第一話「厨子村」




(随分と、こう、良い家が多いな・・・)
 薄暮の厨子村の舗装されていない道を歩きながら、神崎浩輝は道沿いの家並みに目をやった。寒村に似合った古い様式の家が建ち並んでいるのは確かだ。しかし、その建築規模は、彼の常識と比べると不自然に立派すぎるものであるように思われた。
 田舎だから土地は供給過多なのだろう。しかし上物(うわもの)の価格は土地の単価とは決して比例しない。幼い頃、まだ厨子村に住んでいた頃はまったく気にしていなかったことだが、京都在住となり不動産というものの価値を少しは知るようになった今では、この村に見て取れる富裕さは寒村にあるまじき不自然極まりないもののように思われた。
(ひがみ、かな・・・?)
 マンション住まいの自分が色眼鏡で見てしまっているだけなのかもしれない。今しがた行って来た香住や祁堂の本宅が必要以上に豪華に見えたからそんなことを考えてしまうのだと、浩輝は自嘲気味に考え、頭を振った。
 今回の花婿となる祁堂礼一には好印象を持っていた。礼儀正しい好青年で、式の前の緊張感で心労を抱えている様も初々しくて好感に値する。それに比べて香住の当主の話は厨子夜婚の儀の後の村の利権に関する、生々しさが聞き取れた。
(願わくは、この結婚式が若い2人にとって幸せなものでありますように)
 次代の村長の話より、今はそれが大切な事項であるはず。浩輝は先刻会った好青年の未来を案じながら、逗留先の親戚の家の門をくぐって中に入っていった。

 須美子と沙奈枝と夕貴(ゆうき)。香住薫にとっての叔母と従姉妹。約10年ぶりの再会は彼にとっては心苦しさの連続であった。
 須美子叔母に対する苦手意識は、歳月の力を借りても払拭できるものではなかった。須美子叔母の美しさは、圧迫感と緊張感を薫に生じさせる悪しき象徴だった。残念ながら、この刷り込みは10年前と変わらず、未だに有効であった。
 沙奈枝も・・・変わっていなかった。確かに20歳という歳相応に美しくはなっていたし、その可憐さはまったく損なわれていなかった。しかし、それだけなのだ。沙奈枝は、やはり、変わっていなかった。
 須美子叔母と沙奈枝が変わっていなかったことに、薫は落胆はしたものの、驚愕はしなかった。それは予想の範疇だったから。しかし、驚愕を一手に引き受けてくれたのがもう一人の従妹・夕貴だった。
 沙奈枝と瓜二つのその外見。しかし、夕貴は沙奈枝に無いもの全てを備えていた。薫の記憶の中にある夕貴はそこにはいなかった。例えば金色の髪。例えば肉感的なその身体。例えば攻撃的なまでの快活さ。須美子の後ろに隠れていた幼い夕貴の面影は、見事なまでに払拭されていた。
 逗留先の親戚の家に帰りながら、薫は再び香住の女3人のことを思い返してみた。特に、花嫁となる沙奈枝のことを。
(ホントにこの結婚は望まれた、祝福されたものなんだろうか。それとも、僕はなにも判ってないだけなのか・・・)

「学校に行ってみようか? 凄く久しぶり」
 津島幸乃の提案を受けて、朝倉圭は学校へ続く道を歩いていた。
 厨子村には村の子供たちだけが通う小・中一体の分校がある。村を去るまでは圭も幸乃もその分校に通っていた。友達は、人数こそ少なかったが、みんな仲が良くて寂しさを感じる事は無かった。村を出ることになった時は、わんわん泣きじゃくった記憶がある。
 道すがら、懐かしい風景に目を走らせる。春になると花弁を舞い散らせる桜並木。夏になると泳いで遊んだ小川。ドングリを拾い集めた林。雪だるまを作って並べた畦道。どれも幸乃を含めた幼馴染みたちと遊んで回った場所だ。圭の胸に懐かしさがこみ上げてくる。2歩前を歩いていた幸乃も「あそこで私が・・・」とか「ここで圭ちゃんが・・・」等と幼い頃の楽しかった日を思い出しては話しかけてくる。
 幸乃の声にうんうんと頷き返していた圭だったが、ふとあることに気付く。ハッとなって周囲に目を走らせるが、やはり「ソレ」は見つからなかった。気付けば、幸乃のおしゃべりも止まっていた。その幸乃がゆっくりと振り向く。
「ねぇ・・・圭ちゃん・・・」
 その顔は、圭と同じ異変に気付いたことを語っていた。圭は幸乃の手を掴むと、目的地―――学校へと走り出す。
 そんなはずは無い。“村に子供がいない”なんて事、あるはずがない!!
 やがて、記憶の中のものと寸分違わぬ、木造の校舎が見えてくる。学校はあった! ここに子供たちが―――!
 確かに学校はあった。在校時に遊んだブランコや鉄棒といった遊具も、ペンキを塗り直されてはいるものの、そのままの位置にあった。だが、それを使うはずの子供たちの姿は、一つとして見つけることは出来なかった。時期は夏休みだ。確かに授業がなくてもおかしくはない。しかし、遊び場の少ない厨子村の子供たちは、毎日のように学校に集まって走り回っていたはずなのに。
「・・・これって、どういう事?」
 横から聞こえてきた幸乃の呆然とした声。その声に対する答えを、圭は持ち合わせていなかった。

「帰省者は70〜80人って所か。意外と帰ってくるじゃん。村の人口倍増って感じかな」
 太陽が山の端に姿を隠し、月と星が瞬き始めた頃、玉木司は村人から聞きだした情報を整理しながら歩いていた。日本宗教史を専攻している司にとっては、故郷で行われる「厨子夜婚の儀」という祭儀は格好の研究題材であった。厨子村出身であった司自身ですら知らなかったマイナーな祭り。いやが上にも興味が湧くというもの。
「本籍が厨子村の人間には、余さず招待状を送付とあるが・・・さて」
 シャーペンのノック部分で頭を掻きながら、司は情報を書き溜めたメモ帳を閉じた。ふと目を上げると、遠くに厨子神社に続く石段が見える。
「次はさすがに、神社(あそこ)、かね」
 心臓破りの石段攻略にゲンナリとしながら、司は歩みを速めた。厨子耶様と呼ばれる祭神と、互いにどれほど影響し合っているのかを知るには、厨子神社の調査は避けては通れないだろう。簡単には答えは出ないだろうが、研究者にとって遠回りすることは決して無駄なことばかりではない。
「がんばってくれよぅ、オレの両足」
 どうやら、まずは体力勝負のようだった。

「世界人類が正しき方向に進化できますように」
 胡乱な願いを声に出して言ってから、楢須藤竜一は賽銭箱に5円玉を放り込んだ。確かこの後、目の前のヒモを揺すって鈴を鳴らしてから、適当な回数拍手を打って目を閉じれば願いは叶うはずだった。竜一は汗ばむ手でヒモを握ると、勢いよく鈴を鳴らす―――筈だった。
「ん? あれ?」
 ヒモを揺する手には何の手応えもなく、ガランガランという景気の良い音も聞こえてこなかった。世界人類の正常進化はいきなり挫折した。
 見上げるとヒモの付け根、鈴の緒には何も付いていなかった。主のいない金具が、虚しく揺れているのが見て取れる。どうやら意図的に鈴が取り外されているようだ。想像できないが、鈴に何らかのトラブルが生じて修理中なのかもしれない。もしくは・・・鈴泥棒か!? 窃盗罪か!?
 想像はぐるぐると悪い方向へと転がっていき、竜一の意識は空想の法廷へと飛んでいた。
 検察官「鈴泥棒に死刑を求刑します!」
 竜一「異議あり!! 明らかにムジュンしています!!」
 竜一の頭脳は、回転することを止めない。ぐるぐる、ぐるぐる。

 天野信一が村を一回りして最後にたどり着いたのは、村を見下ろす高台にある厨子村のシンボル「厨子神社」だった。子供の頃何度となく足を運び、セミを取りカブトムシを取り、栗や柿を取って宮司に怒られた場所。宮司の元へ一緒に謝りに行ってくれた母親も、もうこの世にはいない。
 ヒタヒタ・・・
 昔日の思い出に意識を傾けていた信一の耳が、背後に微かな足音を捉える。振り向いた信一の視界が捕らえたのは白い千早(ちはや)に緋袴(ひばかま)姿―――俗に言う巫女装束―――の少女。確か、厨子村まで乗ってきたバスで、彼の前の座席に座っていた女子高生だ。服装はガラリと変わったが、特徴的な双房の三つ編みお下げは見間違えようがない。
 何となく話しかけてみると、控えめな調子で、と言うよりは幾分無愛想な感じで会話には応じてくれた。
 巫女少女―――芦鷹巧美(あしたか・たくみ)は厨子神社の現宮司・芦鷹真輔の姪だった。神社の手伝いでもしているのだろうか、境内の掃き掃除と灯篭の点火を済ませると、信一には大した興味を見せずに立ち去った。
 灯された灯篭から発する揺れる明かりに照らされて、厨子神社の威容が夕闇に浮かび上がる。そろそろ夕食の支度を終えて、親戚家族が帰りを待っているかもしれない。信一は巧美の後を追うように、厨子神社の急な石段を下り始めた。

 帰郷第1日目の夜が更けていく。