第4話
『死 -唱-』





 世羅さん、聞こえていますか?
 柚織は今、歌っています。意気地のない私を、呆れる事なくいつも笑顔で励まし続けてくれた世羅さんに聞こえるように。ラッキーナンバーと、勇気をくれる「幸運のお守り」を贈ってくれた世羅さんのために。
 コンクールは皆のものだけど、私の独唱ソロは私を応援してくれた人たちだけに向けて歌います。ありがとうっていう、感謝の言葉に代えて。
 ねえ、世羅さん、聞いてくれていますか?

 急かされるように走っていた出羽清虎は、携帯電話の着信音に気付いてその足を止めた。走っている最中、絶え間なく鳴っていたチャラチャラという音も、同時に止まる。音源となっていた2本の鍵―――赤室翔彦の部屋と陵世羅の部屋の鍵。それらの鍵によって確認された事実。信じたくなかった事実。
 翔彦と世羅。
 雲を呼ぶ声。
 考えなければならないことは山ほどある。しかし、今は電話に出る事が急務だった。
「もしもし」
 電話は同盟者からだった。そして、電話の向こうから届けられた事実・・・。
 通話を終えた清虎は、しかし、顔を俯かせはしなかった。月に吼える金狼が如く、金色の髪に縁取られた顔を空に向けて上げ、再び走り出す。
 ラスト・ナンバーは、まだ終わっていない。

 左腕に絡んだ陵世羅の腕の感触に、帯刀祐二は安堵を感じる。走ることをやめてからずっと探してきた“居場所”。それを今、ようやく見つけた。
 陸上をやめた時、世羅は一言も祐二を責めなかった。それまで通りに朝晩の挨拶をしたり、共にコンビニへ買い物に出かけたりしてくれた。その気遣いが、優しさが辛くて、祐二は世羅と距離を取った。世羅はその距離を無理矢理詰めようとはせず、やはりそれまで通りだった。そして遠回りした祐二が辿り着いた場所が、今のこの位置なのだ。
 皆の“居場所”がここにある。
 だから集める。この安堵を感じられる、この場所に。

 右腕に腕を絡ませる世羅を感じながら、英東児は國史院大学での一件を思い返していた。
 敵対した巳堂英一の、あの目。何だかフラフラと頼りない英一の印象を払拭する、明確な意思―――敵意―――を宿した、あの眼差し。英一にあれほどの強硬な姿勢を打ち出させるほどの影響力が、彼の言う「協力者」にあるとするならば・・・。國史院大学は一気に危険な場所となる。
 隣には鼻歌を歌う世羅の姿。かつて「パール」でタロットをめくっていた時の様な邪気のない上機嫌さを目にして、東児は再度決意する。
 世羅の・・・俺たちの計画を、邪魔させはしない、と。

 赤色灯を焚いた緊急車輌の間を擦り抜けるようにして、鈴原志郎は「すずや」への帰途を急ぐ。ほんの少し前まで愛らしい笑顔を見せ、そして驚嘆すべき歌声を披露してくれた少女はこの世を去り、世界は稀代の天才ソリストを失った。
 本物の世羅に届くようにと歌った彼女の望みが叶ったと、志郎は信じている。それすらも無駄な行為だったと結論付けることは、別れ際に柚織が見せた飛び切りの笑顔を記憶に残す志郎には出来そうになかった。
 残された時間がどれほどあるかは分からない。焦り。背後に迫る“死”の息づかい。それら全てを振り切るように、志郎の歩調は自然と早くなっていった。

 降り注ぐ熱いシャワーが、長内香織から涙を洗い流す。
 苑原柚織は自らの意思で歌うことを決め、そして物言わぬ水晶像となった。最後まで世羅を慕い、信じたまま、死んでいった柚織。その死に様は、疑問を生じさせる暇すら与えぬほど、速やかで無造作だった。柚織は柚織の「本物」を信じたまま、晴れやかで誇らしい気持ちのまま逝ったはずだ。
(でも・・・)
 大柄で、柔らかさとは縁遠い自らの裸身を見下ろして、香織は意志を固める。
(私の“本物”は、まだ決着がついちゃいないよ。この落とし前だけは付ける。今までだってそうやって来たんだ。それはあんたも知っているはずだよ・・・陵世羅っ!!)
 降り注ぐ熱いシャワーが、長内香織の迷いを洗い流す。

 ねえ、世羅さん、聞いてくれていますか?―――苑原柚織も死んだ。