心を開いて下さい<マルコ福音書7:31−37>

 ◇マルコの記事のほとんどが、マタイかルカに記されています。しかし、この記事はマルコにしかありません。マタイもルカも福音書を書くとき、マルコ福音書を持ってたことが分かっています。ところが、この記事は省いてしまいました。マタイとルカにとっては、その意味が理解できなかったからでしょう。「イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリスの地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた」とあります。

 この記事を理解する一つの鍵がここにあります。大変に遠回りをして、しかもデカ(10)のポリス(都市)を通り抜けて、今、耳が聞こえず舌の回らない人に出会っています。マルコ福音書が大都市ローマで書かれたことと関係があります。都市特有の問題の一つとして「耳が聞こえない」ことと「舌が回らない」ことが取り上げられているように思えます。「耳が聞こえない」というのは、人の言うことを聞かないことでもあります。「舌が回らない」とは自分の意見が言えないことともとれます。

 ◇現代日本は、あらゆる意味で都市化が進んでいます。しかもそれが良いこととさえ、されて来ました。進めば進むほど多くのコミュニケーションの手段が与えられていますが、その中で、心が病んで、自らを閉ざしてしまう人が多く出ています。私たちはそうならないように必死でもがいていると言っても過言ではないでしょう。主イエスもその現実に「天を仰いで深くため息をついて」おられます。

 主イエスはそのような私たちの前にお立ちになり「開け」と呼びかけておられるのです。この「開け」という語は特別な語です。その意味を説明すれば「心を開いて、神様の真実が分かる」ということです。ルカ福音書24章31節、32節や45節にその例が見られます。いずれも主イエス・キリストの本当のお姿が分かるということです。

 皆さん、心を開いて下さい。主イエスの真実にふれようではありませんか。讃美歌の430番の2節に「かたく閉ざした戸をたたいて、今なおイエスは呼びつづける。主イエスの愛のその広さよ。人の心のその弱さよ」とあります。この讃美歌を歌うことが出来る人は、心を開き始めています。主イエスの真実にふれると、人の言葉も聞け、話すことが出来ると信じます。

(1999.5/16礼拝説教 勝田教会牧師 二宮幸雄)

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