お菓子への熱き想い

(I love sweets.)

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食いしん坊の哀歌(その1)

 ◇私は「食い意地のはった子ども」であったらしい。よく「さびしい女は太る」と言われるが、子どももまたしかり。保育園の主任保母であった母は、私が学校から帰宅する頃にはまだ職場にいた。(職場といっても、ドア一枚で隣接していた棟続きであったが・・・。)「お母さんはどこ?」と保育園のなかをいつも尋ねていたような記憶がある。そうして見つけた母に「おやつはどこ?」と聞くのが決り文句であった。

 そうして出てきたのが、ふかし芋や、いただき物のお菓子や、給食の残りのマカロニだったりした。私はそれを腹が満ちるまで食べたように思う。そして当然の結果として、立派な「健康優良児」になってしまった。

 今でも思い出す言葉に「よく肥えたお尻だなあ」がある。1950年代には、小児科にかかるとよくお注射をされたものだ。針を刺すのはお尻。そこで、お医者さんが口にしたのが上記のセリフである。子ども心にも、ひっかかるものを感じたものだ。

 ◇その頃の主婦雑誌に「主婦の友」というのがあった。巻頭のグラビアページを彩る料理写真の何枚かにゴクリと生唾をのんだものだ。今でも鮮やかに記憶しているのは「ひな祭り」料理。その色とりどりの中でも、私の目を引きつけたのは赤・白・緑のひし形に切った三色ゼリー。その傍らで母はこともなげに言ったものだ。「そのうち作ってあげるよ。」

 ある日保育園の調理員研修会の出張から帰宅した母が、意気込んで言った。「シュークリームって、意外と簡単なものだねえ。今度作ってあげるよ。」

 素直な娘は待った。「そのうち」「今度」を信じながら・・・。しかし、18歳の春に悟った。「そのうち」「今度」は永久に未来の彼方にあることを。「もう、自分でやるっきゃない!」私はその年、とりあえず週一回の料理教室の門をたたいた。

私がお菓子作りを本格的に始めたキッカケ

 ◇今をさかのぼること15年前、勝田教会にミツコさんという、それはそれは優しく可愛らしく聡明なヤングミセスがいた。手先が器用で、手芸やお菓子作りを得意としていた。ところで彼女のハズバンドは、親会社からの出向で、勝田の地に勤務していたが、その出向期間が予定より一年延びた。ミツコさんはその一年を神様からのプレゼントとして受け取り、何をしたら有意義にすごせるだろうかと思いめぐらした。彼女が出した答えは、《自宅で月一回のお菓子教室を開く》ということであった。

 ◇喜んだ教会の婦人たちが、ミツコさんの3DKのアパートに押しかけた。ほとんどが初心者の集まり、それも手を動かすより口を動かしている方が多かったような気がする。《いい加減ぶりを発揮するおばさん》VS《彼女の丁寧な勘所を押さえた教授ぶり》。たとえば卵白の泡立てシーン、「この程度でいいでしょう」と切り上げようとするのに対して、「まだまだ」と彼女のチエックが入る。

 「もう少し」と励まされながら、スポンジケーキを始め、バラエティーに富んだお菓子作りを重ねること10回余り、菓子作りのポイントをしっかりと学ぶことが出来た。その後、お菓子作りの本を何冊も購入し、実習研究をしたが、ほとんどの基本は彼女の教室から得たものである。

 ◇彼女が教会に残したものは、パン種が醗酵するごとく膨らんでいった。勝田教会は「おいしい教会」となった。教会バザーでも、ケーキショップは大人気である。彼女が蒔いてくれた種は、彼女の思いをはるかに超えて、確実に育っている。ありがとう、ミツコさん。

 

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食いしん坊の哀歌(2)

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食べるために生きるのか、生きるために食べるのか

ぶきっちょ讃歌

お菓子は手作り、おかずは・・・

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クリスマスブーツ

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