読み週記 4月

 

第3週(4/19〜4/25)

 電車で本を読み終えてしまい、手持ちぶさたで苦しくなるときがある。仕事の行き帰りなんかは鞄があるので、中にある入れっぱなしで目を通してなかった資料とか読んで時間が使えるが、手ぶらで本だけ持って出かけたときは本当に辛い。かと言ってそれを見越して2冊持って出るのも面倒くさいというか、手ぶらの意味があんまりないし、新しい本を持っていけばいいんだけど、もうじき読み終わる事に気付くのが出かけてからであったりしてうまく行かない。こういう時、それはもう辛くてたまらないのだ。

 佐藤賢一は止まらなくなって読みふけったり、どうも今ひとつ乗れなかったり、という当たりはずれを感じる作家。鬼気迫る様な物語や展開に圧倒されることもあれば、ペダンチックな感じが鼻について肝心の物語に魅力を感じきれなかったりすることもある。日本人の西洋歴史小説の少ない作家であることを考えるとそれもまた佐藤賢一の魅力である場合もあるんだけど。
  『カルチェ・ラタン』(集英社文庫)はどちらかと言うと後者に思えた。ザビエルとかカルヴァンといった宗教戦争やイエズス会の歴史的な人物が描かれたり、と面白さがあるのは確かだと思うけど、今ひとつの印象が否めない。これが単に衒学的に思えてしまうのは、佐藤文学の魅力の一つでもある、一人の圧倒的な存在感の人物や、彼ら登場人物の背景にある歴史のうねりみたいなものが十分に描かれていないように思うからだ。今回の主眼となる人物は夜警隊長クルパンではなく、彼の家庭教師であった神学のエリートミシェル。主人公のクルパンが激怒するような神をも恐れず行為(?)を重ねながらも神学に全てを注ぎ込む天才だが、彼がどうも下手な警句屋の優等生に見えてしまう。神学を、そして自身の過去を通して何物かに駆り立てられ、一方で虚無感にも似た鬱屈した物を抱えている人物であるのだろうが、どうも深みに欠けるというか迫力に欠ける感じ。神学を通した人間存在への探求が理解しづらいからか、あるいは一つ一つの警句の出来に疑問符がつくせいか。ふうむ。

 読む本もなくひたすら電車に乗っていると、回りにいる人をじっくり見てしまう。そういえばそんな電車の乗り方を久しくしていなかったような気がする。昔は読む本があっても手を止めて色んな人々を眺めて考えていたような気がするんだけど。忙しくなったのか感受性が衰えたのか。ふぅむ。

 

第2週(4/12〜4/18)

 今日はなぜか外で本を読む人をよく見た気がする。モスバーガーの店内で夕方、のんびり一人の時間を過ごしながら読んでいる女性や男性、駅のホームの喫煙所で煙草に火をつけ、一服した所でおもむろに手に持っていた書店のカバーの掛かった文庫本を読み始めた男性。最近そういう所で本を読む人をあまり見かけなかったので、ホッとしたように本を開く人々を何人も見るとこちらもなぜか嬉しくなる。

 弱く頼りない主人公が特徴のミステリシリーズ<図書館長シリーズ>が面白かったジェフ・アボットの新シリーズは、港のある小さな町で父親のコネで判事になったモーズリーが主人公。一人称スタイルだった前のシリーズとは違い、今回は三人称形式だったり、色々違う点があるが、歴史と結びつきのある小さな町の濃い人間関係が背景にあることや、主人公が相変わらず、頼りないあたりは共通している。
 話しも三人称を取り入れたことでサスペンスタッチになっている部分もあり、サイコパスっぽい連続殺人犯も出てくるので、前のシリーズとはやっぱり雰囲気が大分変わっている。ただ、何となく流行のありがちな要素を増やした感も否めず、出来としては中途半端な読後感。主人公も前の図書館長シリーズのように、グダグダめそめそしたいじけた感じは弱まって、頼りないながらも少しからっとしてる分、大分ましな男になっている。ただもったいないのが、アボットが他の作家ではあまり感じられない個性を発揮していたのは、この主人公の情けなさにあったように思う。家族の問題でうじうじしていたジョーダンの方が、ヒーローとしての魅力に圧倒的に欠ける分、シリーズとしての面白さはあったような気がする。
 関係ないけど、ずいぶん前に、一緒に仕事をしているミステリ好きの人が<図書館シリーズ>を読んでいるのを見かけて少しその話をしたことがある。特別いつも同じものを読んでいる、というわけではないけど、それぞれ同じ本を見つけて読んでいる、というのがなんだか嬉しかった記憶がある。この新作も読んだのだろうか。

 本を読んでいる人を見かけて嬉しくなるのは、同じ病気、じゃない、趣味の相手を見つける、という仲間意識の部分もあるけど、また違う感覚が今日味わえた。読むことが楽しそうで嬉しくなるのだ。ファーストフードの一角での短い時間でも、自分の時間として本を楽しんでいる様子とか、めっきり数の減った喫煙所に辿り着いて、小さな安息の空間に落ち着くがいなや、先が気になって仕方がない、とでもいう風にいそいそと本を取り出している様子とか。その人が今本を読むのをすごく楽しんでいたり、大事な時間と感じているようなのを見ると、自分にとっても大事なその時間の喜びを再確認したような気持ちになれて、また本を読むのが嬉しくなるのだ。

 

第1週(4/5〜4/11)

 寒い日があるかと思えば急に暖かくなったり。そして気付くと上着を脱ぐ季節になっている。これも毎年掻いてる話だけど、上着を脱ぐようになると文庫本を気軽に持ち歩けなくなるので不便だ。というネタは春先と冬の手前で年に2回使えるので便利だなぁ。なんてことを思ってはいけない。

 ケリー・リンク『スペシャリストの帽子』(ハヤカワ文庫)は奇妙な短篇集だ。ファンタジーというくくりにはなっているけど、なにともくくりにくいストーリーが満載。「え、この話、どうなっちゃうの?」とか、「一体ここで語られてるのはなんなの?」という様な変な感覚と、恐怖や懐かしさ、切なさなんかが背後に漂う物語の雰囲気。ジャンル分けに使われる意味とはちょっと違う意味でのファンタジーと言えるのでは。

 先日友達に借りて読んですっかり先が読みたくて仕方なかった三浦健太郎『ベルセルク』(白泉社)の続きをようやく借りる。前回は「黄金時代編」なるものの途中でぶった切れてしまったので欲求不満に打ち震えていたが、ようやくそれを読むことができた。家用に読んでいた本も途中だったので、「黄金時代編」が終わるまでとりあえず読もう、と思ったのに、気付いたら全部読んでいた。恐るべし。とことん暗い「黄金時代編」が終わった後は、陽気なエルフや盗賊の子どもなどわらかし要因もたっぷりで、暗さが気に入っている俺としては、その明るさが主人公を変えるきっかけに、みたいな展開はちょっと気に入らないけど、相変わらず止まらなくなってしまう。
 ここで問題になるのが、借りた26巻が最新刊だったこと。つまり読みたくても雑誌連載以外では先が読めない、ということだ。これだけ「はまったはまった」と言いながら、そこまでの気持ちになれないのも人情。かといって年1冊ペースくらいで出ているのを一年ごとに追うのもテンションが上がり切らなくて、続けられるか心配になる。あれだけはまって止まらずに読みふけった栗本薫の『グインサーガ』(ハヤカワ文庫)がきっぱり止まっていることを何となく思い出す。

 風邪をひいてしまい、更新の途中で力つきて忘れていた。季節の変化をまくらで書いていたけど、何日か経ったらいつのまにかまた寒い。明日から暖かくなるみたい。風邪を言い訳に一日布団で本を読んでいたいなぁ。