ノーザンディクテイターの会(以下:ノーザン会)は引退馬支援の会です。
現在、引退種牡馬「サクラロータリー」を支援しています。
ノーザン会では支援してくださる方を随時募集しています!
サクラロータリーに会ってきました♪2008・夏
最新のロータリーの姿を見てください!
サクラロータリーに会ってきました♪2006・夏
Last updated 2008.6.30
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ボクは元気です! ロータリー近景 2004年2月 ノーザン会会計の幌村さん撮影 |
サクラロータリーってこんなお馬です 1984年2月2日生まれの20歳。 父は”天馬”トウショウボーイ 母の父は”5冠馬”シンザン 新馬戦、400万下特別のりんどう賞、そしてオープン特別の府中3歳Sを3連勝。 りんどう賞で2着に負かしたのは後のダービー馬メリーナイス。 続く府中3歳Sで負かしたのは皐月賞・ダービー1番人気馬のマティリアル。 クラシック候補最有力とされていたロータリーはその後骨折により引退。 ”幻の3冠馬”として記憶されているオールドファンも多いことでしょう。 ”サクラ軍団栄光の軌跡”というビデオでは3戦とも鞍上だった小島太(元)騎手 が出演して、当時静内スタリオンステーションに居たロータリーと戯れながら 「無事ならば絶対に3冠馬になっていた」とコメントされています。 種牡馬引退を機にノーザン会の支援馬となったロータリー。おっとり・のんびり 可愛い性格のお馬さんです。 |
ノーザン会では昨年夏までもう1頭の引退種牡馬
プルラリズムを支援していました。
残念ながらプルラリズムは2003年8月31日に亡くなりました。
享年23歳でした。
病気によると見られる発作が原因で最期は安楽死となりました。
その死は非常に残念なことでしたが
23年の間、召される時まで皆に深く愛されたとても幸せな一生でした。
ありし日のプル
(ノーザン会会報の表紙より・2003年5月撮影)
プルラリズムの死について、是非以下のリンクをお読みいただければと思います。
愛されて生き、そして天国へ旅立ったプル。
馬を愛することって何だろう?と深く考えさせられます。
詳しくはこちらをクリックしてください。
以下にノーザン会についてご説明したいと思います。
ノーザン会では支援してくださる方を随時募集しております。
詳しくは当ページ管理人のerikaまでメールをいただければ幸いです。
ノーザンディクテイターの会 会則
※表中の黄色い文字はerikaによる注釈です。
(名称) | ||||||||||||||
当会は当会が支援を定めた馬にかかわらず、会が発足した理由となった ノーザンディクテイター号の名をそのまま残し、 ノーザンディクテイターの会として活動する。 |
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(目的) | ||||||||||||||
当会は当会が定めた馬の今後の余生を見守ることを目的とし、その支援活動を行うものとする。 ※現在支援をしている馬はサクラロータリー1頭です。 |
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(会の事務局の設置及び役員) | ||||||||||||||
会の事務局は千葉県○○市○○に設置する。※個人宅住所なのでここでは伏せさせていただきます また、役員は以下のとおり決定する。役員の在任期間は2年間とする。
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(会則) | ||||||||||||||
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(見学及び見学時間) | ||||||||||||||
会員が支援中の馬に会いに行く時は、繋養先の見学時間を厳守すること。 やむを得ず時間内に行けない時は、電話連絡の上必ず許可を受けて行く事。 ※サクラロータリーは2004年2月現在、天羽禮治牧場の本場に預託されています。 見学される際は競走馬のふるさと案内所に問い合わせた上、牧場にご迷惑のかからぬようマナーを守って見学 して下さい。 |
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(治療費ならびに各種検査料) | ||||||||||||||
治療費ならびに各種検査料は当会負担となるので、各会員一律に負担する事とする。 治療費の納入は年1回(12月末日)1000円負担する事とし、その月の支援金と一緒に 振り込むこととする。会員よりの治療費負担分より実費がでた場合は、 その差額は会の口座より支払う事とする。 |
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(納入済み代金) | ||||||||||||||
如何なる場合においても、納入済み代金は返還しません。 | ||||||||||||||
(会計報告) | ||||||||||||||
会の会計報告は年度末に行い、会計係より監査の承認を受けた後、各会員に報告する。 治療費の会計報告も同時に行う。 会計期間は次のとおりとする。(1月1日〜12月31日) |
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(預託先の変更) | ||||||||||||||
当会支援中の馬においては、諸事情により預託先を変更することもある。 その場合、馬の移動による負担を最小限にするよう努め、また変更先とも 十分に当会の意向を理解してもらえるよう努める。 なお、移動する場合は事前に各会員に報告することとする。 |
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(支援馬の事故、病気について) | ||||||||||||||
当会支援中の馬の事故、病気については繋養先に一任することとし、当会に 意見を求められたときは 当会役員で会としての意向を決定する。 |
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(退会) | ||||||||||||||
事情により支援金納入が困難になったときは各月末までに代表に申し入れることにより、 任意に退会することができる。しかしながら、それまでの支援に感謝し、会員名簿は そのままにすることとし 当会が支援中の馬の近況報告などは従来通り行う。 |
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(規約の変更) | ||||||||||||||
本規約は、必要に応じて変化する事があります。 変更の際は、各会員に知らせるものとします。 |
以上がノーザン会の会則になっています。
会員になってくださった方には、この会則の冊子が郵送されると思います。
なお、会員の方には不定期の会報が届きます。
もし、このページを見てくださって、ノーザン会の活動に賛同してくださり、支援をしてくださるという
方がいらっしゃいましたら、laurel@iris.dti.ne.jp までメールをくだされば幸いです。
2003年8月15日注記:現在牛尾会長はインターネット環境が整わないため
メールの送受信ができません。代って私erika宛てにメールをいただければ、
ノーザン会についてのご案内を差し上げ、牛尾会長にご連絡あった旨を
報告させていただきます。
〜erikaからのご挨拶〜 「ノーザンディクテイターの会」に興味を持ってくださってありがとうございました。 現在、引退馬の余生を考え、また支援している団体はいくつかあります。 みなさん、すばらしいご意志をお持ちで、活動されています。 なので、なにがなんでもノーザン会に支援を、とお願いするというスタンスではなく、 もし引退馬の余生に興味があって、そしてサクラロータリーのことを気に入ってくださったら、と思います。 現在ではインターネットというメディアが発達し、だいぶ便利になってきました。 インターネットでノーザン会のことを知っていただき、 新たに支援を始めて下さった方も何人もいらっしゃいました。 ロータリーの現役時代応援していたんです、と、ノーザン会がロータリーを支援している ことを知ってとても喜んで下さった方もいらっしゃいました。 そういう出会いは、その方にとっても、そしてロータリーにとっても、 すごく幸せなことだと思います。 この会を始められたのは牛尾治子さんという方です。 たまたま、訪れた静内スタリオンステーションでノーザンディクテイターと出会い、 その後、輸入されて以来20年もの間、ずっと日本で種牡馬を続けてきたノーザンディクテイターが 種牡馬をクビになってしまう、と聞かれたときに、唯一立ちあがって、ノーザンを引き取る事にご尽力された方です。 残念ながら、ノーザンは亡くなってしまいましたが、その経験を生かし、その後やはり同じように 種牡馬としてシンジケートが解散してしまったりして行き場のなくなってしまったプルラリズムを引き取られました。 そして、その後もう1頭のサクラロータリーを引き取り、今まで活動されてきました。 私は、静内スタリオンステーションでそのかわいらしい姿が印象的だったサクラロータリーが 行き場を無くしてしまうという知らせを聞いて入会したので、ノーザン会の発足当初のことなどを あまりよく知りませんでした。 しかし、牛尾さんのお話を聞き、本当に素晴らしいことだと思いました。 牛尾さんは、ただ一頭の愛しい馬を救いたい。それだけの気持ちで、ノーザンディクテイターを引き取られたのです。 残念ながら素人が馬を引き取って、幸せに暮らせるよう世話をすることは不可能に近いことです。 しかし、馬産地で賛同者を得て、またそのご縁でその後いろいろな方へと支援の輪を広げてこられたのも 牛尾さんの一生懸命な姿、ほんとうに馬のことを考えられてきた純粋なお気持ちのためだと思います。 私がロータリーと出会ったのは1997年、ローレルが静内スタリオンステーションに入った直後のことです。 当時の場長夫人であった幌村さん(現・ノーザン会会計)に出会い、 目の前でロータリーとローレルが幌村さんの手からにんじんを食べるのを見ました。 幌村さんは長年場長を勤められたご主人と共に、種牡馬達に愛情深く接してこられました。 幌村さんの姿を見ただけで、種牡馬達が「ヒヒン、ヒヒン」と甘えた声を出すほどでした。 にんじんをおいしそうに食べるロータリーの前で、 幌村さんが「この子はもうすぐここを出てゆかなければならないのです」と仰いました。 そして、まだ競馬や馬のことを何も知らなかった私は余された馬達が辿る”その後”を知りました。 種馬場でも、牧場でも、厩舎の数が限られています。 多くの場合、1頭新しい馬が入ることは他の1頭が出されることを意味します。 ちょうど静内スタリオンステーションにはローレルが入ったばかりでした。 ・・・ローレルが来たから、ロータリーは出ることになるのかな・・・ そう思いました。(直接的にそうではなかったのかもしれませんが) のんびりと、陽だまりで幸せそうに日向ぼっこをするロータリー。 ローレルもロータリーも、同じにんじんをおいしそうに食べた仲でした。 ローレルも、ロータリーも、可愛いな。そう思いました。 ロータリーとの出逢いはそんな感じでしたが、私にとっては縁のようなものを感じ、 ノーザン会の支援を始めました。もう9年前のことになります。 私がロータリーと出会った直後、彼が静内スタリオンステーションから出されることが決まりました。 そうしてロータリーはノーザン会の2頭目の支援馬となったのですが、 ロータリーは、生産された牧場さんで引き取ってもよいということだったらしいです。 しかし、ロータリーを入れるためにその生産牧場の馬が1頭出されてしまうのでは 本末転倒になってしまいます。 1頭の馬を救うために、他の馬を不幸にしない。それは、ノーザン会の原則です。 ロータリーのような日本で走っていた馬でさえ余されてしまうのですから その競走生活を知る人もあまりいない、外国産の種牡馬はより簡単に処分されてしまうことが多いのだそうです。 (どこかに移動してしまっても、その行方を気にする人がいないので) つい最近はケンタッキー・ダービー馬ファーディナンドの件が有名になりましたね。 このファーディナンドの件で、幌村さんはアメリカの競馬誌「ブラッドホース」の取材を受けています。 ノーザン会のこともブラッドホース誌に掲載されました。 「プルラリズムは、引退後も民間のグループにより世話を受ける唯一の輸入種牡馬であろう。」 と紹介されています。 馬の世話をする人にとっては、馬の可愛さはその子が例え内国産であろうと外国産であろうと、 変わらないんですよね。子供が走っているかそうでないかも関係ない。どの子も平等に可愛いんですね。 ましてや、外国から連れてきて、用がなくなったら即廃用、では、外国産種牡馬がかわいそうです。 ファーディナンドの時も、「どうしてアメリカに帰すことを思いつかなかったのか」 という非難の声がアメリカ側から上がったそうです。元のオーナーや、 そして引退馬の余生を支援する活動が盛んなアメリカでは他の個人や団体が ファーディナンドを受け入れた可能性は高かったのではないかと私も思います。 慣習のためか表ざたになる前に処分がなされてしまった事はファーディナンドにとって悲劇でした。 でも、それはファーディナンド1頭だけのことではありません。 輸入種牡馬だけを見ても、過去に何頭そうやって処分されてきたのでしょうか。 「そういうものだ」と言われればそうなのかもしれません。 でも、ひとりでもその馬のために何かよい方法を模索し 行動してあげられる人はいなかったのか、そう思うととても残念です。 日本では余生を送る馬がまだまだ少ない現状ではありますが、 1頭でも多くの馬が誰かに見出されたらいいな、と思います。 ひとりでは難しいことでも、より多くの人が集まればできることがあります。 ロータリーには幸いなことに見出してくれる人がいました。 ロータリーは今22歳。高齢です。 ノーザンディクテイター、そしてプルラリズム。今までノーザン会では2頭の馬を看取ってきました。 2頭の馬より幸せに看取ってあげたい。それが会としての願いです。 ロータリーはシンザンの孫ですから、長寿記録を更新するかもしれません。(^^) 不況が深刻化する中、支援金のほうも残念ながら年々少なくなっています。 これからもロータリーが幸せに天寿をまっとうするその日まで過ごせるように ひとりでも多くの方がご支援してくだされば・・・と思います。 もしノーザン会を支援してくださる方がいらっしゃったら erikaまでメールにてご連絡下さい。 |