読み週記 6月

 

第4週(6/26〜7/2)

 こう暑くなってくると何にもする気が起きない。こんな時期はクーラーのきいた部屋でのんびり本でも読んでいるのがいいのだが、我が家のクーラーがある部屋はあまりのんびり出来ない状況にある。その理由についてはあえて触れない。

 ダン・フェスパーマン『闇に横たわれ』(ハヤカワ文庫)は内戦下にあるサラエボを舞台にした異色のミステリ。何だか怪しげな舞台に惹かれて買ってみたものの、本当に訳が分からなくてさっぱり。だいたいニュースで観てもサッカーで話を聞いてもあの辺の地域は何がどうなっているのか把握するのが大変。実に混迷を極めた地域であって、そこを舞台にしたこの小説には世界を生かした物語が展開されているんだけど、さすがに無知な俺にはやや厳しい部分もあった。もっともミステリ自体は並。もうちょっと設定を生かして面白い話がかけてもいいような気がするんだけど、俺には絶対に出来ないのであえていわない。面白くはないんだけどね。ちょっと辛かった。

 『本の雑誌』(本の雑誌社)の7月号の目黒考二「笹塚日記」、坪内祐三「読書日記」双方ともに話題がゴールデンウィーク進行であるあたり、雑誌の世界の不可思議な時間差がせまりくる。ホントになんでそんな流れを把握できるのか判らない。それにしても鏡明は句点が多すぎるぞ。
 面白かったのは島村洋子の「足踏みミシンと小公女」だ。こういうのを「巧い」というかどうか判らないけど、俺の好みに合うんだよなぁ。

 青木光恵『働くお嬢ちゃん』(文化社)は高校時代からの友達のバイクで事故ってしまい、体は大丈夫だったものの学生には厳しい3百万円の借金を背負ってしまった主人公が、いかにそれを返済していくか、という物語。序盤戦はなかなか無茶で面白かったけど、落ちに関してはどうかと思う。「結局そこに行っちゃうんだ」という不完全燃焼な読後感が悲しい。

 押井守と藤原カムイによる『犬狼伝説』(角川書店)は今公開されている映画『人狼 JIN−ROH』を含めて、押井作品の中でもメジャーになりきれない一連のシリーズの一部。声優の千葉繁が主演した映画『紅い眼鏡』、『ケルベロス』を観たのはいつだっただろう。まだ中学生か高校生だったと思う。
 ゆうきまさみを原作者として押井スタッフが取り込んだ『パトレイバー』シリーズが好きだった俺が押井守って人は何だか変な人なのだ、と理解したきっかけになった映画だ。いったい何がどうなっているのかさっぱり判らないのに、偉く印象的なシーンや台詞が目白押しだった気がする。コンセプトも判らなければ、人選も意味不明。「立ち食いプロ」のアイディアは絶品だと思うけどね。

 今週はマンガと雑誌がいっぱい。行数が稼げていいなぁ。

第3週(6/19〜6/25)

 読めない日々もついに佳境に突入。日々の生活に何のゆとりもない。ああ忙しい忙しい。

 今週はジェニー・サイラー『イージー・マネー』(ハヤカワ文庫)の1冊のみ。たった1冊なので丁寧に書きたい気もあるが、肝心の中身がいまいちなのでどうも気が乗らない。運び屋の女性、という主人公の設定は悪くないが、仕事の依頼主との関係もどこか煮え切らない中途半端さが伺えるし、黒幕が序盤戦で見え見えになってしまっている部分もちょっとマイナス。回想シーンをたびたび突然挿入する手段も、どちらかというと映画的描き方っぽくて思ったほどの陰影を作品に与えることには失敗している。主人公の移動の過程がロード・ノベルっぽい味を出しているところがミソかな。

 そんなわけで、今週はこれにて打ち止め。ああ忙しい忙しい。

第2週(6/12〜6/18)

 もちろん今週もチョー駆け足。先週はそんなこと言っておいて結構書いちゃったんだけど、今週は早いぞ。冊数も少ないから。

 ポール・オースター『リヴァイアサン』(新潮社)は評価が難しい作品。個性ある登場人物たちが実に魅力的で、特に語られているサックスのキャラクターが圧倒的に面白い。序盤に触れられる彼の著作『新コロッサス』も絶対読んでみたいし。ただそれだけに彼がその後進んでいった方向はちょっと不満。多分評価の分かれるところであるし、書き手の力不足による物ではないはず。
 ところでこのサックスという人物。色々な過去の芸術家を想起させる部分があるのか、読者によってブコウスキーやジョン・レノンを連想させるらしい。ソニー・ロリンズを連想するのは「サックス」、「新コロッサス」から『サキソフォン・コロッサス)を連想しちゃうからだと思うけど。

 久しぶりに『まんがくらぶ』(竹書房)を読む。この本はたいてい友達の家に行ったときに読み弱った雑誌の山から盗んでくるという経路で俺の元にくるので、たまに全然読まないでいたりする。久しぶりに読んでみると、ずいぶん面白くない漫画が増えちゃった気がするのはなぜだろう。

 『COMIC CUE』(イースト・プレス)は江口寿史が企てて、毎回あるテーマを元に江口寿史の好きな漫画家が短編を書いている雑誌。みんな好きなことやってるんだろうけど、それだけにわかったりわかんなかったり。それが味なんだろうけどね。今回俺的に一番はトップのおおひなたごう「死神魔球」。ずるいけど。

 その江口寿史『キャラ者』(双葉社)は、『週間アクション』(双葉社)で連載されている(ていた?)江口寿史の同名漫画の単行本。1回1回がすごく短いので、1冊になるのに2年かかってるらしい。だからできたんだろうけど、それでもたまにすっごい手抜きがある当たりが江口。見捨てない双葉社は偉い。

 以上駆け足でした。

第1週(6/5〜6/11)

 今週はわけあって駆け足である。理由については更新日記を参照のこと。読んでる暇もなければ書いてる暇もない。今週と言うよりも、今月はもうだめである。

 綾辻行人『十角館の殺人』(講談社文庫)は薦めてもらった本。普段こういった本格ものを読まないのには理由がある。少年時代からの読書歴を省みるに、以外に昔は精巧なトリックをこらした本格ものをよく読んでいた。それをなぜ読まなくなってしまったのか。その理由は簡単である。推理小説を読んで、犯人や謎を解いてしまう人がいるという衝撃の事実に気がついたからなのだ。
 昔からミステリを読んで謎を解くのが異常に不得意だった。トリックが精緻であればあるほど、細かいところを読み落としていたり、ありとあらゆる著者の仕掛けに引っかかって最後まで犯人がわからない。だから、ミステリというのは途中で犯人が分かったりはしないものなのだと思っていたのだ。
 ところがどうだ。実際は途中で犯人が分かって興ざめになった、なんて読書歴を持っている人がいて、よく考えれば謎が誰にも解けないわけがない。著者と読者の知恵比べなわけでつまりは俺は連戦連敗だった、というだけのことである。
 そんなわけで謎やトリックよりもストーリーや登場人物に力点を置くミステリやハードボイルドに流れていったわけで、もちろんそこでもやっぱり犯人は分からないんだけど、それはそれで楽しめてしまうというところに安住していたのである。
 それではいかん、と思い立って、薦めてもらったのをいいことに『十角館の殺人』に挑戦。相変わらずさっぱりわからなかったけど。
 若手の国産ミステリを読んでもう一つ納得がいかないのは、人物造形が稚拙で興が冷めてしまうのが意外に多いことだ。 これを読んでもやっぱりどうも納得がいかないと言うか、謎の提示にあまりにも力点が置かれすぎているように思えて今ひとつ消化不良。登場人物に魅力がないし、あれだけの殺人が起こるには動機が今ひとつ弱いんでないだろうか。
 それでもなおこの物語を読み進めてしまう魅力の秘密は、「十角館」というなんとも無理矢理な設定が「孤島の殺人事件」というシチュエーションと相まってパズラー心をくすぐること。綾辻行人はこの手の設定が大好きで、『ナーバス・ブレイクダウン』でたがみよしひさがパロディにしていたのをよく覚えている。本当に冗談みたいな設定なんだけど、決してその小道具に頼ることのない文章自体に仕掛けられたトリックは秀逸。クリスティ意識しまくりみたいな若い作品ではあるものの、やっぱりうまく使ってるなぁ、という思いは否めない。どんなに批判しても納得したら負けである。同じ著者のもっと人物造形に深みのある作品がもう一度くらい試してみたい気がする。本格熱が持ち上がったりして。

 隆慶一郎『風の呪殺陣』(光文社時代小説文庫)は久々の隆作品。でもないか。その短い小説家人生故に数少ない完結した長編に巡り会えると、多少面白くなくてもうれしくなる。あんまりいいことではないけれど、そのテイストに出会うだけでとりあえずの幸せを感じることの出来る作家が何人かはいるのだ。
 元亀2年の織田信長による叡山の焼き討ちから物語はスタート。主人公はその叡山の修行者昇運と公人衆の谷ノ坊知一郎だ。それぞれがそれぞれの思いを持って憎き悪魔として描かれる織田信長への復讐を志す。
 隆作品に欠かせない「道々の輩」の仲間入りをする知一郎に比べて、昇運の「暗さ」が全編にわたって隆作品には珍しい陰鬱な雰囲気を醸し出している。
 だが、その暗さを一段と後押ししているのが織田信長の存在ではないだろうか。物語によって色々な描かれ方をする歴史上の人物たち。信長は時として快男児として描かれたり、婆娑羅者の奇矯な若者として描かれたりする。だが、この叡山の焼き討ち、その後の門徒衆の虐殺などが、信長の伝説に暗さをもたらしている様に思えることがある。その「暗さ」が他の作品にはないような陰影をもたらしているのではないだろうか。

 全然本が読み進まない。それでも本は増えていく。困ったことだ。