読み週記 3月

 

第5週(3/31〜4/6)

 気持ちの中ではすっかり新年度に入っているのに、3月分というのも変な感じがするけど、まあ今まで通りの流れで3月の第5週。すっかり風邪をひいてお話にならない年度開けだった。風邪を引いて一日布団で読書、というあこがれはいずこへか消えてしまい、布団でゆっくりするどころか、休んでいる事に罪悪感すら覚えるようになって、全くダメな大人になってしまった。

 今週ショックな出来事といえば、読んだ本が2冊続けて再読だったこと。一冊はすぐに気付いたので良かった(?)けど、もう一冊は、読んだことがあるような気がするけど、認めるのが嫌で最後まで読んだ挙げ句、結局本棚で見つけてぐったり。
 というわけで、再読に時間を費やしたので今週は読み週記はナシである。口惜しいので書くけど、最後まで再読しきったのは山本周五郎の『酔いどれ次郎八』(新潮文庫)で、すぐに気付いたのは、ブルース・スターリング『タクラマカン』(ハヤカワ文庫)だ。後者の方は一度読んだことはほぼあきらかなんだけど、怖いので本棚を探したりはしないことにした。

 風邪で凹み、再読で凹む年度末&年度初め。今年度も充実した日々が過ごせそうです。一応言っておきますけど、SARSじゃないです。

 

第4週(3/24〜3/30)

 前々から不思議に思っていたのだが、電車の中で本が読めるときと読めないときにはどんな違いがあるのか。電車読書というのは非常に難しくて、荷物を持って立って読むのは非常に集中しづらい。また、人の出入りが激しかったり、あとは妙に空いていて、周りの人が気になったりしてしまうことももちろんある。そもそも俺は電車に乗ってると、知り合いに会いやしないか、とか、面白い人を見逃すんじゃないか、と思っていつもビクビクしているので、ちっとも読書に集中できないのだ。
 このところ出勤時間が短く、しかも細かく乗換があるので、ちっとも本が読めない。あまりに悔しいので、歩きながら読んでやろうかと思いそうなくらい、電車読書がさらにできないのには困ってしまう。御陰で、毎日電車で乗り合わせる人々の顔は良く覚えているのに、その日に何を読んでいたのか、さっぱり覚えていない、ということになってしまうのだ。困ったことだ。

 電車で読むには短編集とかがよい。細かく、しかも短い時間しか読まないまま2週間も3週間もかけて読むことになるので、一冊の長編をその期間、没入できない細切れで読みながら覚えているのが大変で、同時に家では別の本を読んでいるわけだから、どうしてもゆっくり読める「家本」の方が面白く思えてしまうのだ。
 そんな環境なだけに、如何に短編集とはいえ、ホルヘ・ルイス・ボルヘス『ボルヘスとわたし−自撰短篇集』(ちくま文庫)はなかなか読むのが難しかった。似たようなシチュエーションが出てきたり、他の話とテーマ上でつながりがあったりで、ただ読んでいけばいい、という読み方がしにくいのだ。
 この本は、前半が短篇集、中盤にボルヘスの自伝風エッセーがあり、終盤では自らが選んだ短編についての解説がある。そういう意味では、電車内で読みながらまた後戻りしたりしなくてはならないので、本当に読みづらい。もっと丁寧に読めれば、と思う本はたくさんあるけど、こんな風にボルヘスをたまたま見つけたらとりあえず読む、なんて読み方をしてるうちは無理かなぁ。

 電車読書といえば、電車で本を読むときだけ、イヤホンで音楽を聴きながら、というのも不思議と言えば不思議。家ではそんなことをしてたらあんまりじっくり読めないと思うんだけど、外や電車で読むときは、むしろその方が集中できるように思うことがある。外界を適度に閉め出しつつ、意識から音楽も消えてしまうような読み瞬間が、確かにあるのだ。そんなときは電車読書も苦にならない。ただ乗り越しにだけ気を付ければいい。

 

第3週(3/17〜3/23)

 週末に祝日があったりその他で4連休。たっぷり本が読めるかと思いきや、そうでもなかったのが不思議でならない。なんかもったいない気もする今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

 腰巻きにジョセフィン・ティの『時の娘』(ハヤカワ文庫)の名前が挙がっていたので思わず手に取ったのが、エリザベス・ピーターズ『リチャード三世「殺人」事件』(扶桑社ミステリー)だ。『時の娘』ほどの興奮が味わえるどころか、こんな名前を挙げているところをみると全然あの興奮とは縁遠い物なんだろうな、と思ったら、確かにその通り。というか、ユーモアミステリでした。
 サー・トマス・モアとシェイクスピアによってすっかり悪者のイメージが定着してしまったリチャード三世の無実を信じ、訴え続けているリカーディアン。参加者達がリチャード三世始め、その周囲の人物の扮装をしながら集まる会で起きる不思議な「殺人」事件にまつわる物語。テイの名作のごとくリチャード三世の謎に正面から挑むというよりも、それを下地にした別のミステリが展開されるもの。そりゃ、あれをもう一回やっても仕方ないですが。
 ユーモアミステリらしく、登場人物達も一癖もふた癖もある、というか、ベタすぎる程の人物で、主人公自身がそのベタさにつっこみを入れるメタ色彩もあったり。変な期待をもたなければそれなりに楽しめる、という範囲でしょうか。探偵役である女性の主人公が凄く魅力的に思える瞬間と、つまらなく思える瞬間があって、 なんとも読みながら評価の定まらない一作だった。

 微妙に読書が合間を埋めるように、少しずつの作業になっている。多分毎日家でダラダラしてばかりで、本ばかり読んでいた頃に比べると、公私が充実しているんだと思わないでもないけど、やっぱりもう少し世みたいなぁ、とも思う。アフターバーナーが点火するような面白い本にこのところ出会えていないのか、ちょっとエネルギー不足なのか。でも、エネルギーは常に不足してるしなぁ。

 

第2週(3/10〜3/16)

 どういうトリックが働いているのかよくわからないが、このところ夜寝るのが遅くなっている気がする。昔から寝るのは遅かったのだが、布団に入る時間が遅くなっているので、つまりは夜の読書の時間が減っているのだ。眠がるばかりで真面目に生きていない上に、本まで読めなくなったら、一体なんのために生きているのか。大変な問題だ。

 すっかり真面目に生きる男になってしまったマット・スカダーの文庫での最近巻は、ローレンス・ブロック『死者の長い列』(二見文庫)だ。これでようやくスカダーシリーズも追いついてしまい、書店をウロウロしながら最新刊を求めるシリーズが一つ増えたことになる。
 今回の依頼人は、31人の男が集まり、一人一人が死んだ後、最後のひとりが再び31人を招集することによって相当の長きに渡って存続してきた、という不思議な会のメンバー。すでにメンバーの半数が喪われているが、そのペースが早すぎるのではないか、という疑問を持って、スカダーに調査を依頼することになる。しかし、30年もの年月をかけてメンバーを一人一人殺していく、という気の長い連続殺人があり得るのか。そしてあるとすれば、その動機とは。
 なんだか、本の裏書きみたいになっちゃったけど。前作でエレインと同棲することになったスカダー。シリーズ後半から、人生の転機を迎え続け、大きなうねりのような時代を生きているスカダー自身にも、新たな展開があったりで、いよいよシリーズの行く末が見えてきたように思う。果たして。

 念のため付け加えておくと、眠がって真面目に生きていないけど、本を読んでいるから許される、ということではなくて、真面目な人生を生きずにいてさえ、本を読むのが楽しい、という普段の自堕落さの言い訳すら使えなくなっていることが問題なのだ。違うか

 

第1週(3/3〜3/9)

 体調が良くなったりならなかったりのぐずぐず週間を送った。昔はそんなことはなかったように思うんだけど、このところ体調が悪いと眠くなる。あ、この話は先週も書いたな。
 体調が悪くなると眠くなる、というのは、ひいては体が疲れて休息を求めているということなのではないかと思うんだけど、問題は本人にその意識が無いことだ。もちろん年中疲れているし、それはもう子どもの頃から指一本動かすだけでも疲れるから嫌だ、という男なので仕方がないんだけど、日常的に何をしても疲れると思っているので、かえって疲れている、と思うのが難しい。ええと、なんと言いますか。
 つまり、疲れている状態が普通で、その状態でいつもいるので、さらに疲れている、という信号が体から出たりすると、「え、ホント?」と思ってしまうのだ。いつでも「疲れるなぁ」と思っていて、なるべく何もしないように過ごしているせいで、今疲れていると言われても、これ以上休みようがないのだ。もう十分に休みながら生きているので。
 何が言いたいのかよくわからなくなってきましたが、ようするに休まないといけない、というのも疲れるなぁ、という話。そうなのか?

 読みごたえは十分といえるか、チャールズ・オブライアン『王宮劇場の惨劇』(ハヤカワ文庫)は、フランス革命前夜のパリで起きた殺人事件に、当初犯人と思われていた役者の娘が挑む物語。乱暴にくくってしまうと、歴史的な背景や風俗をふんだんに描写しながら、平行してミステリという読み物も用意して、さあお楽しみ下さい、という作品なんだと思うんだけど、これがまた中途半端で困った。
 著者は歴史学の博士号を持ち、長年教職に携わっていた歴史のプロ。それだけに、全編に山ほど歴史風味が満載かと思いきや、遠慮したのかなんなのか、ふーむふーむと感心するほど描写にたけているわけでも盛りだくさんなわけでもない。1880年代後半のフランスで、時代はまさにフランス革命の数年前。貴族階級の人々への反感が高まりつつあり、生得権にあぐらをかく特権階級への批判的なまなざしが随所に描かれているんだけど、その扱いも今ひとつ思い切りがない。ストーリーにうまくからまるわけでもなく、登場人物達のキャラクターを深めるわけでもなく。要するに扱いが宙ぶらりん。時々忘れたように登場する気の抜けた調味料みたいになっているのだ。
 どちらかと言えば、ミステリそのものの方が出来はよい。有名な<王妃の首飾り事件>を絡めながら、パリで連続している美術品の盗難事件と、主人公達が探る殺人事件。イギリス帰りの跳ねっ返り女優と街道警備隊隊長の地位にある若きエリートの物語など、程良く配置されている。うーむ。期待があった分、ちょっとがっかり度合いが大きいです。ただ、後半に進むに連れてよくなっているので、今後に期待。これは著者の教職引退後の処女作であるらしいので、せっかっくの歴史学を活かして、もう少し面白いのが読みたい。

 花粉症の季節で、世の中には体調が悪かったり、日々不自由で仕方のない人が大勢。俺は年中鼻炎気味なせいか、関係ないのかわからないけど、花粉症だけはかからずにすんでいるらしく、この季節だからといって特別つらいわけではない。話を聴いているだけでホントに辛そうだと思う。そんなものにかかったら、それこそ読書どころではありません。もしくは家から出ずに読み続けるか。ううむ、恐ろしい。