読み週記 7

 

第5週(7/30〜8/5)

 どういうつもりなのかわからないが、今週はいったい何を読んだのかさっぱり覚えていない。このところ同時進行が多いので、把握できていないのだ。過去は振り返らない方向で覚えている文だけ書く。

 北原亞以子のうまさは出だしにも見える。「また、音を立てて雨が降り出した」という様に、あっさりとした言葉で情景を描き、一気に作品の中に読者を引き入れていく。すっきりした平易な文章ですんなりと物語に入れるので、それが北原亞以子の短編ひとつひとつの澄んだ読後感につながっている。
 短編集『降りしきる』(講談社文庫)は、新撰組の芹沢鴨の女を主人公にした表題作から始まる。主人公の男の悲しさに共感させる処女作の「粉雪舞う」を含め、どれもが質の高い名作揃いで、特に一度捨てた絵筆を再び握ることになる絵師を描いた「満開の時」、江戸までの六里が遠い「たかが六里」が素晴らしい。北原亞以子は男性を描くのが巧みで、いつも強烈に納得させられる。男という動物の哀しさを知り尽くした女性なのだ。

 ええと、他にも何か読んでいたような気がするんだけどなぁ。まあいいか。

第4週(7/23〜7/29)

 今週は異様に暑くなったり、急に涼しくなったり。奇妙な機構の一週間だった。壊れたパソコンの復旧作業も順調に進み、ようやく落ち着いて本が読めるように。パソコンが壊れて夜ネットにつながなくなり、それによって読書が進むかと思いきや、なぜか異様にこのところ眠くて、夜読んでいてもすぐに眠くなって寝てしまう。様な気がするが実際はそんなことないのかも。

 発行人目黒考二が引退して、新体制に引き継がれた『本の雑誌』(本の雑誌社)だが、我が家には、比較的古いバージョンが残っている。おそらく一桁代、もしくは遅くとも10号近辺、まだ本の雑誌社社員たちが書店に持っていって置いていた時代のものがあるはずだ。あるはずだ、と自信なさそうに言うのは、それが我が家のどこに収納されているのかを誰も知らないからだ。
 その本の雑誌の巻頭コラム、「真空とびひざ蹴り」がまとまって一冊の本になった。『真空とびひざ蹴り』(本の雑誌社)には1979年〜2001年にわたる長い期間分が治められている。初期の頃はまだ俺が絵本くらいしか読めなかった頃のものだ。
 これを読むと、初期の本の雑誌がいかに戦っていた雑誌であるかがよくわかる。とにかく怒っているし、問題提起も攻撃的。徐々に出版界の未来を憂うおじさんの独り言のようになっていったが、バブル期を迎え、それがはじけて以降と、出版界の流れを舞台袖から眺めているような感覚がありおもしろい。電子書籍や流通の問題、廃れていく文学全集など、様々なトピックで本読み達の生活がいかに変わっていったかがよくわかる。ちなみに未だに態度の悪い書店の客は多い。なんとかならぬものか。

 映画を先に見てしまったせいか、なんとなく先送りにしてしまって読まずにいた『羊たちの沈黙』(新潮文庫)をついに手に取る。これでシリーズ3作をすべて読んだことになるが、映画だけではわからないシリーズの魅力がもう一度確認できる意味で価値ある読書体験だったような気がする。これを読むと、続巻『ハンニバル』(新潮文庫)のラスト(映画ではなく原作の)も多少理解できなくもないから不思議。
 今回本書を読むようになったのは、「ハンニバル」を見に行った家人がシリーズを全部読む、と張り切ったため。読まずに置いた本書の訳者が実は菊池光であることを知ってあわてて読み出した。主人公クラリスを捜査に使うことになるクロフォード(本書ではクローフォド)のキャラクターと菊池光の訳がぴったりあっている。

 クーラーで夏の快適な睡眠を手に入れてから、睡眠と読書のジレンマはますばかり。良かったのか悪かったのか。

 

第3週(7/16〜7/22)

 今週はよけいな前置きなしにどんどん中身に入る。それくらい気持ちのいい当たりに出会ったからだ。

 『COMIC CUE』(EAST PRESS)はかつて江口寿史が責任編集していた漫画雑誌。独特のセンスを持つ漫画家たちの作品が集まったアンソロジーで、クセがあるだけに好みも分かれるとは思うが、ここからお気に入りの漫画家を見つける人も多いはず。通巻10巻目にして「VOL.100」とは何事か、と全国につっこませつつ、製本スタイルもすっかり変わっちゃったりして、なにやら不思議な雑誌だ。

 といったところで今週のびっくりどっきりメカ並の大当たりが北村薫『水に眠る』(文春文庫)だった。今週は読みかけの本がやたらと多く、いろんな本を途中のまま読み始めたが、これがやめられない。不覚にも眠気におそわれたりしなければ、長い夜をたっぷり使って読み切りたい一冊。
 恋愛とその周辺で、様々な揺れ動く感情をもてあます人々を描いた短編集。書店で見かけたときは、「いくら北村薫と言えども恋愛ものはなぁ・・・」と全く縁のないわが身を省みつつ敬遠していたのだが申し訳ない。全国に700人くらいはいると思われる、「北村薫は好きだけど恋愛小説はあんまり好きじゃない」という輩は、よけいなことは考えずにとにかく読むべし。そんな売れない中学生みたいなしゃらくさい言い訳はせずに、迷わずこの世界に浸かるが吉。実はこれ、友達に借りたんだけど「恋愛ものって言うか・・・」みたいに、必ずしも恋愛ものではないのよ的ニュアンスにだまされてみてはどうよ!とささやかれた御陰で読むことになった。いやもうただただ感謝。
 一編一編内容を詳しく紹介しながら感想を書きたいくらいの秀作揃いで、特に後半になるにつれてどんどんクオリティが上がっていく。とにかくうまいのなんの。『空飛ぶ馬』(創元推理文庫)以降の「私と円紫師匠シリーズ」で短編の作りが巧みなのは実証済みながら、決してワンパターンでなく、それどころかどの作品も個性豊かで飽きさせない。短編集としての構成もスマートで、一人一人の小さな、大切な感情を決して大げさでなく静かに語る恋愛がらみの短編が続いた後、急速にSFタッチになる作品が続いたかと思いきや、ほのかな想いを読者にわき起こさせる「はるか」で再び気持ちを落ち着かせ、かと思ったら、突然、恐ろしさを内包したような痛みを伴う作品「弟」で心を冷やし、返す刀で傑作「ものがたり」が語られ、「かすかに痛い」で一冊が締められる、というのも構成の妙。 ここまで読者の気持ちを落ち着かなくさせる北村薫の力は驚嘆に値する。いまさらだけど。
 読み進めていくごとに「ああ、小説家になる腕があるなら、こんなものを書きたい」と思わせる素材が随所にでてくる。激しく人の心を揺さぶる物語もいいが、読者のちいさな心の振幅に沿うように、そしてそれを心地よく、時に切なく刺激するような素材を、見事に調理している。そしてそれは同時に、こんなに見事にそれを成し遂げる作家がいるのなら、そこらの三文文士に出番はないよな、とも思わせる。
 なんとまぁ、それにしても「ものがたり」の巧みさはどうか。特別奇をてらった題材でもなく、扱っている想いはきわめて平凡な感情でありながら、北村薫の筆にかかるとそれがいかにも暖かい、美しい出来事であると感じさせられる。「恋愛など所詮は自己愛の投影」なんて陳腐な批判があるけど、「それでいいじゃない」と北村薫の作品たちは語っている。そのささやかな自己愛を大事にすることの何がいけないのか、と。

 といったところで今週はこのまま終わる。もう余計な言葉はいらない。
 

第2週(7/9〜7/15)

 この週末、ついに部屋にクーラーを導入した。積年の夏の睡眠不足解消に向け、秘密兵器発信である。感動。夜寝るときに部屋が暑苦しくない、というのは奇跡に近い。これで夜の読書も遅くまでのんびりできるのだ。

 困ったときの周五郎。またもや購入。どうも気持ちが乗らない時期で、本屋に行っても面白そうな本が見つからない。こんな時は周五郎だ。
 山本周五郎『酔いどれ次郎八』(新潮文庫)は、周五郎の比較的初期の作品。どことなくつたない雰囲気があったり、妙に剣劇のシーンに力が入っていたりするが、一方で、周五郎のエンターテイメント性とか、後の色合いになる人情の描き方の原型が見て取れる。かつて書いたように、周五郎が人々を楽しませることがこのときにもうわかっていたわけで、大作家へとなっていく周五郎の才能がうかがえる。誰もが初めから優秀であったわけではない。が、明らかな「周五郎印」があることこそが、彼が一流になる証明でもあるのだ。

 温度調節のためにしょっちゅう止まったり動き出したりする物の、クーラーの間断ない音は、意外に気にならない。人生まだ捨てた物ではない。

 

第1週(7/2〜7/8)

 やはり夜が暑くて眠れない。おまけに暑いので、本を読む気にもなれないのが問題だ。せっかく夜中まで起きているのだから少しでも読めればいいのだけど、読んでも読んでも頭に入らず、結局なんだか楽しめぬままに終わってしまう。早急に部屋を涼しくする必要があると痛感。

 先週も読んだ大橋ツヨシ『喜怒愛楽一家』(竹書房)は、こちらはギャグに徹している感じでよい。両親と兄妹の4人家族の日常を描いた作品で、つっこみ役の妹がよし。

 昔読んでいたが、惜しまれつつ終了した「小梅ちゃんシリーズ」が帰ってきた。青木光恵『小梅ちゃんが行く!!リターンズ』(竹書房)1巻と2巻。気負いが無く自然に生きている感じの主人公の魅力もあるが、関西風のぼけとつっこみが随所にあふれていて、得につっこみに味があってよい。そう言えばこのところつっこみ重視の4コマを良く読むような気がする。「小梅ちゃんシリーズ」も、ともすればボケは平凡だったりするけど、つっこみで読ませる力はかなりのもの。なんかそういう時代が来ているのかしら。

 なんだかよくわからなくて読むのに苦労したのが、シャーロット・グリムショー『挑発』(ハヤカワ文庫)だ。不思議な吸引力を持つ腕利き弁護士と、彼と同棲しながらその助手として活動する主人公の女性が、小さな田舎町で起きた事件を探る物語。
 真昼間に起きた突然の銃殺事件には、都会から移ってきた加害者が、地元の人々から陰湿ないじめにあっていた、という背景があるらしい。その謎を調べにかの地へ行った2人だが・・・。というストーリー。女達を引きつけて止まない弁護士の魅力も、破壊的な内面を持つ彼に引きずられる主人公もキャラクターがありがちで今一。リーガルサスペンスかと思いきやそうでもなく、独特の雰囲気がどうも馴染めなかった。

 チェスをする2人の男と、その後にいる女性。中世ヨーロッパの小さな国の一室の情景を描いた絵から不思議な謎が発見されて、それをきっかけに主人公の周りでも殺人事件が起きる、という一風変わったストーリーの、アルトゥーロ・ペレス・レベルテ『フランドルの呪絵』(集英社文庫)は、中盤から絵に描かれたチェスのゲームが現実に起きている殺人事件の謎へとつながっていく。
 探偵役は、そのチェスの謎に迫る天才チェスマン。あまりチェスに詳しくない人が読むと、彼が指す一手一手がなぜ正しいのかよくわからないまま、強引に納得させられるところはあるが、探偵役のキャラクターや、最後に明かされる犯人の造形もなかなか面白い。要所要所に書かれたチェス盤の棋譜に何度も戻るのが大変なので、しおりがいくつも必要になるのは確か。

 寝苦しい思いをしながら、読書の秋はまだかと待ちこがれる毎日。結局眠れないのは一緒か。