年表−年齢は孫堅伝の記述に従っています−

一応この表内には矛盾が生じない様に気をつけましたが、ここ変だよと言う方や
私はもっと詳しく知っているという方は
掲示板にばんばん書き込んで下さい。

西暦元号出来事官職 年齢
155年永寿元年 『呉録』『漢紀』『呉歴』などに拠るとこの年に生まれた計算となる −−−
156年永寿2年 孫堅字文台。呉郡富春に生まれる −−−1歳
172年熹平元年 父親と共に銭唐へと向かう途中、匏里にて海賊胡玉らを退治。名を馳せる。
会稽で妖賊の乱が起こると、武に長けた者千余名を募って官兵と共にこれを破る。
仮の尉
郡の司馬
塩涜県の丞
17歳
3県の丞を歴任し、役人も民衆も彼によく親しみなついた。 くい県の丞
ひ県の丞
184年光和7年
中平元年
黄巾の乱勃発。朱儁の上表により、下ひより付き従う者達や淮水・ 泗水辺りの精鋭千余名を募って官軍として参戦。汝南・潁川の賊を圧巻。
宛に篭城した黄巾賊を、城壁を乗り越えて討伐。
佐軍司馬
別部司馬
29歳
187年中平3年 涼州で反乱が起こり、張温の上表により参軍。
長安で宿敵董卓を斬る様に進言するが入れられず。
長沙で乱が起こり、鎮圧の為太守として派遣される。 1月余りで長沙を平定。次いで零陵郡・桂陽郡へと郡の境界を越えて討伐、3郡は完全に平穏となる。

議カの官
長沙太守
烏程侯
32歳
189年中平6年 反董卓軍として兵を挙げる −−−34歳
190年初平元年 荊州刺史・南陽郡太守を討ち、軍勢を数万まで伸ばす。
魯陽にて董軍の奇襲を受けるが、隊伍の乱れぬ様を見て董軍は引き上げる。
梁の東部にて董軍の包囲を受けるが、祖茂の功により逃れる。
再び兵をまとめ陽人にて董軍と当たり、大いに勝利を収める。
兵糧の補給を怠った袁術に、陽人、魯陽間百余里を自ら駆けて直談判する。
董卓が洛陽を焼き長安へ遷都。
破虜将軍
豫州刺史
35歳
191年初平2年 洛陽に入り陵墓の修繕などを済ませると、一旦魯陽に戻り留まる。
この時伝国の玉璽を手にしたとの説在り。
『漢紀』『呉歴』に拠るとこの年に卒している。
−−−36歳
192年初平3年 袁術の命で荊州の劉表を攻める。劉表は黄祖を遣リ、樊城・ 城の辺りで迎戦。
黄祖を破り、漢水を渡りそのまま襄陽を包囲。襄陽城外のけん山を単騎通行中、 黄祖の軍卒の放った矢により卒す。
−−−37歳
193年初平4年 『英雄記』に拠ると、孫堅はこの年の正月7日に卒している。 −−− 38歳
229年黄龍元年 息子孫権が正式に帝位に就くにあたり、『武烈皇帝』を諡される。 −−−

最終更新日10月27日