第2話
『死 -砕-』
久遠奨が苦労して組んだ手は、なおも居心地悪く震えている。
昔の友人、陵世羅の親友の口から語られ、突き付けられた真実。「クサカベヤヒロ」はあの時、世羅が少し照れながら、それでも嬉しそうに紹介したあの男だった。二人の間の関係に気づけないほど、奨は木石ではなかった。あの時、胸の内で何度もした舌打ちが蘇る。
その二人が数年を経て再会し、同じチームで同じ仕事に携わっていたという事実。二人は何を話し、何を想ったのだろうか?
下等な感情は認めない。ソファに身を沈めてしばらくすれば震えも収まるはずだ。
断じて、この震えは**からくるものではない。
「では、明後日のソリストは苑原さんで決まりね」
白凰文化ホールの舞台上のコーラス部員たちの間に、小さな拍手が起こった。ベレー帽を取って何度もお辞儀をしているのは、歓喜に上気した顔の苑原柚織だ。
柚織の所属する聖ジェローナのコーラス部は明後日、コンクール本番を迎える。その大舞台のソリストに彼女が選ばれたのだ。何ヶ月も前から選抜に選抜を重ね、それらを全てクリアしてようやく掴み取った独唱。顧問の教師や部員たちの祝福に、柚織は飛び切りの笑顔で応える。
「苑原さんは本番になると緊張して実力が出せなかったけど、どうやらそれを克服したようね」
顧問の教師からの選評に、柚織は力強く、そして笑顔で頷いた。
「応援してくれた人がいるんです。その人のためにも、頑張らなくちゃって」
首から下がった水晶の首飾りを、柚織はギュッと握り締めた。世羅からの贈り物が勇気を与えてくれる。柚織はそう考えていた。
この時、柚織はまだ赤室翔彦の死を知らない。
赤室翔彦は死んだ。
その身体をガラスのように・・・いや、水晶のように透き通らせて、砕けて死んだ。
「全て罠だったんだ!! 水晶を誤って使うと―――」
翔彦が命を振り絞って伝えたかった言葉。それが今でも耳の奥でこだましている。
(ヤバイな)
帯刀祐二はそわそわと落ち着かな気に周りを見回し、何度も舌打ちした。
これは、自分の手には負えない類の事件だ。今まで生きてきた中でダントツにヤバイ感じがする。走っていた時の―――陸上をやっていた時の、タイムが伸びなくなった事に気付いたあの時よりもヤバイ感じがする。今度は逃げ場が無い。降りる事の出来ないレールを走らされているような、そんな気がする。
ヤバイ。
・・・恐ろしい、なんて恐ろしいんだ! ありえない、そんな事ありえない! 人の体があんな風に! あんな風に!!
水晶の砕ける高い音は、出羽清虎の常識を道連れに砕いていった。逃げ出せない事が、後戻りできない事が、この時ハッキリと分かった。自分の好奇心を満足させてくれるイタズラに過ぎないと思っていた。犯人探しの感覚で、心の隅で楽しんでいた。でも・・・
赤室翔彦は目の前で砕け散った。
恐ろしい。
声の限りに悲鳴を上げたなんて、初めての経験かもしれない。出来れば一生味わいたくなかった体験だけど。
No.1の招待状を受け取った人物は非業の死を遂げた。自分の手元にはNo.2の招待状がある。唾液が咽喉に絡みつく。次は・・・私? 冗談じゃない・・・!!
晩夏の暑気によるものだけではない、汗。頬と背中を伝う、冷たいソレ。すぐにでもシャワーを浴びてベッドに潜り込みたい。でも・・・
長内香織には分かっていた。今夜は眠れそうもない、と。
鈴原志郎は汗に濡れた手で水晶を握り締める。
フロアに集まった11人全員が持っているこの水晶に何らかの意味があることを感じている。もし、日下部矢尋がその水晶を不要と考えていたなら、引き取ろうとさえ考えていた。でも、それが愚かな考えであった事が、目の前で証明された。赤室翔彦の最期の言葉と彼が砕けた時のあの音が、リフレインして止まらない。
久しぶりにあの酒を出そう。強すぎるあの酒なら、呪わしいリフレインを止めてくれるだろうから。
心臓は早鐘のような鼓動を打っている。砕け散った赤室翔彦の破片を見つめて、英東児は考えていた。この動悸は恐怖から来るものなのか、それとも興奮から来るものなのだろうか、と。
チラリと巳堂英一に視線をやる。皮肉にも「幸運のお守り」と呼ばれたこの首飾りについた水晶に、並々ならぬ興味を寄せている英一。彼も同じような気分でいるのだろうか? 新たに調べ甲斐のある材料を見つけて、興奮しているのだろうか? 彼の心臓も、早鐘のような鼓動を打っているのだろうか?
赤室翔彦は、死んだ。