読み週記 9

 

第4週(9/24〜9/30)

 夢の夏休み計画は休むなりの風邪により、あえなく頓挫した感がある。結局風邪で寝込んでいたので、寝転がって本を読み続ける生活になったのは同じようだが、今ひとつ夜の読書がはかどらず早めに眠ってしまったため、悔いが残る夏休みに。予定した本の半分くらいしか読めなかった気がする。

 長い休みに集中して読めるので、今まで手を出せなかった山本周五郎の『樅ノ木は残った』(新潮文庫)上下巻に取りかかろうと思ったのに、いつも置いてある書店にこんな時に限って置いていない。世の中そんな物かとあきらめの心境で、『ながい坂』(新潮文庫)の上下巻に切り替える。
 子供の頃の衝撃的な体験をスタート地点にして、藩の中で異例の出世をする三浦主水正が主人公。藩内での大工事を目指すことから藩内の重要人物として成長していく物語。果てしなくストイックな自制と自省の精神が際だつキャラクターで、必ずしも好感を持つわけではない一方で、やはり一つの道を追い求める者の魅力がある。
 脇を固めるキャラクターの造形や、巧みに織りなされる藩の歴史の中に埋もれた秘密の描き方など、どっぷりと浸かって読みふけるには抜群の傑作。山で暮らし、酒を飲みに町に降りてくる、傍観者的なポジションから物語に絡む大造のキャラクターを使ってのテンポの作り方など、技巧的にも成熟の先にあるゆとりが感じられる。ただし、解説にもあるとおり、周五郎の持つテーマについて考えるには、『樅ノ木は残った』と『虚空遍歴』(新潮文庫)をしっかりと読む必要がありそう。

 早川のepi文庫が海外文学の佳作をラインナップしている。配本の一覧を眺めると、ずいぶん映画化されている作品があることに驚く。そんななかでも、映画化するには二の足を踏みそうな雰囲気の、ボリス・ヴィアン『心臓抜き』(ハヤカワ文庫)は、過去を持たず、まるで物語の始まりにポンと放り出されたような精神科医のジャックモールが主人公。自らの空虚な中身を埋めるために誰かの精神分析をしたがる彼だが、たまたま通りかかった家で出産を手がけたことから、不思議な町と子供の親達に囲まれて、幻想的な、悪夢的でもある日々を過ごす。
 こちらも、解説から様々な言葉遊びが使われていることがわかるが、フランス語なんてまったくわからない読者は内容で楽しむしかない。町の人々の描写や、次第に強迫的な子育てに陥っていく母親の姿など、その独特の世界観に飲み込まれるうちに、高熱にうなされるような感覚にはまっていく。流れていく時間の中で徐々に何かが失われていく、もしくは追い込まれていく。

 18世紀のロンドンに住む元拳闘士のユダヤ人探偵が、事故死と思われていた自分の父の死因が関わる事件を追うことになる『紙の迷宮』(ハヤカワ文庫)上巻では、紙幣、証券といった新しい経済が押し寄せて変貌していくイギリスの姿が描かれている。時代背景によってもたらされた雰囲気が端々にうかがえて、初めのうちに感じる登場人物達の感覚が、読み進むうちに自然と入っていくようになる。
 まだ上巻だけなのでなんとも言えないが、そんな背景の構成は巧み。裏では盗賊団のボスである盗賊捕獲人ジョナサン・ワイルドの悪役ぶりが秀逸。

 これでまた暫く長い休みはない。年末年始の休みにのんびり本ばかり読んでいるわけにもいかなそうだし、またどうやって読書時間を捻出するかを悩む日々が始まる。

 

第2週(9/10〜9/16)

 一週間くらい休みが取れるとしたらどうやって過ごすか。人によっていろいろあるが、食事以外は布団に入ったまま、本を読み続け、いつの間にか寝てしまい、起きてまた本を読む、という生活がただ続く暮らしをしてみたい。実際にそんな休みがあってもなかなかそうは行かないだろうことが目に見えているだけに、一種の理想だ。一週間休んだ後はまた日常が帰ってくるので、それを思うと、読書だけで休みを使ってしまうのがなんとなく惜しくなってしまうのだ。貧乏性と言えるのかわからないが、そんな自分が少し悔しい。

 映画『ワイルド・アット・ハート』も『ロスト・ハイウェイ』も観たことはないけど、バリー・ギフォードの名前はどこかで聞いたことがある。どこで聞いたのか全くわからぬままに『ナイト・ピープル』(文春文庫)を手に取る。走り出しはわけがわからなくて戸惑ってしまうが、じきにやり方がわかってくる。女子刑務所を出所したレズビアンの2人組から連作短編は、登場人物達が微妙につながりながら進行していく。なんともやりきれない人々の物語。こういうのは、ちょっと試してみる、くらいではなかなか味わいきれない世界。ディープに入り込む覚悟がある人はどうぞ。

 1ヶ月くらい休みがあるとしたらどうするか。答えは同じ。やっぱり布団にこもりきりで本を読み続ける生活がいい。仕事も勉強もなにもかも考えずにただひたすら本を読む。疲れたらテレビで映画やサッカーの一つも見て、ピアノでも弾いて、また本に戻る。ひたすらそんな生活を続けてみたい。そのための本を買い込む事を想像しただけでもなんだかわくわくしてくるではないか。

 

第1週(9/3〜9/9)

 子供の頃、台風が近づいてくると学校が休みにならないかと期待したのは、誰にでもある思い出だと思う。北の方に住んでいる人ならあまり期待できないだろうし、南の方の人なら、それほどのんきに台風を待っていられないかも知れない。
 今になると、台風で仕事が休みになったりはそうはないので、逆に台風が嬉しくない。仕事に行くのが面倒、というだけの事になる。嵐の音を遠くに聞きながら、思いがけぬ休日を堪能しつつ、家で本を読んでいる、というのがいい。

 イングランドのサッカーチームの選手が、やってもいない痴漢行為で訴えられた事件の捜査を依頼されることになった新米探偵が主人公のミステリ、『オウン・ゴール』(角川文庫)の著者、フィル・アンドリュースはスポーツジャーナリスト。サッカーの母国の人々の熱狂ぶり、サッカーが自然に生活の中にあるその姿や、経済の論理に支配されつつあるサッカー界の現状、選手のスキャンダル、など、ジャーナリストらしい視点がふんだんに、リアルに描かれているのはさすが。
 ハードボイルドの小説や映画を参考にして、探偵としての自己像を作り上げていく、という設定が今更な雰囲気も醸し出しながらも、主人公のキャラクターも及第点。古き良き時代に思いをはせるクラブの総務部長が共感を呼ぶ。主人公が関わるチームは架空のチームだが、その相手として実在のチームが出てくるのはご愛嬌。

 ロバート・B・パーカー『過ぎ去りし日々』(ハヤカワ文庫)を読んでる期間中、ずうっと頭の中が菊池光。パーカーは「スペンサー・シリーズ」以外は特に読まなくても良いと思うんだけど、菊池光が読みたくて手に取ることになる。恐るべき伝染力。好き嫌いはあると思うんだけど、はまる人ははまるはずなので、誰もが一回は試してみて欲しい。あんまり入り込まない、ちょっと突き放した冷めた感じが、あとから情感を呼び覚ましてくれる。

 台風に限らず、雨が降るときの問題は、傘を持たなくてはならないので、本が読み辛いことだ。恐ろしく長い年月を雨とともに過ごしていながら、未だに人類が傘を手放さないのはどういうことなんだろう。