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天皇 |
歴 史 事 績 内 容 |
遺跡・遺物 |
中国・朝鮮 |
紀前 |
【弥生時代前期】 | |||
| 300 | 蓋国は燕の南にあり、倭の北にある。倭は燕に属している。(山海経) | 春秋戦国時代 | ||
| 221 | 秦が朝鮮を統一 | |||
| 206 | 秦滅び漢興る | |||
| 108 | 漢武帝は衛氏朝鮮を滅ぼし楽浪郡などを置く | |||
| 91 | 司馬遷記を完成 | |||
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【弥生時代中期】 | |||
| 紀元前後 | 夫れ楽浪海中、倭人あり、分かれて百余国となる。歳時をもって来りて献見すと云ふ。(漢書地理志) | |||
紀元2 |
仏教が大月氏国より漢に伝わる | |||
| 5 | 東夷王は大海を渡りて国珍を奉ず。(後漢書東夷列伝) | |||
| 8 | 王莽、新王朝を興し皇帝を称す | |||
| 25頃 | 建武中、東夷の諸国は皆来りて献見す。(後漢書・東夷列伝) | 後漢光武帝即位す | ||
| 45頃 | 烏桓、および鮮卑は匈奴とともに後漢と交易を開く | |||
| 57 | このころ「倭の奴国王」後漢の光武帝に朝貢して「漢委奴国王の印」を授けられる(後漢書−東夷伝)。これ以前は「前漢の漢書」の「地理志」によると倭国(日本国)は百余国に分かれていたという。日本人は倭人と呼ばれていた。 | 後漢の光武帝 | ||
| 78 | この頃倭の奴国王没 | |||
| 【弥生時代後期】 | ||||
| 105 | この頃高句麗が盛んに南下する | |||
| 107 | 倭国の国王「師升等」生口(奴隷)160人を後漢の安帝に献じて、願い出て謁見を求める。(後漢書東夷伝) | 後漢の安帝 | ||
| 111 | 扶余、楽浪郡を襲う | |||
| 124 | 鮮卑、玄菟郡を襲う | |||
| 132 | 高句麗、後漢の西安平を撃つ | |||
| 178 | この頃、後漢の楽浪郡支配は弱体化する | |||
| 180 | 後漢の将軍皇甫嵩が黄巾賊を討 | |||
| 188 | このころ倭国は大いに乱れ、戦争が相次ぎ、ついに「卑弥呼」が女王として出現する。卑弥呼は倭国30余国の小国の連合体( 定説では「邪馬台国」を中心とした連合体といわれる。)の象徴として共立された。 | 代表的な遺跡として「吉野ケ里遺跡」がある。 | 公孫康の帯方郡設置以来、倭韓は帯方郡に属す | |
| 189 | 董卓が洛陽を占拠する | |||
| 190 | 洛陽が焼け落ちる | |||
| 204 | 公孫康、楽浪郡を支配し、南部を分かち、帯方郡を置く | |||
| 208 | 赤壁の戦い | |||
| 210 | 倭韓遂に帯方に帰す | |||
| 220 | 後漢滅び、三国(魏、呉、蜀)時代始まる、曹操死す | |||
| 221 | 劉備蜀の皇帝となる | |||
| 229 | 孫権呉の皇帝となる | |||
| 238 | 魏の司馬氏公孫氏を滅ぼし、楽浪、帯方の二郡を接収 | |||
| 239 | 6月、卑弥呼は大夫( 大臣をいう。)「難升米」(なしめ)らを魏の都洛陽に遣わし、天子に朝献することを求め、その年の12月に「親魏倭王」の称号と「金印紫綬」などを賜り、また「銅鏡百枚等」を賜う。( 晋の陳寿著 「魏志倭人伝」。) | |||
| 240 | 帯方郡太守弓遜、「魏の詔書」「金印紫綬」「銅鏡百枚等」を倭国に送付する。 | 魏の正始元年の銘のある銅鏡が但馬国出石郡・上野国群馬郡の古墳から出土する。 | ||
| 243 | 女王卑弥呼、難升米、牛利らは全ての倭人国に金印紫綬、銀印青綬を示し、倭人国全体の大王権、宗主権を主張した。狗奴国は女王国に従わず抗争が激化女王は魏に液邪狗らを遣わしこの状を報じ、液邪狗らは率善中郎将の印綬をもらう | |||
| 245 | 魏朝、詔して倭の難升米に黄幢を賜ひ、郡に付して仮授せしむ。 | 魏斉王 | ||
| 246 | 韓族、帯方郡を攻撃し、帯方太守弓遵死す | |||
| 247 | 倭女王卑弥呼、狗奴国の卑弥弓呼と素より和せず。倭載斯烏越らを遣わして帯方郡に相攻撃する状を説く。魏帯方郡は張政らを倭に遣わして告諭す。また、「詔書」「黄幢」を難升米に拝仮し、「檄」を為りて之を告諭す。 | |||
| 248 | この頃卑弥呼死す。大いに冢を作る。径は百余歩、葬に徇ずる者は奴婢百余人。卑弥呼死後、男王を立てしも国中服さず相誅殺す。千余人。卑弥呼の宗女壱與(台与)年十三なるを立てて王と為し、国中遂に定まる。壱與は使者を遣わし張政らの還るを送らしむ。 | |||
| 263 | 魏、蜀を滅ぼす | |||
| 266 | 邪馬台国の女王「壱與」西晋に入貢する。 | 西晋時代 | ||
| 280 | 吉備勢力起る。日本列島に九州、吉備、近畿の三大勢力の体制が現れ始める。 | 福岡県小郡市津古生掛古墳。前方部が非常に小さく、後円部が大きい 長方形の竪穴式板石積石室 | 晋、呉を滅ぼして天下を統一す | |
| 316 | 晋、滅ぶ。五胡十六国時代始まる | |||
| 317 | 江南に東晋起る | |||
| 340 | 百済王は太子を倭国に送って人質とする。 | |||
| 366 | この年百済と通交を約する。 | |||
| 367 | 百済から初めて倭国に遣使が来る。 | |||
| 369 | 倭は海を渡り、百済と結び、新羅を撃ち破った。「魏志倭人伝」によると狗邪韓国は倭人の国であったという。 | 高句麗、百済を攻め、雉壌で敗北す | ||
| 【古墳時代前期】 | ||||
| 371 | 倭は百済と同盟、高句麗を攻め平壌を攻略、高句麗故国原王を戦死させた | |||
| 372 | 百済王、七枝刀を倭王に贈る | |||
| 385 | 百済辰斯王立つ、倭に対して反抗 | |||
| 391 |
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この年倭国は、高句麗の属国であった百済・新羅を攻めて臣民とする。 | 高句麗広開土王即位 | |
| 392 | 倭国は百済阿花王を立てる | |||
| 394 | 倭大王崩御。倭の将軍一部の将兵を残し、帰国する。 | 高句麗広開土王、百済を攻め、帯方を奪回、百済を臣下とする | ||
| 397 | 百済王、倭に従わず。倭は百済領土を侵す。百済は王子直支を倭におくり和を講う | |||
| 400 | 応神 | 倭国大王「讃」が立つ | 倭は百済と連合して新羅に侵入し、高句麗は、倭・百済連合軍を新羅から追い出す | |
| 404 | 応神 | このころ「古墳」が作られ、なかでも「誉田山古墳」、「大山古墳」が有名。副葬品には、武具、武器、埴輪などがみられる | 倭軍は帯方界に進入して高句麗軍と戦い、敗退する。斬殺されるもの多数有りと | |
| 【古墳時代中期】 | ||||
| 413 | 応神 | 東晋に方物を献ず(晋書)。倭王「讃」あり(梁書)。 | 高句麗広開土王死す | |
| 416 | 応神 | 百済王、東晋に使者をおくり、使持節都督百済諸軍事鎮東将軍百済王の称号を下付さる(晋書百済伝) | ||
| 418 | 応神 | 倭国は東晋の安帝(357-418)のとき、使をやって方物をすすめる。 | ||
| 420 | 応神 | 東晋滅び、宋興る | ||
| 421 | 応神 | 倭国王「讃」は、宋第一代武帝に貢して、「安東将軍」「倭国王の詔」を受ける。(宋書倭国伝) | ||
| 425 | 応神 | 倭国王「讃」宋に司馬曹達を遣わし貢献す(宋書倭国伝) | ||
| 427 | 応神 | 倭王「讃」崩御、弟「珍」立つ(古事記及び宋書倭国伝)。 | 高句麗、都を平壌に遷す | |
| 431 | 仁徳 | 倭国兵、新羅の東辺を侵す(新羅本紀)この頃、百済と新羅に紛争起こる | ||
| 438 | 仁徳 | 倭国王「珍」宋に文物を贈り「安東将軍」の称号を与えられる。 | ||
| 443 | 允恭 |
倭王「珍」崩御、子「済」立つ(梁書)。倭国王「済」は、宋に入貢して「安東将軍」・「倭国王」を賜る。(宋書倭国伝)。 | ||
| 451 | 允恭 | 倭国王「済」は使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事・安東将軍・倭国王を望み賜る(宋書倭国伝)。さらに倭国王「済」を安東将軍から「安東大将軍」に進める(宋書文帝紀)。「国造」、「県主」制度ができる。 | このころ畿内で「須恵器」が作られる。 | |
| 454 | 允恭 | 倭国王「済」が没する。 | ||
| 462 | 安康 |
倭国王「興」は、宋より「安東将軍倭国王」の称号を受ける。 | ||
| 463 | 安康 | 倭国王「興」が没する。 | ||
| 467 | 雄略 | 倭国王「興」の弟の「獲加多支歯大王」が立ったとされている。 | ||
| 471 | 雄略 | 埼玉県「稲荷山古墳出土の鉄剣」に「獲加多支鹵大王」と記され、熊本県「江田船山古墳出土の鉄刀」に同じく「獲加多支鹵大王」と記され、「漢字の使用」が認められる。 | ||
| 477 | 雄略 | 宋順帝即位を祝い、倭国遣使献物(宋書順帝紀)。倭王「武」自ら使持節都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事・安東大将軍・倭国王と称す(宋書倭国伝)。 | 宋順帝即位 | |
| 478 | 雄略 | 宋の第八代順帝のとき、倭国王「武」は、宋に上表文を送り高句麗を打つための援助を求める。宋は詔して「武」を「安東大将軍倭国王」に除す。「武」は、「獲加多支鹵⇒日本書紀ではワカタケルをさし、通説では雄略天皇のことだとされている。讃、珍、済、興、武の五人は「倭の五王」といわれている。( 大和王権 ) 「武」は、「宋」、「斉」、「梁」の帝から安東大将軍、鎮東大将軍、征東将軍の称号を与えられ、活躍が目覚しかった。 また武の祖先が関東や九州を統一したとの記述が「宋書 夷蛮伝 倭国条」にある。 |
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| 479 | 雄略 | 倭王「武」南斉建国を祝って使いを遣わす。南斉は倭王武を安東大将軍から鎮東大将軍に進める(斉書倭国伝)。 | 宋亡び斉興る南斉 | |
| 【古墳時代後期】 | ||||
| 502 | 雄略 | 倭王「武」、鎮東大将軍から征東大将軍に号される。(梁書武帝紀) | ||
| 503 | 武烈 | このころ大伴氏、物部氏、蘇我氏の中央豪族が、大連(おおむらじ)・大臣(おおおみ)として台頭してくる。また、大和政権の蘇我氏が三蔵( 大蔵、内蔵、斎蔵 )を管理する。 | 百済武寧王、日本に遣使。新羅、初めて国号を新羅と定める | |
| 507 | 継体 | 倭王「武」崩御して後継争い激化す。大伴金村が継体天皇を越前から迎え、実権を掌握する。継体天皇は謎の多い天皇として知られている。 | ||
| 512 | 継体 | 大伴金村が諸氏の反対を押しきり任那4県を百済に割譲する。( 540年に金村は失脚 ) | ||
| 513 | 継体 | 百済が「五経博士」を献上する。 | ||
| 527 | 継体 | 大和政権が新羅に出兵しようとしたが新羅と通じた筑紫国造磐井が反乱し、これを阻む。「磐井の乱」 | ||
| 528 | 継体 | 大和政権は大連の物部麁鹿火を筑紫に派遣して激戦の末に磐井を鎮圧する。( 物部氏の台頭 ) | ||
| 534 | 継体 | 継体天皇が崩御する。安閑天皇即位する。 | ||
| 538 | 宣化 | このころ百済の聖明王から仏教典が献じられ仏教が伝わる。「仏教伝来」 | ||
| 552 | 欽明 | このころ百済から伝わった仏教について崇仏派の蘇我稲目と廃仏派の物部尾輿とが対立する。 | ||
| 554 | 欽明 | この頃百済より「医・易・暦」博士が来朝する。 | 百済救援のため新羅に出兵する | |
| 562 | 欽明 | 任那の宮家が新羅に滅ぼされる。 | ||
| 585 | 用明 | 物部守屋らが仏殿・仏像を壊して焼き捨てる。 | ||
| 587 | 崇峻 | 蘇我馬子が物部守屋とその一族を滅ぼす。「物部氏の滅亡」( 蘇我氏の台頭 ) | ||
| 589 | 崇峻 | 隋が中国を統一する | ||
| 【飛鳥時代】 | ||||
| 592 | 推古 | 蘇我馬子が崇峻天皇を殺害する。推古天皇即位する。 | ||
| 593 | 推古 | 聖徳太子が摂政となる。 | ||
| 594 | 推古 | 聖徳太子が仏教興隆の詔を下す。 | ||
| 596 | 推古 | 奈良飛鳥寺が完成する。 | ||
| 604 | 推古 | 憲法17条が制定される。 |
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