自己紹介
「まず自己紹介をしましょう」
人の輪の中心で、最初に声を上げた茶色のスーツの男がそう提案した。賛同の声があがるのを待ってから、まずは男が身分を明らかにする。
「私は赤室翔彦(あかむろ・かけひこ)といいます。日下部マテリアルの建築調査課に勤務しておりまして、陵君は私の部下でした」
日焼けした精悍な顔立ちと清潔感のある髪型、すらりとした長身は見る者に安心感を与え、彼を信頼に足る人物であると印象付ける事に一役買っている。襟に社章のついた明るい茶色のスーツは上等な仕立てであり、ストライプの入ったワイシャツや袖口のカフス、ツヤのある革靴にいたるまで十分に気を配っているのが分かる。年の頃は30代半ばだろうか、フロアに集まった者の中では最年長のように見え、先ほどの率先した行動から推測するに課のリーダー的役割を果たしているのかもしれない。
陵君をB13区画開発メンバーに選んだのは私です、と翔彦は辛そうに語った。キャリアウーマンとしても優秀だった世羅の、たっての願いを聞き入れて、メンバーに抜擢したのだという。
「それがこんな事になろうとは・・・」
翔彦は自責の念に拳を震わせ立ち尽くす。その姿を責められる者はいない。彼が悪いわけではない事は、誰の目にも明らかなのだから。
「あと、何か意味があるのかは分かりませんが・・・」
翔彦は先ほど見せた世羅からの手紙を再び取り出し、その一部を指し示した。
「私への手紙にはNo.1と番号が振ってあるのですが、皆さんへの手紙には何とありましたか?」
赤室 翔彦(あかむろ・かけひこ)
36才・男
株式会社日下部マテリアル・建築調査課主任(世羅の上司)
続いて一歩踏み出したのは、カジュアルな服装の青年だった。年の頃は20代半ばで、人前で話す事に慣れていないのか、少しオドオドしているようにも見える。
「えーと、えーと、巳堂英一(みどう・えいいち)っていいます。國史院大学の理学部・地質学研究室で研究員やってまして、陵さんとはB13区画開発チームで一緒でした」
赤いチェックのシャツにジーパンというラフな服装に茶色の髪の毛が良くマッチしていて、色々な意味で社会人らしくない雰囲気の青年。ただ、少しはにかんだような人懐こい笑顔には好感が持てた。
英一は國史院大学地質学研究室からB13区画開発チームに派遣された研究者であり、崩落事故に巻き込まれた開発担当チームの調査班7名の内の一人である。建築調査担当の世羅と地質調査担当の英一は話す機会も多く、また年齢も近い事から共通の話題で盛り上がったりもしたらしい。
「プライベートで会った事はほとんどありませんが、仕事中は良くして貰いました。事故の時も、僕がもっとしっかりしていれば・・・」
事故の当事者として何か思う所があるのだろう。英一は人懐こいその顔を悔しさで歪めた。
「僕への手紙にはNo.8と書いてありました。何の番号か不思議に思ったので良く覚えています」
巳堂 英一(みどう・えいいち)
26才・男
國史院大学・理学部地質学研究室の研究員(B13区画開発チームメンバー)
「ん、お前相当腹減ってるんだな〜。俺の分も食え食え」
このビルを住処にしているのだろうか、一匹の野良猫がいることに気が付いた清虎は、自分の食べかけのハンバーガーを千切って与えていた。
食べさせ終えるとおもむろに立ち上り、Tシャツとジーンズ姿の清虎が自分の自己紹介をし始めた。
「皆さん初めまして、出羽清虎(でわ・きよとら)っていいます。「シルファムーン」で『暁』っていうバンドで活動しているんだけど知ってるヤツっているかな? 一応世羅さんとは「パール」と「シルファムーン」が隣り合っていて、知り合い親しくなったんだ。この前うちのライブに誘ったばっかりだったんだけど・・・」
モヒカン+ウルフカットという髪型の清虎が一気にまくし立てる。せっかちな彼の悪い癖だ。
「あと俺への手紙にはNo.11と書いてあったな〜。一応この中なら一番最後、という所かな?・・・なにか意味でもあるのか?」
巳堂の話に感化されたのか、清虎も思い出しながら話し出す。
「今だに手紙の主の世羅さんは現れないみたいだけど、誰かのいたずらなのか? いたずらにしてもあの手紙でこれだけの人数が集まるんだから、皆世羅さんの好きだったんだね」
と一人勝手に感傷に浸る清虎だった。
出羽 清虎(でわ・きよとら)
20歳・男
フリーター(アマチュア・ミュージシャン)
気が付くと、手にしたタバコがフィルター近くまで灰になっていた。ポケットから携帯灰皿を取り出すと、ゆっくりと揉み消す。
陽に焼けた、小麦色の肌。黒のジーンズに、革ジャン。ショートカットの金髪をぼりぼりとかきながら、女はおもむろに話し出した。
「私は、長内香織(おさない・かおり)。日下部建設の下請けやってる、深和産業のモンです。世羅さんとは高校・大学と一緒でした。あ、私が一年後輩ね。縁起担ぐ方なんで、パールにも良く行ってるし・・・。仕事でも、プライベートでも仲良かったです」
どうやら、喋りながら考えるタイプのようだ。
「あぁ。んで、私の手紙はNo.2って書いてあったな・・・」
先ほど「No.1」だと言っていた赤室の方を見ながら、香織はそう付け加えた。
長内 香織(おさない・かおり)
27才・女
日下部建設の下請け、深和産業勤務(高校・大学を通じて、世羅の1年後輩)
「え、えと・・・そ、苑原柚織(そのはら・ゆおり)、ですっ」
聖ジェローナ女学院の制服に身を包んだ少女は、名乗ってからベレー帽を取ると、ペコリと頭を下げた。
肩までの髪は艶やかで、左こめかみの付近で一房だけ編み込んである。初対面の人間に囲まれているためか、その愛らしい顔は少し上気している。しきりと左こめかみの編み込みに手を遣る仕草は、きっと彼女の癖なのだろう。
少女―――柚織は万座殿にある占いグッズの店「パール」の常連であり、同じく占いを趣味とする世羅とはそこで知り合ったと語った。パール店内で占い師の真似事をしていた世羅に占ってもらったことが縁で、親しく話をするようになったらしい。
世羅を語る柚織の表情には、世羅に対する同性としての憧れが見て取れた。話すのはあまり得意ではないようだが、その一生懸命さから、彼女が如何に世羅を慕っていたかが窺える。
「世羅さんはホントに素敵な人で・・・だから、事故を知った時は凄くショックでした」
そう言って、柚織は両手に持ったベレー帽をギュッと握り締め、俯いた。
その場にいた全員が柚織の話に引き込まれていた。いや、正確には彼女の“話”にではなく、“声”に。世羅の事を語る少女の声は、聞いた事もない程耳に心地良く響くものだった。確かに柚織は可愛らしい少女だが、その声を聞けば視覚よりも聴覚が、より強く彼女を意識する。“美声の持ち主”という安っぽい表現では表しきれないほど、柚織の声は他と隔絶した特別なものとして響いた。
「手紙にはNo.10です。10は私のラッキーナンバーだから、世羅さんが気を利かせてくれたのかな・・・」
苑原 柚織(そのはら・ゆおり)
17才・女
聖ジェローナ女学院2年生(占いショップ「パール」の常連)
別にどうでも良かった。
2年の初めに正式に陸上部辞めてから何もすることがなかった。
夏休みも何をしていいのか判らなかった、今まではクラブに出ていれば良かったから。
一人で遊び歩いても何も面白くなかった。親しい友人はみんなクラブに行っている。何より「誰よりも速く走る」ことを目指すより面白いことなんて他には見つけられなかった。
だから時間つぶしに来ただけだ。他にやることもないし。
世羅さんのことはそりゃビックリしたけど、なにぶん合わす顔がないような気がして避けていたので事故のことを聞いたのもしばらくしてからだった。
だから知らない人たちが10人もいるのに世羅さんも現れないからとっとと帰ろうと思った。
それなのにしゃべり出してしまったのは苑原とか言うジェローナの子の声に誘われたのかも知れない。
「帯刀祐二(たてわき・ゆうじ)。白凰2年。陵さんは同じマンションの住人。ナンバーは・・・9だな」
帯刀祐二(たてわき・ゆうじ)
17歳・男
白凰高校2年(世羅とは同じマンションの住人)
続いて紺のスーツに黒のコートを着た仏頂面の男が話し始める。
「私は、久遠奨(くどう・すすむ)。國史院大学付属病院で医師をやっている者だ。世羅とは高校以来の付き合いだ・・・と言ってもたまに飲みに行く程度の知り合いだったがね」
ゆっくりとそこまで話すと、集まった面々に視線を廻らし、また話し始める。
「私の手紙にはNo.6と書いてあった。この中では、真ん中当たりだな」
いったん言葉を切ると赤室の方を見、付け加える。
「・・・しかしこの数字、いや、手紙には何らかの意味があるのか? ここまで共通点の少ない面子を集めるからには悪戯とも考えづらい気がするが」
呟くようにそう語ると、久遠は目を閉じて思索を始めた。
久遠奨(くどう・すすむ)
28歳・男
國史院大学付属病院の医師(高校以来の世羅の友人)
髪の長い少女だった。
すらりと長く伸びた腕や脚によって、実際以上に背高に見えるしなやかな体つき。白凰高校の白いセーラー服に身を包み、手にスポーツバッグを持った少女のキリリとした表情と凛とした雰囲気は、完成された芸術品を思わせる。一言でいえば・・・美少女だ。
「月辺鈴姫(つきのべ・すずき)です」
名乗って、少女は優雅に頭を下げた。姿勢の良い流れるようなその動作で、彼女が何らかのスポーツ経験者である事が窺い知れた。頭を垂れたときに流れた髪の毛を、右手でフワリと直す。
少女―――鈴姫は、自分が白凰高校の新体操部に所属するスポーツ特待生だと語った。新体操部のコーチの紹介で、部のOGだった世羅と知り合い、親しくなったのだという。大学入学と同時に世羅は新体操をやめてしまったが、高校時代は将来を嘱望されるほどの優秀な選手だったらしい。技術面でもアドバイスをもらっているうちに、鈴姫と世羅は一緒に食事をしたりする仲になったのだという。
「陵先輩は尊敬できる方でした。こんな悪戯じみた手紙、先輩を馬鹿にするにも程があります!」
自分が声を荒げた事に気付いて、鈴姫は恥ずかしそうに俯いた。その様子から察するに、彼女は全面的に手紙を悪戯だと思っているらしい。
取り繕うようにスポーツバッグの中に手を入れ、例の手紙を取り出す。
「私の手紙はNo.4です。手の込んだ悪戯をして・・・許せない!」
月辺 鈴姫(つきのべ・すずき)
17才・女
白凰高校3年生(世羅の後輩)
「そろそろ俺の番かな」
それまでひとり壁際にもたれ、成行きを見守っていた男が話し出した。30台半ばのTシャツにジーンズというラフな格好だが、普通と違うのは、その上から飲食店のロゴらしき模様の入ったエプロンを着けていたことだった。
「万座殿で、すずやって喫茶店をやってる鈴原志郎(すずはら・しろう)ってもんだ。陵世羅は、週に何度か顔を出す常連のひとりってところだが、あとはたまに簡単な占いをやってもらったことがあるってぐらいの付き合いかな」
それから初めて周りからのエプロンへの視線に気付いたかというように、
「営業中にちょっと抜け出して来ているところでな、出来れば早いところ結論を出してもらいたいと思っていたんだよ。何ならこの続きはうちの店でやってもらってもかまわないぜ。酒は出ないがコーヒーの一杯とお嬢さん方にはケーキのひとつぐらい出そうか」と、なんでもないかのように続けた。
「ああ、そうそう。俺のはNo.3だ。少ないのがいいのか悪いのかすら分からんのが問題だがな」
鈴原志郎(すずはら・しろう)
35歳・男
陵世羅が常連だった万座殿内の喫茶店すずやのマスター
眉間に皺をよせ口をへの字に結んだ、見るからに不機嫌な表情。徹夜で出来た隈と無精髭が、それをより強調する。
「気にくわないなあ」
唐突に、男が言った。考えていたことが自然に口をついて出たらしい。
自分が注目を集めたのに気づいたのか、表情を和らげ軽く頭を下げた。
「すみません、独り言です、気にしないでください」
続けて、
「わたしは白凰日報の記者で、英東児(はなぶさ・とうじ)といいます。陵とはパールを取材したときに知り合いました」
と、簡潔に自己紹介をした。
「手紙はNo.7でした。ラッキーセブン・・・なわけないですよね」
苦笑して、寝癖のついた髪をかく。
「ひょっとしたら皆さんに話を伺うことがあるかもしれません。そのときはよろしくお願いします」
そう言うと、輪になった10人に視線を向けた。
英 東児(はなぶさ・とうじ)
31才・男
白凰日報社記者
自己紹介がその女性の順番になった時、皆が一様に息を飲んだ。
そこにいたのは、あなたたちをこの廃ビルに呼び出した張本人、陵世羅だったからだ。
いち早く赤室翔彦が世羅に迫り、その両肩をきつく掴む。
「陵君! 君、一体、どうして・・・!」
翔彦に肩を掴まれ、ガクガクとその身体を揺さぶられる世羅。しばらく翔彦にされるがままになっていた世羅だったが、そっと翔彦の手から逃れると、悲しそうに、申し訳なさそうに、首を横に振った。
「ごめんなさい、違うんです」
世羅の様子を見て、ハッと我に返る翔彦。翔彦に掴まれていた肩を抱くようにして一歩後退り、皆から顔を逸らして世羅―――と思われた女性―――は小声で身分を明かした。
「陵杏里(みささぎ・あんり)。世羅は私の2つ上の姉です」
冷静になってみれば彼女―――杏里が世羅と別人である事は明白だった。容姿こそ杏里と世羅は瓜二つであり、姉妹であることは疑い様もない。しかし、生気に溢れた弾けるような快活さを湛えていた世羅の表情と、何処となく薄幸そうで縋るような眼差しをした杏里の表情は、似て非なるものだ。活動的な世羅がスポーティなショートカットであったのに対し、大人しい印象を受ける杏里には影を落とすロングが似合っている。世羅は派手なピンクのスーツを颯爽と着こなしていたが、目の前の杏里は飾り気のない白のブラウスに茶色い長めのスカート、山吹色のカーディガンという如何にも地味な出で立ちだ。
「済まない、取り乱してしまって・・・」
翔彦はバツが悪そうに杏里に頭を下げた。杏里は「・・・いえ」と小声で謝罪を受け入れたが、胸の前で交差された腕で己の肩を抱くその姿は、微かな批難とやんわりとした拒絶を感じさせた。
「私への手紙にはNo.12と書かれていました。手紙の真相を知りたいのは皆さんと同じです。どうか皆さんの力を貸してください」
自らの肩を抱いたまま、杏里は一同に懇請したのだった。
陵 杏里(みささぎ・あんり)
26才・女
ブティック店員(世羅の妹)
自己紹介を終えると、赤室翔彦の提案で互いの連絡先を教え合う。幸い集まった全員が携帯電話を所持していたので、この作業は簡単なものだった。
「個人のできる範囲で構いません。よろしくお願いします」
翔彦によるこの言葉で、輪は解け、解散となった。