「真の救い主」マルコ福音書12:35−37 |
2000.1/23勝田教会礼拝説教 勝田教会牧師: 二宮幸雄 |
◇この聖句はなかなか分かりにくい聖句の一つです。その理由は二つあります。第一の理由は、主イエスの話の展開の仕方です。当時の多くの人たちによれば、メシア(救い主)はダビデの子孫として生まれると考えられていました。主イエスもそのような信仰を受け入れておられるところもあります。マルコ福音書10章46節以下の「盲人バルテマイをいやす」という記事では、この盲人は主イエスを「ダビデの子イエスよ」と呼びかけて、主イエスにいやしてもらいました。
しかし、主イエスはここではそれを否定しておられるようにさえ見えます。
救い主はダビデの子孫というのは、それは肉によるつながりです。確かに主はダビデの子孫としてお生まれになられたのです。しかし、それは主イエスの半面でしかありません。主イエスは神の御子です。神様であられる主イエスを見失ってはなりません。それに気づかせるために、主はチャレンジングなほどに、話を展開しておられるのです。人々のメシアを思う心を神様に向けようとしておられるのです。
◇もう一つこの聖句が分かりにくい理由は私たちにあります。私たちはメシアの働き、救いを考えるとき、この当時のユダヤ人と同じように、政治的、経済的救いを思いやすいのではないでしょうか。そのとき、救い主は当然のように優れた人を期待します。主イエスはそこを指摘して、私たちの心を神様に向けさせ「救いは神様から来る」とはっきり告げておられるのです。
キリスト教によく似た考えに「ヒューマニズム」がありますが、この思想は人が努力して、良い社会を造り、また一人一人が質的にも向上して、人間によって人間は救われるという考え方が基本にあります。それを神様も見守り、応援して下さるというのが、キリスト教的ヒューマニズムです。
私たちの心にそんな考えがあるので、ここで主イエスが言われる「救いは神様から来る」ということが分かりにくいのです。主イエスから出された「どうして律法学者たちは、メシアはダビデの子だと言うのか」という質問の前に自分を置いて、もう一度「救いは神様から来る」ということを確認したいものです。私たちは救いを人に期待し、何度も裏切られてきました。その愚かさから救いだされたいと願います。主イエスは「真の人にして、真の神なり」との信仰告白をかみしめる思いです。
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