「福音の力」

ローマの信徒への手紙1:14−17

5/28勝田教会礼拝説教

牧師: 二宮幸雄

 ◇説教題は「福音の力」です。一番はじめに申し上げたいことは、福音は神様の力であるということです。「神様の」というところは前に学びました。その神様のお力である福音が、私たちの力となるように、と思います。私たちのものになってこそ、福音は力であるといえるからです。

 私たちが本当に納得するのは何によるのでしょうか。私たちを本当に動かしいる力は何でしょうか。

 そこを正直に考える必要があります。日常生活において、私たちはあまりにも多くのことを理論化し、知性や理性で受け取ろうとするため、福音までも知識や理屈にしてしまうことがあるように思えます。「理屈は、一番低い真理だ。理屈がなくてもいいほど燃えよう」とある人が言っています。福音が真実に私たちの力となるということを考えるとき、この言葉は心に留めておきたい言葉です。

 信仰生活を送る上で、信仰の理屈ともいえる教理は大切です。正しく信仰を知って、理解していることの大切さは、よくわかっています。しかし、知り理解しても力にならないのです。

 ◇ある人がおもしろいたとえで話しています「信仰の教理は、車にたとえれば、ハンドルで、福音は燃料です」と。進むべき方向をしっかりと向いていることは大事です。みなさん一人一人である車体はしっかりしていて、ハンドルも確か、ところが、燃料を燃やさなければ車は進みません。信仰の燃料は神様の愛です。神様に祈り求めて、神様に心を開いて、注いでいただくのです。

 病気で不安の中にあった方が「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」(ペトロ@5:7)という御言葉を読み、大きな平安と慰めを受けました。その人にとって、福音が力となった例です。理屈を越えて、神様のお力を求めて、いただいた例でもあります。

 福音が私たちの力となるには、聖霊の働きが必要です。聖霊の通り道は信仰です。ですからパウロは福音の力を説きながら「それは、始めから終わりまで信仰を通して実現されるのです」(17)と結んでいます。

 信仰は理屈という容器には入り切れません。ましてや、神様の私たちに対する御愛はなおさらです。形にとらわれず、活き活きと働かれる福音の力によって、喜びの前進をいたしましょう。福音はあなたの理論より大きな力です。

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