立ち直らせてください    <詩編119:25-32>

 ◇私たちは生活のいろいろな場面で、落ち込むということがあります。クリスチャンでも落ち込みます。どうにも自分の気持ちがやりきれなくなるときがあります。しかも、それは個人的なことばかりでなく、家族ぐるみであったり、もっと大きく社会的な現象のようなときもあります。ただ、クリスチャンは立ち直り方が違うのです。自分は、何によって立ち直るのかを考えてみてください。広い意味で「危機を乗り越える力」と言えましょう。それをどこに、何に見出していますか、ということです。

 ◇この詩人は「御言葉によって、命を得させて下さい」(25節)「御言葉のとおり、わたしを立ち直らせてください」(28節)と神様に祈っています。信仰者が頼りにするのは「御言葉」です。信仰とは一途なものです。ただ、この神様のみを頼りに生きることです。

 私たちにとって頼るべき御言葉とは、主イエス・キリストです。主イエス・キリストに示された神様のご意志(御言葉)とは私たちへの赦しです。落ち込んで、落ち込んでどうにもならなくなってしまった自分、そのどん底で、赦されている。限りない赦しがあるのです。「限りない」という言葉がここほど真実なところは他にありません。私たちはそこで立ち直るのです。

 ◇私たちは自分の持ち物、自分の手の内にある何かによって立ち直ろうとするのが常ではないでしょうか。そのようなとき、ある程度は修復されますが、ある程度は残ってしまうということを、私たちは経験的に知っています。そこで、自分の中に、主イエス・キリストの中に、新しい自分になっていく方法があることに気づかされたいものです。

 ◇立ち直ることが出来る、その実感はどこで、どのようにして味わえるのでしょうか。

  第一には、聖餐の恵みを通してです。配餐の度ごとに繰り返し読まれる、式文の言葉に「キリストの恵みを心の内に味わうべきであります」とあるように、自分の内に味わい、実感するのです。

 第二はキリストの体である教会において、赦しを聞き、実感するのです。教会はよそのどこよりも、赦しの場です。兄弟姉妹に向かい「心からあなたを赦します」と言い切るとき、立ち直ることが出来る力を、神様の恵みとして、私たちは頂くのです。   

 

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