新しい革袋   <マルコ福音書2:18-22>

 ◇主イエス・キリストの時代、ユダヤでとくに大切にされていたことに、安息日をまもること、断食すること、施しをすること、祈ることなどがありました。これらを守る人が真面目な人とされていました。主イエスの弟子たちもその生き方を見て、多くの人たちから真面目な人たちだと思われていました。

 しかし、主イエスの弟子たちは断食をしませんでした。そこで、「どうして断食をしないのですか」という質問が出されたわけです。それに対して主イエスは「新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるべきだ」とお答えになりました。今や、新しい時代に入っているのだから、断食のときではないと言われました。ぶどう酒と革袋は、内容と形式を表わすことはご想像のとおりです。「新しい革袋」という言葉は、革命家たちに好んで用いられてきました。新しい思想は、新しい社会体制(国家)の中で実現されるというような意味でしょう。

 ◇主イエスが言われた「新しさ」とは神様との関係・信仰のことです。神様との関係が新しくなり、今は断食をして生きるのではなく、むしろ、婚宴の席に招かれた者のように、喜び祝いつつ生きる、と言われるのです。

 断食をすることも信仰的なことでした。では何がその違いとなって現れるのでしょうか。神様と自分の関係をどのように考えているかによるのです。多くのユダヤ人たちは、厳しく自分を律して、喜びを後回しにして、我慢しながら生きるのがよいと考えていたのです。そうすることが神様に喜んでいただけると思いこみ、食べたい物も食べないで、明日の為にという生き方をしていたのです。律法を守らなければ、その者を裁かれるのが神様であると考えていたのです。「裁く神」を背後に感じつつ、恐れを持って生きていたと言えましょう。

 ◇しかし、主イエスは「今や、新しい神様との関係が始まった。神様は『赦す神』として私たちの前に立ってくださる」と言われます。この私が裁かれるのではなく、赦されている。そう思うだけで喜びがこみあげてくるではありませんか。讃美歌431番に「喜ばしい年、始まる。あがなわれた、罪人たち、喜びいさんで、ふるさとさしつつ、急いで帰ろう」と歌われています。私たちは今や、神様の赦しのただ中に生きているのです。パウロは「今や、恵みの時、救いの日」と言いました。実感して生きましょう。

 

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