を本に費やしているので、休みの日の日中にも本を読むのが申し訳ないというかもったいないというか。あれだけ普段本を読むことばっかり考えているのに、それ以外の時間も本に使うのはなにごとか、と勝手に思うのである。かといって何か意味のあることを休みの日にしてるのか、というとそうでもないんだけど。

 俺は特に本を読むのが早いわけではないんだけど、「よく本を読んでいる」とか「たくさん読んでる」と言われることが時々あるところを見ると、よっぽど生産的なことや、日々の生活に必要なことに時間を使っていないかがわかる。こんな人生でいいんでしょうか。

 

第2週(8/11〜8/17)

 近所の本屋がつぶれるほど哀しいこともなかなかない。俺は幸せなことに近所に本屋があって、学校帰りから仕事帰りまで、ただまっすぐ家に帰るのが悔やまれる様な日(大半だけど)には必ず寄って、新刊の棚などを見渡している。店員さんが俺の顔を知っているかどうかは知らないが、個人的な馴染みの店だし、定期で雑誌を取ったりもしている。便利なのも確かだが、駅前に本屋がある、という日常が大事なのだ。
 確かに近頃amazon.comの利用頻度も増しているし、文庫の棚の並びが代わったりで、バイトの顔ぶれが変わって、ちょっと頼りなくなったり、その本屋が少し使いづらかったり、購入する値段がちょっとだけ下がったりはしているかも知れないが、 それでも大事な店であることには変わりない。あそこはそう簡単につぶれたりもしないと思うけど、「馴染みの書店」、「近所の書店」が店じまいをする、という話を聞くたびに空恐ろしくなる。

 川端裕人『夏のロケット』(文春文庫)は、高校生時代に「天文部」の看板の元、自作のロケットを飛ばすことに夢中になっていた若者たちが、社会人になって、それぞれの思惑と尽きせぬ宇宙(火星)への想いから再び同じ目的で集まり、ロケットの打ち上げへ邁進していく顛末を描いた物語。ベタといえばベタだし、甘ったるいと言えば甘ったるい。素人臭い作風を、ミサイル開発の一助とならざるを得なかったロケット開発者たちの歴史や、自作ロケットのディティールにくるんでそれなりに読ませる。「大人になっても持ち続けている夢」みたいなテーマって、読んでいても恥ずかしくなるんだけど、なんとなく捨てがたい魅力を持っているのも確かで、少年の心が呼び覚まされる感覚。自分にはあんな熱い想いは全然なかったような気がするけど、心のどこかにはそんな想いもあったんじゃないか、とか、今でもそういう気持ちがあるんじゃないか、という錯覚(?)に浸れる。大人の童話、もしくは青臭いほどの興奮に満ちた児童文学。

 俺は本を読むことで特別賢くもならないし、さほど情感豊かな人間に育ったわけでもないようである。たんなる楽しみとして本を読んでいるだけで、それで十分。だから人に「本を読め」と言うつもりもないし、読みたくない人は読まなくていいんだろうと思う。いくらでも世の中には楽しいことがあるし。
 ただ、身近な人が「最近本を読まなくて」とか「本を読むのはそんなに面白くない」と言ったり、「人々が本を読まなくなった」なんて話を聴いたりすると寂しい。「別に本を読むなんてどうでもいいこと」と前置きした後で、「でも、この本けっこう面白いと思うんだけど…」と薦めてみたくなったり。弱小書店、取次がつぶれまくる昨今、本読みの生存本能がそうさせているのかどうか、よくわからないけど。

 

第1週(8/4〜8/10)

 未読の本のは、一カ所にまとめて置いてある。池袋の本屋巡りを年に何度か行うようになってからの習慣だ。買った本は大型書店の大きな紙袋の中にどんどん放り込んでいく。こうすると、いわゆる買い置き本がどれくらいあるかがわかるので便利だが、時折、この買い置き袋の中に入ったまま長いこと読まれない本がある。その時に「これは」と思って買ったんだろうけど、実際に次に読む本を探していても、なんとなく手に取らないままになる。
 専門書の類にもこういう物が多くて、専門書は読まれずに本棚に収納されることもある。なんとなく気になったままになっている本の多いことと言ったら。

 ジョー・R・ランズデール『テキサスの懲りない面々』(角川文庫)は、ストレートの白人ハップとゲイの黒人レナードのコンビの久しぶりの新作。レナードと共に警備員として働いている工場で、襲われている女性をハップが助けたことで、彼らは考えもしなかった旅行に出ることになる。のんびりバカンスの船旅になるはずが、やはりやっかい事を抱え込むことになる、というのが今作のストーリー。
 一つ一つの物語を続けていく中で、このシリーズも着実にシリーズとしての展開が進んでいる。この『テキサスの懲りない面々』で、ハップとレナードの生活は大きな変革期を迎えることになる。ランズデールがこれによって、シリーズの節目、転回点を作ろうとしたのか、あるいはシリーズに一端の幕を降ろすべく、考えられたものなのかはわからないが、前者であることを強く祈る。

 未読のまま読まれずにいる本。実は枕元にも何冊かある。読みかけだったりするものも多いけど、こういうのは一体これからどうなっていくのか、全く持って目が離せない。