第三話「大震おおふるえ




 ガクン・・・!!
 山鳴りがして、木々が一斉に葉ずれの音を響かせた。
 未明の厨子村を襲った大揺れ―――大震。
 薄陽の射し始めていた空を全き墨色に染め直し、地が吼えた。
 ―――時、来(きた)る。

 大地に乱暴に揺り起こされて、芦鷹巧美は布団の上にペタンと座って大震が収まるのを待った。程なく揺れは弱まり、障子の向こうの空が薄青色に染まる。厨子耶様の兆候(きざし)、大地の揺れと空覆う闇は収まる。
 慌しく人が動き出す音を、巧美の耳が捉える。大震を受けて、真輔が触れを出す準備を始めたことが分かった。
 巧美は布団の上で、抱えた膝に顔を埋める。言い伝え通り、厨子耶様はやって来た。そして、それは25年後も繰り返されるのだろう。
「そんなの、イヤ」
 顔を伏せたまま肩を震わせ、巧美はポソリと呟いた。

 閉ざされた芦鷹邸の門扉を見上げ、津島幸乃はたたずんでいた。
 無断で叔父・芦鷹真輔の書斎へと入り込み、見つかり、告げられた言葉。
“厨子夜婚の儀が終わるまで、芦鷹家の敷居を跨ぐ事まかりならん”
 芦鷹家にとって無用の烙印を押された幸乃は、少なくとも明後日の朝が来るまで、芦鷹邸の門をくぐることは出来ない。でも・・・何度思い出しても腑に落ちないこと。真輔は確かに幸乃を咎めはしたが、声を荒げたりして激怒の情を見せる事はなかった。徹底的な拒絶と無表情な対応は、それ以外にも何かを含んでいるように思われる。
「希望的すぎるかしら?」
 自嘲的に笑って、幸乃は芦鷹邸の門の前を離れる。叔父には禁を言い渡された。しかし、手に入れた物もある。『ゐをどノ書 暗ノ巻』―――慄然たる記述は、決して忘れようもない。

「頼りにしてるよ、薫」
 香住夕貴の笑顔。それと引き換えに背負うことになった暗澹たる事実。『ゐをどノ書 輝ノ巻』を読み終えた香住薫は、その途方もない内容を真実として受け止めている自分の冷静さに、少なからず驚愕を禁じえなかった。
 従姉妹の言葉に従って拾い集めたパズルのピースが、ついに画を成したような感覚。そしてその画は残念ながら、そして予想通り、慄然たる題材を扱った怪物的なものであった。
 しかし、それでも尚、薫は差し出された夕貴の手を握った。姉を救いたいという夕貴の想いは、“二人の従姉妹を救いたい”という薫の想いと重なるものだったから。

 水底に群生する水草が揺れる様子が見て取れるほどに澄んだ沼の水面。浮かんでいるのは・・・煙草の吸殻。火の消えたPeaceは清涼な沼にはあまりにも不似合いで、その様子はあまりにも無造作だった。
 今し方吸殻を捨てていった男―――蒼戸空也から聞き出した言葉の異様さに、楢須藤竜一は自らの身体が瘧(おこり)に罹ったかのように震えるのを、まるで他人事のように知覚していた。
 顔すら覚えていない父親の死因と、女手一つで自分を育ててくれた母親の失明の原因。その答えが、よもや「発狂死」と「自身の手による重度の視神経損傷」とは。竜一自身、厨子村が異常極まりない状況の上に成っている事を感じている。しかし―――
「これでは、まるで怪奇小説で重要情報を握る、主要人物みたいだな」
 沼の水面に揺れるは、木の葉とPeaceの吸殻。

 山積する不可解な謎。解を求めれば求めるほど謎は増え、絡み合い、縺れ合い、身動きが取れなくなってくる。―――蟻地獄。神崎浩輝はそんな言葉を思い浮かべていた。今の状況を表すのに相応しい言葉だと、自虐的に考えてしまっている自分がいる。
 村役場で見つけた小さな綻(ほころ)び。「蒼戸」に関する資料は、村ぐるみで徹底的に隠匿されている。卒業アルバムで「蒼戸雄三郎」の文字を発見したのは、僥倖としか言いようがない。この綻びを紐解いていけば、何らかの真実に行き着けるだろうか?
「正直、好きなタイプの人間ではないが・・・」
 会わねばならないだろうか―――蒼戸空也に。

 さすがに震えた。ついに手に入れた、追い求めていた記号に。
 ムナールの星石に刻まれていたとされる五芒星の紋章―――旧き印。そして「ずしゃこん」「おりくす」。興味深い象徴(シンボル)を揃えたものだと、常時であれば笑えただろう。しかし、今置かれている状況を考慮すれば、笑ってばかりもいられない。馬鹿げた妄想だと笑い飛ばすには、私は知りすぎている。
 後戻りは出来ないし、もちろんするつもりもない。これで×××なら本望とも言える。ただ「知りたい」。きっとこの時のために生きてきたのだから。私、玉木司は。

 耳の奥で、未だに蝉の声がシャワシャワと響いている。丸一日厨子神社に身を置いていた朝倉圭は、幻の蝉声を振り払うように頭を振った。木陰とは言え、同じ場所に居続けるという事は精神的にも肉体的にもキツイという事を、身を持って知った圭だった。
 見つけたのは、御神体の厨子の小さな異変。厨子の扉が開けられた形跡があった。ごく最近、厨子の中に格納されていた“何か”が取り出された? それが何なのか、圭に分かる筈もなかったが。
 そして去り際に見かけた祁堂礼一と蒼戸空也。様子からして彼らが馴染みのある間柄であるとは思えないが、人目に付かぬように密談していたという事実は揺るぎ様もない。水面下で何が計画され、何が進んでいるのか。
「結局、分からない事だらけだなぁ」
 耳の中にいる幻蝉を追い出すかのように、圭は再び頭を振った。

 あまりの収穫の無さに、天野信一は肩を落とした。
 25年周期で起こる大量死の死因の手がかりを探して村の診療所を訪れたまでは良かったが、そこに待っていたのは頑なに口を閉ざす医師と患者。望んだ情報は何一つ入手できないという結果に終わった。
 診療所からの帰り道、厨子夜婚の儀の準備が進む村の中で耳に入ってきた、芦鷹巧美に関する気になる会話。過去にばかり目を向けていたが、25年後にも祭儀が執り行われるとすれば、その時に当然嫁神様が必要になる。慣例に従って嫁神の家が芦鷹家に移れば、年頃からして巧美の子供がその役を担うことになってもおかしくない。それは―――きっと悲しい事になる。
「私に何かできることはないだろうか・・・」
 厨子村の呪縛から抜け出す手立てはないのだろうかと、信一は思案に暮れた。

 全容を現してきた厨子村の影歴。
 厨子夜婚の儀は、明日執行される。