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情報記事-雑賀圭五様より 2007.4.1
地元の方々や県外からの雑賀衆応援団、前夜祭から始まって年々盛り上がって来ていますね。この調子では和歌祭りに次ぐ味のあるもになっていくようですね。
私は今回多くの人々とお会いできて、懐かしいはなしなども多く、もう少し時間をとってゆっくり話したい人人と分かれて来ました。
個人の感想
@ 南海温泉時代のおばあさん(孫八さんの義母)と40数年も前の話を、当時の人名など出て永らく昔を懐かしんだ。(当時の本人には電話連絡まだつかず)
A 大橋市長には昔父君大橋県知事(当時)が雑賀一族会の顧問をしていただいておりその当時のコピーをお渡しして、説明申し上げた。孫市の後押しをお願いした。除幕式の時には遠路水戸黄門(私の扮装)までが「紀州路世直しの旅」で着てくれたと披露して頂きました。
B 鉄砲のはなし、家紋が非常によくにていたはなし、城郭研究会員さんのはなし埼玉の雑賀衆がスイーツを多く差し入れしてくれた話。またその方が雑賀衆の巾着を手縫いで作ってくれた。・・・・種はつきませんでした。
又思いつきて出します。


情報記事-雑賀圭五様より 2006.12.6
3日(日)天草市アレグリアホテルでサミット・懇親会が18時より参加者約80名で行われました。それにさきだち熊本駅12時半に集合した各地からの40数名は貸切バスで、鈴木神社に参拝したわけですが、私は時間を一時間間違えて貸切バスに乗り遅れ、路線バスでただ独り2時間20分かけて、ホテルに行ったわけで、最初のイベント肝心の神社参拝をキャンセルしてしまうと云うチョンボをしでかし、吉田宮司さまはじめ関係者に心配をかけてしまいました。(度忘れ、勘違いも多くここ2週間車のキーも見つからず予備キーを使っている始末。)市長、観光協会会長、鈴木神社宮司さん、地元の人々による昔からつたわる「鈴木さんに感謝する」歌による踊りを披露して頂き、歴史の話、楽しい出会いの語らい、例年に無いほど遅くまで盛り上がりました。司会者の最初の説明で「北は北海道から・・・・・」私は懐かしい実春さんを探してテーブルの名札を覗いて廻ったのです、平岡さんに尋ねたら残念ながらキャンセルになったとのこと、司会者に連絡していなかったと、大丈夫でしょうか?私も昨年から一泊以上の旅はしていないのです。
金沢、千葉県、沼津、京都・・・白山市鳥越支所(旧鳥越村)の奥次長さん3度目の出席、広島から前回に続いて尾崎さん(孫市が討ち取った鳥居元忠の鎧を大阪城に寄贈された)地元テレビ局の取材もあり、日経新聞社の編集局鈴木次長さんも来られており日経新聞には記事が出るでしょう。その内会津の雑賀についての記事を書く予定だと言っていましたので札幌の好川之範氏の本「幕末の密使」について話しておいた。2年前は佐渡の雑賀さんと政徳さん十数名の雑賀姓でしたが、今回は私一人で鈴木ー雑賀の繋がりがよく判って貰えなかったと思う。

「鈴木神社」の写真 天草観光関連のHPより

熊本日日新聞より

鈴木正三の供養塔です、銅像は未だ揉めているとのこと。
情報記事-雑賀圭五様より 2005.3.6

情報記事-雑賀圭五様より 2004.12.18
水曜日の夜NHKの「その時歴史は動いた」で近藤勇の処刑後の土方の闘いや残された写真のエピソードが放映されていました。
時を同じくして前日札幌の作家好川之範氏より北海道新聞9日の夕刊記事が送られてきました。「一瀬家秘蔵 土方歳三の古写真」です。
彼は十数年前に「幕末の密使」を著し雑賀孫六郎が大阪城から幕府の古金十八万両を蝦夷に運んだという当時の物語を出しています。
紀州雑賀衆の血をひき、戦国が終わって会津藩に仕官して一瀬の姓を名乗っていた。当主は一瀬勘助、実弟は雑賀孫六郎重村を名乗っていた。この家に伝わる古写真と孫六郎などのことを記事にしています。
情報記事-雑賀政徳様より 2004.6.7
現代工芸の件ですが2004.6.27から鎌倉現代工芸40周年が、開催さる事になり小生も作品を出展します。
1、彩とやたがらす
山が,秋に紅葉し燃える様に!海原は、早春に香る様なコバルトブルーに変貌します。砂浜を、早春の風に愛娘がかけて来ます!(45センチ,トルコブルー、やたがらすの大きなボタン)作品を後日 写真を、伝送します。先日の秋バジョン作品2点伝送します宜しくねがいます。
1、孫一青磁面
1、黒縄文様やたがらす壺

彩とやたがらす

黒縄文様やたがらす壺

孫一青磁面
情報記事-雑賀会長様より 2004.5.30
広島の尾崎さんが作った資料「伝鳥居元忠最後使用具足の初公開」のパンフレットを勲さんから頂き興味深く読みました。平成13年12月大阪城で展示され又平成15年秋には特別展「五大老」−豊臣政権の運命を託された男たちーの図録に初収録されたもので、この具足はね特別展終了後、大阪市へ寄贈されたとのこと。残念ながらこれらを見ていません。鳥居を討ち取った鈴木孫三郎重朝(雑賀孫市)と鈴木孫一重秀(雑賀孫市)の関係は諸説入り乱れていますが、伊達政宗に助けてもらったという話は面白いですね。和歌山県庁から熊野地区の世界遺産登録に関連して「観光大使」になってほしいとの依頼がありました。県外在住の出身者にPRをして貰う意味ですが、具体的な話は明日電話でやることにしています。 秋の藤白鈴木会のこともあり何かをせねばと思っています。又判り次第報告しますので御協力お願いします。
情報記事-きえもん様より 2003.8.15 きえもん様のホ-ムペ-ジ
2003.08.14日本経済新聞 加賀一揆軍と織田軍の子孫 420年ぶり和解の握手
「一向一揆祭り」で 戦国時代の宿敵が約420年ぶりに仲直り。
「一向一揆祭り」で和解の握手を交わす一揆軍と織田
信長軍の武将の子孫同士=14日午後、石川県鳥越村
戦国時代の宿敵が約420年ぶりに仲直り―。加賀一向一揆の中心地の石川県鳥越村で14日、「一向一揆祭り」の目玉として、激戦を交わした一揆軍と織田信長軍の武将の子孫同士が和解の握手を交わす「手打ち式」が行われた。
主役は神戸市の会社社長鈴木勲さん(72)と大分市の会社社長佐久間忠弘さん(62)で、それぞれ、一揆軍の武将鈴木出羽守と織田軍の武将佐久間盛政の子孫。「先祖の武勇をたたえ合いたい」と意気込んでいた鈴木さんが笑顔で手を伸ばし力強く握手。「敵」だった佐久間さんも「村の人が本当に温かく迎えてくれた」と感激していた。
式は「戦国の争いにピリオドを打ち、村の歴史を楽しい祭りの中で残したい」と板倉武雄村長(77)がおぜん立て。あいにくの雨となったが「争いの多い現代社会で、こんな催しができて幸せ」と満足げだった。
戦国時代、加賀地方は一向宗(浄土真宗)の門徒が約100年間支配していたが、1582年に全国統一を狙う織田信長軍に滅ぼされた。
情報記事-ふしみ様より
小生、『清良記』を調べ遊んでいます。この本は、第七巻に農業の事が書かれ、日本
最古の「農書」として著名です。伊予国宇和郡大森城主・土居清良の一代記です。こ
の土居氏も本姓は鈴木氏で、重家の長男が始祖となっています。伊予に土着する経緯
は、河野通信と従弟の関係に当り、「衣川」に赴く際に子供を宅したことになってい
ます。孫市もチラリと登場します(余り好意的記述ではありませんが)。全編の活字
本は、地元の松浦郁郎氏がされ、愛媛県吉田町の佐川印刷で販売されています。5千
円と値が張ります。小生はこの本が編集されたのは、延宝7年だと異説を立て、『伊
予史談』321号に発表しています。この調べをするのに、藤白神社に吉田宮司さま
にもご教授を願い、熊野三山も巡りました。「土居」は「牟婁」の土居により名乗っ
たともあります。 鈴木情報をご一報します。
土居氏の始祖とされるのは、「太郎千代松」とあり、成人して「土居太郎清行」と名
乗ります。「三人の若の有りしに、太郎千代松殿を文治五年巳酉二月はじめに、伊予
河野通信を頼み、あずけ下さりける。この通信も、同国新井の紀四郎近清も、重家の
従弟なる故なり。」「件の太郎清行の弟二人ありしが、鈴木奥州にて死去ありしによ
り家まずしく、その上義経方の武士は末々まで頼朝公の威勢に押されて、有るも無き
が如し。かかるにより清行をたよりて伊予に下り、まず清行すなわち徳能の家に居お
わしまして、母方の名字を取り、徳能の三郎能行とぞ名乗りける。」と、弟の独りが
伊予に来て徳能氏を名乗ったとあります。この弟の家系は、後に「今城」「有馬」と
名乗りを変え、宇和郡金山城主となります。『義経記』を元に創作したものかもしれ
ません。
「鈴木氏」探索中に、「新宮市史」の三重県熊野市有馬町の極楽寺に孫市の墓がある
と記され、探訪しましたが、ここには戦国大名の「堀内」一族の墓があり、孫市の墓
はありませんでした。同じ熊野市木の本町にも極楽寺があり、こちらに尋ねても無い
との事。帰路、国道24号線沿いに(有馬地区)、「雑賀孫市」の墓とあり、碑文・
供養塔がありました。写真にも収めました。孫市の終焉の地だと書かれていたはずで
す。(整理が悪く出てきませんでしたが、自宅に有るはずです)これは、どのように
解釈したら良いのでしょうか.
2001年8月『第三回鈴木サミット』開催予定
神戸の鈴木勲さまより、『第三回鈴木サミット』開催の速報が入りました
のでご連絡申し上げます。
本年は、加賀鳥越村の一向一揆祭りにあわせて、「一向一揆祭り」、「鈴木
サミット」、「全国城郭サミット」を同時に開催するとのことです。
□第三回鈴木サミット日程 8月13日 13時受付 開会・祝辞・郷土芸能披露・祭り見学
8月14日 10時 ス-パ-林道案内
14時 基調講演
15時半 座談会、一向一揆祭り見学
なお、鈴木出羽守には秋田の鈴木杢之助さまが扮するとのことです。
8月15日 9時 城山見学
10時 歴史館見学
11時 昼食パ-ティ
12時 解散
なお、受付・連絡などの詳細は「藤白神社」の吉田宮司さまと協議中とのことでした。
詳細が決まりましたら、またお知らせ致します。
鳥越村では、遠方から来訪される方のために、前日12日から宿泊施設を用意
しているそうです。
40人定員で、宿泊費は12日7,700円。13日、14日は5,500円。 また、JR小松駅から現地までのバスでの送迎を準備しています。
以上 幹事でした。
2001年8月に加賀鳥越で一向一揆祭りがあります。
鳥越村のホ-ムペ-ジにリンクしてございますのでどうぞご覧くださいませ。この情報などは鈴木勲さんからいただきました。鳥越村の担当者をご紹介していただきました。
一向一揆祭り
2001年
4月21,22日和歌山で第三回鉄砲祭りがあります。
日韓観光交流の一環として、韓国沙也可の里より沙也可研究会
会長等を招待するとともに和歌山県主催の「沙也可の故郷を訪ねて」
一行の会場参加も企画しているとのこと。
尚19日より観光交流関係者がソウルに行って交流会後
一部は沙也可の里を訪ねるとのことです。
この便は白浜空港から出発するようです
作家神坂次郎氏をこの夏に鳥越村での鈴木サミットに招聘したいと神戸の鈴木勲さんが企画していますが、
予算のこともあり、鉄砲祭りに会って口設いたらと話し合っていますが?
2000年9月10日 第3回鈴木サミット見送られ「藤白鈴木会」が開催される
諸般の事情で、第3回鈴木サミットが見送られたそうですが、来る10月8日に和歌山県の「藤白神社」にて、「藤白鈴木会」が開催されるそうです。詳しいことは、下記のとおりでございます。
日時 10月8日日曜日 午前11:00より 藤白神社秋祭り当日会費 3000円 食事、神酒、御神札等として。
場所 藤白神社 JR紀勢本線海南駅より徒歩15分
連絡方法 FAX 073-483-3870 で出席できるかどうか問い合わせして下さい。
〆切り 9月30日
〒642-0034海南市藤白466 藤白神社
電話 073-482-1123
以上です。
2000年9月7日 「藤白鈴木会」についてのご質問ですね。
藤白(藤代-と言う場合もあります)は、ふじしろと読みますが、その藤白は和歌山県にありまして近くには熊野神社があります。その熊野神社の宮司、別当などを古代から代々勤めていたのが鈴木氏一族なのです。そして、この鈴木一族の支族が藤白に住みつきました。
その後この藤白から全国に鈴木氏が広まっていきました。その関係で、藤白は鈴木氏の発祥の地と言われています。
その藤白という地に、全国の鈴木家本家とされる人達が住んでいましたが、今はその鈴木も絶えて、鈴木本家の家が廃屋同然の状態になり、見かねた藤白神社(ここも鈴木氏)が鈴木本家の近くにある関係で、その廃屋を維持管理するようになりました。
それが縁で藤白神社は「全国の鈴木氏」が集まる場所となりました。本来は「全国鈴木一族の会」が結成されていますので第3回鈴木サミットとして、集まるはずでした。ですが、理由はわかりませんが今回は中止となり、「藤白鈴木会」として、全国から鈴木氏が集まるようです。
わたしは、埼玉なので残念ですが参加できません。ですが、今回は鈴木氏の支族の「雑賀一族の会」からも参加する人がいるそうです。
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