読み週記 3 月

 

第4週(3/26〜4/1)

 このところどうも思考と指向と嗜好が膠着しているのか、書店に行ってもなかなか面白そうな本が見つからない。なんとなく手を出せずにいる自分に驚きつつも、本に対する情熱がよみがえりつつあるような予感がする。予感だけど。

 シェルドン・シーゲル『ドリームチーム弁護団』(講談社文庫)は邦題がどうにもださい気がしたんだけど、結局買ってしまった。それにしても、文庫で1200円ちょっと、ってのはすごい値段だと思うんだけど。
 法律事務所を首になった主人公が、その事務所で起きた殺人事件の容疑者になった友人の弁護を引き受ける、と言うお話。前半は裁判に到るまでの経過が描かれ、法律事務所、っていうよくわからない組織の中身が丁寧に描かれていて、さすがに本職の人が書くとリアリティは抜群。事務所によって全然違うんだろうけど、なんとなくわかったような気持ちになれて嬉しい。アル・パシーノが悪魔の弁護士役で出演していた「ディアボロス」って映画でも、法律事務所が描かれていたけど、あんな感じ。
 後半にはいよいよ裁判の中身が描かれて、ほとんどが法廷での戦い、それを受け手の主人公達のチームの作戦会議や、裁判の過程で明らかにされる様々な事柄を受けて見られる人々の人生など。型破りではないけれど、たっぷりじっくり読ませるし、主人公のちょっとした皮肉の効いた語りも面白い。真実を突き止める、という他に、陪審員をいかに説得するか、という独特の裁判制度の御陰でアメリカでは多数のリーガル・サスペンスがあるが、長さの割に飽きることがないので、まあ及第作、という感じ。主人公以外のキャラクターのサブエピソードがちょっと中途半端な雰囲気も。

 いつの間にか新年度になってしまった。読み手としてはあまり新年度だろうが関係ないんだろうけど、とにかく4月である。意味不明。

 

第3週(3/19〜3/25)

 読めない読めない、と言い続けてきたが、ふと読める日々が帰ってくることを考えて薄寒くなった。いまは読めずにいるから良いが、弾みがついたりして、おもしろくてたまらなくなってしまった日には、生活が破綻するに違いないのだ。そんなわけで、ゴールデンウィークに期待。

 警察小説の定番、エド・マクベインの「87分署シリーズ」についに手を出す。第1作目『警官嫌い』(ハヤカワ文庫)は、主人公スティーブ・キャレラの登場とともに、87分署のメンバーが紹介される。
 と思いきや、その87分署のメンバーが殺される、という物語。連続刑事殺人事件の顛末やいかに、という次第なんだけど、どうも気になったのが翻訳。初めの方なんか、どうも気になる単語や表現が目白押しで、よく見てみると、文庫の初版がでたのが、1976年。なんと、ずいぶん昔ではないか。今の人が読んで古くささを感じるのも当然かもしれない。日々言葉は変わっているので、今読んで気に入った翻訳の本も、20年後には古くさく感じる言葉だらけなのかもしれないのだ。
 もっとも読み進んでいくウチに、物語に引き込まれてさほど気にならなかったからすごい。これが本の威力だ、と無意味に力んで、しばらく俗間を読んでみることに決めた。シリーズものはとにかくしばらく次々読むものがあるので嬉しいやら怖いやら。
 ところで昔テレビ朝日だったか、『私鉄沿線97分署』ってドラマがあったんだけど、やっぱり意識してるんだろうか。日本に「〜分署」なんてナンバーのついた警察ってあるの?

 毎週毎週1冊ずつ読んでいる。時には1冊も読めないこともあるだろう。別にそれが苦痛なわけではないので良いけど、このページはどうなることやら。

 

第2週(3/12〜3/18)

 もう何も残ってません。と言うくらいな毎日。何かに何かを持っていかれてると思うんだけど、よくわからないのだ。なんだか絞り出してる。
 ええと、本の話を書くところなので、本の話をなにか。今度職場が移転するので、電車に乗る時間が増えることになった。それはいいんだけど、ちょっとの時間電車に乗って、乗り換えて、またちょっとの時間電車に乗る、という乗り方なので、 結局の所落ち着いて読めるわけではなく、読書時間はほとんど確保されないに等しい。別に座らなくても良いけど、あまり細切れになりすぎると本自体をじっくり楽しめないので、読書時間の不足は解決されないままになっているのだ。理想から言えば、30分〜1時間くらい、イスに座れて本が読める出勤が良いんだけど、そうなると今度は朝起きることが問題になって、夜の読み時間が阻害されてしまい、それはそれで問題だ。
 とまあ、ふざけたことばかり言ってるようでは、いつか誰かに殴られるな 。

 北上次郎が絶賛していたクレイグ・ホールデン『夜が終わる場所』(扶桑社ミステリー)を読む。北上次郎は、なぜこれが話題にならないのか、と訝っていたが、別に全然評判になっていないわけではないけど、そこそこでしかないのも、わからないでもない。確かによくできていて、主人公の親友であるバンクのキャラクターはうまく書けているし、二人の友情や、警察小説としてのクオリティも申し分がない。ただおしいのは、どれもどこかで味わった読書体験を越えないのだ。バンクという独特の暗いバックボーンを感じさせるキャラクターと、それを見つめる主人公の視点、やがて明かされる衝撃の事実と、それに絡み合う過去。それぞれがショッキングであり、味わいがあるんだけど、改めて心を揺すられるかというとそうでもない。妙に納得してしまう着地点に、すっぽかされたような感覚が残ってしまうのだ。

 なんということ。ついに読んだ本の話より、まくらと最後の方が多くなってしまった。こんなことではいかんいかんと思いつつ、何よりも睡眠時間を求める日々である。

 

第1週(3/5〜3/11)

 最近、書店で本を探す気力がない。あまりにも未読が溜まっているのが理由の一つだとは思うが、それにしても万事エネルギー不足な気分。なんとか切り替えねば、と模索中。

 最近、JAZZな日々だ。頭の中でそればかりなっている。その中で急に思い出したのが、アレフレッド・フェームス・エリスの「ザ・チキン」だ。今はなつかし俺の初ゲリラライブでやった曲は、この曲のベースラインとコードを元にある才人が創った曲で、今でも一番楽しい演奏の一つとして記憶に残っている。
 その元ネタが聞きたくて、詳しい友人に聞いたところ、この曲の数々の演奏があるベーシスト、ジャコ・パストリアスお薦めCDと一緒にジャコ・パストリアスの半生を描いた本を貸してくれた。
 天才となんとかは紙一重。それを実証するような芸術家は多くいるが、ジャコもその一人。本中何度も名前を挙げられるチャーリー・パーカーを思い出させるような破壊的な人生は、読んでいるウチに辛くなっていくような中身。躁鬱病的なキャラクターで、そのキャリアのほとんどが、破滅的なアルコールとドラッグにむしばまれた体と人格に犯されている。彼を囲むミュージシャン、友人達の、彼を見ていた複雑な想いが伝わってくる。あまりに天才的で、あまりにも狂人的だ。
 面白いのが、この本の最初に載っているジャコの写真の数々。自閉症者の写真を見るかのように、どれも見事に視線がカメラに向かっていない。何か気質的な問題を持っていた人なんではないか、という気がするが、どうだったのか。偉大な才能は通常とはかけ離れた体に宿るのかな?

 今週もこれだけ。読む時間の不足とエネルギーの枯渇が相まって、悲劇的な日々を送る。