
| 歴史人物事典 | 歴代天皇総覧 | 年表古代史 | TOP頁 | 参考文献 | このペ−ジは、年表形式で 「中世-応仁の乱勃発から近世-徳川家康の死去にかけての戦国時代の様相」の概要をみていくものです。また、皆様からのご意見・誤りのご指摘などありましたら hinet@wave.dti2.ne.jpにてご連絡下さいますようお願い致します。 |
| 西暦 | 和暦 | 月日 | 中世〜近世−戦国時代 |
| 1467 | 応仁元年 | 1月15日 | 山名持豊・畠山義就ら諸将に呼びかけ幕府に迫り、山名持豊は足利義視を幕府移す。 |
| 1月18日 | 畠山義就は畠山義英と京都上御霊社に戦い破る。( 応仁の乱勃発 ) 天皇・上皇は室町第に避難する。 | ||
| 5月20日 | 西軍山名持豊、畠山義就らが挙兵、東軍細川勝元の討伐を計画する。 | ||
| 5月26日 | 洛中に東西両軍激戦となる。 | ||
| 6月1日 | 足利将軍義政は義視に対して西軍山名持豊の討伐を命ずる。 | ||
| 6月11日 | この日洛中に火災があり寺社など多数焼失する。 | ||
| 7月20日 | 大内政弘、河野通春ら西軍山名持豊に応じて挙兵し兵庫に至る。 | ||
| 7月25日 | 東西両軍諸処に激戦する。 | ||
| 8月23日 | 足利義視は伊勢国に逃げ北畠氏を頼る。この日天皇・上皇は室町邸に行幸する。 | ||
| 10月03日 | 東西両軍相国寺で激しく交戦し、相国寺の僧が西軍に応じる。朝廷は山名持豊の討伐を宣下する。 | ||
| 1468 | 応仁2年 | 4月29日 | 心敬が「ひとりごと」を著す。 |
| 8月13日 | この日東西両軍深草で交戦しついで法性寺、藤森などで交戦する。 | ||
| 9月04日 | 東軍は仁和寺を攻め放火する。 | ||
| 9月07日 | 両軍は山城国船岡山で交戦する。 | ||
| 9月11日 | 足利義視は上洛して将軍足利義政と会見する。 | ||
| 11月05日 | 京極持清と六角高頼の兵が近江国で交戦する。 | ||
| 11月13日 | 足利義視は逃れて比叡山へ行きついで西軍に入る。 | ||
| 1469 | 文明1年 | 4月22日 | 西芳寺・西福寺など応仁の乱により兵火にかかる。 |
| 5月12日 | 美濃国斎藤妙椿守護代が、東常縁の詠歌に感動し侵略した土地を返還する | ||
| 8月13日 | 室町幕府の遺明船が帰国するが大内氏の略奪を恐れて土佐国に停泊する。 | ||
| 10月15日 | 東軍山名是豊・赤松政秀らが兵庫で大内政弘の兵を撃破する。 | ||
| 10月17日 | 東軍は一条政房を兵庫にて殺害する。 | ||
| 1470 | 文明2年 | 5月11日 | 西軍の諸将は小倉宮の王子を迎えるが、畠山義就はこれを拒んで騒動となり、足利義視に諭される。 |
| 5月20日 | 東軍は西軍の摂津国茨木城を攻撃する。 | ||
| 6月29日 | 西軍は東軍を山科に攻めて諸所に放火する。 | ||
| 7月19日 | 西軍大内政弘は東軍を山城国勧修寺に攻め、翌日醍醐・山科を攻める。大内政弘は山城国勧修寺を焼く。 | ||
| 7月20日 | 西軍大内政弘は醍醐寺を焼く。 | ||
| 8月28日 | 将軍足利義政は書を朝鮮王に送り嗣立を祝う。 | ||
| 9月08日 | 将軍足利義政は日野資基を播磨に配流する。 | ||
| 9月某日 | この月朝鮮使者が対馬に来て使船の数・居留民の人員制限について意向を告げる。 | ||
| 10月05日 | 畠山義就は養子の畠山政国と不仲になり、朝倉孝景に政国の殺害を命ずる。 | ||
| 12月22日 | 陶弘護は大内義幸を攻め、大内義幸は石見国に走る。 | ||
| 12月23日 | 奈良興福寺衆徒は奈良の法華宗衆徒を攻撃する。 | ||
| 12月27日 | 後花園法皇(52)没する。 | ||
| 1471 | 文明3年 | 1月23日 | 近江国の六角高頼が入京を企て細川氏、京極氏らが迎撃してこれを退ける。 |
| 5月21日 | 西軍に組した朝倉孝景が東軍に降伏を願い出、許されて越前守護となる。 | ||
| 6月24日 | 上杉顕定の家臣長尾景信が足利成氏を古河城に破り、成氏は千葉氏に走る。 | ||
| 7月27日 | 本願寺蓮如は越前に吉崎道場を創建する。 | ||
| 8月26日 | 西軍の諸将は小倉宮の王子を擁立して上洛し、王子は北野松梅院に入る。 | ||
| 11月05日 | 室町幕府は島津立久に琉球渡航商船の取締りを命ずる。 | ||
| 11月12日 | 六角高頼は六角政尭を近江国清水城に攻撃し六角政尭は自害する。 | ||
| 12月26日 | 大内教幸(42)陶弘護に敗れて豊前国馬岳城に自害する。 | ||
| 1472 | 文明4年 | 1月15日 | 山名持豊は細川勝元に和睦の申し入れをするが不調に終る。 |
| 8月02日 | 畠山義就の兵が山城国天王山を奪い取るが守将浦上則宗らが奪い返す。 | ||
| 8月某日 | この月山名持豊が家督を子の政豊に譲る。 | ||
| 9月09日 | 東軍の多賀高忠が近江国を攻略する。 | ||
| 1473 | 文明5年 | 5月9日 | 一乗院( 興福寺の門跡、大乗院とともに代々摂関家の子弟が入る。 )所管の塩座衆らが大乗院座と称して塩を自由に売買しているので、大乗院に禁止させる。 |
| 5月11日 | 応仁の乱東軍の主将、細川勝元(44)死去する。 | ||
| 6月25日 | 一条兼良が出家する。 | ||
| 7月16日 | 一条兼良は、興福寺念仏風流を見物す。 | ||
| 8月08日 | 甲斐八郎が越前国に入り朝倉孝景を細呂に攻めてこれを破る。 | ||
| 10月23日 | 大内政弘摂津国の在所を焼き、畠山義就が山城国淀に出陣し山名政豊がこれに援兵を送る。 | ||
| 12月19日 | 足利義政の子足利義尚が将軍となる。 | ||
| 1474 | 文明6年 | 1月18日 | 朝倉孝景は甲斐八郎の兵を越前国杣山城に攻めて破る。 |
| 6月10日 | 伊勢梅津城を陥れた斎藤妙椿は兵を率いて越前に入り、朝倉孝景と甲斐八郎とを和解させる。 | ||
| 6月17日 | 太田道灌が江戸城にて歌合せを開催する。 | ||
| 6月29日 | 前関白の近衛房嗣は興福寺一乗院にて落飾する。 | ||
| 7月26日 | 大内政弘、畠山義就ら北野千本の民家を焼き山名政豊の兵と交戦して負ける。 | ||
| 8月某日 | この月京都に野盗の群れが横行する。 | ||
| 11月01日 | 加賀国に一向一揆隆起し守護富樫政親の兵と戦う。守護代戦死する。 | ||
| 1475 | 文明7年 | 5月14日 | 東西両軍が春日社に争う。筒井舜覚の兵と大内政弘の兵が山城国木津に戦い大内政弘の兵が敗れ壊走する。 |
| 8月21日 | 本願寺蓮如は越前の吉崎道場を出て河内出口に入る。 | ||
| 8月28日 | 室町幕府は遺明船を派遣して、書籍、銅銭などを求めさせる。 | ||
| 8月某日 | この月摂津、和泉両国に津波が押し寄せ、大被害を被る。 | ||
| 9月07日 | 東軍の京極政経は比叡山延暦寺の僧徒と共に西軍六角高頼の討伐を企て、同日、六角高頼を近江国において撃破する。 | ||
| 9月某日 | 朝鮮幕府に復書する。 | ||
| 10月28日 | 土岐成高は六角高頼を支援して延暦寺衆徒・多賀高忠らと戦い勝利する。 | ||
| 1476 | 文明8年 | 6月某日 | 長尾景春が武蔵の国鉢形城に挙兵し、主家上杉氏に叛き上杉顕定の五十子の陣を襲う。( 長尾景春の乱 )。この頃、今川家の内紛が起こり掘越公方足利政知は太田道灌らを遣わし鎮定させ、ついで伊勢宗瑞( 北条早雲 )らとともに和睦させる。 |
| 7月某日 | 一条兼良は、「伊勢物語愚見抄」を写し大内政弘に贈る。 | ||
| 8月某日 | この8月、太田道灌が竜統、霊彦らに江戸静勝軒の記。ついで得公らに江亭記を作らせる。 | ||
| 9月14日 | 足利義政は大内政弘にご内書を下し東西両軍の停戦を計らせる。 | ||
| 11月13日 | この日室町第火災にあい典籍などことごとく焼失し後土御門天皇小河に避難する。 | ||
| 1477 | 文明9年 | 1月18日 | 長尾景春は武蔵国五十子に上杉顕定・上杉定正を攻め上杉顕定ら上野国へ逃げる。 |
| 5月14日 | 太田道灌が長尾景春と武蔵の国用土原に戦いこれを撃破する。 | ||
| 7月某日 | この月足利成氏は自ら兵を率いて上野滝に出陣して、長尾景春を支援する。このため上杉顕定、上杉定正らは白井(平井)に兵を引く。 | ||
| 10月07日 | 畠山義就は畠山政長の兵を河内国誉田城に攻め攻略する。 | ||
| 10月09日 | 畠山義就が河内国若江城の遊佐長直を攻め落とす。 | ||
| 11月11日 | 土岐成頼らが足利義視を擁して美濃国に帰り大内政弘・畠山義統らも帰国する。(応仁の乱終結) | ||
| 1478 | 文明10年 | 1月5日 | 古河公方足利成氏は上杉顕定と和睦して成田に退く。 |
| 1月24日 | 上杉定正、家宰の太田道灌が武蔵国河越城に帰る。 | ||
| 1月25日 | 上杉定正、家宰の太田道灌が、平塚城に豊島泰経を攻め上杉景春は豊島泰経を支援する。 | ||
| 5月1日 | 奈良の藤原氏の氏寺である興福寺北円堂の再建がなる。 | ||
| 7月17日 | 太田道灌は長尾景春の武蔵鉢形城を攻め落し、上杉顕定が入城する。 | ||
| 9月16日 | 大内政弘は少弐政資と交戦し豊前国、筑前国を奪取する。 | ||
| 1479 | 文明11年 | 1月18日 | 太田持資は下総国臼井城に千葉孝胤を攻めて破る。 |
| 1月19日 | 斎藤妙椿は織田敏定と和睦し清洲城の囲みを解いて退去する。 | ||
| 4月28日 | 本願寺兼寿が山城の国山科に山科本願寺を建立する。 | ||
| 5月23日 | 京都壬生地蔵堂住持隆円が、堂舎修理のため勧進田楽を興行する。 | ||
| 9月04日 | 斯波義良・義孝らが朝倉孝景父子を討つため越前国に攻め入る。 | ||
| 11月04日 | 斯波義敏・義良親子が越前国に入り甲斐八郎らとともに朝倉孝景と戦う。 | ||
| 1480 | 文明12年 | 1月10日 | 甲斐八郎が朝倉氏景と越前国金津に交戦し朝倉氏景敗退する。 |
| 5月2日 | 足利将軍義尚が父義政と不仲になり遁世を企てる。 | ||
| 8月28日 | 甲斐八郎は越前河口荘の荘民らと朝倉孝景を攻撃するが、敗れる。 | ||
| 9月11日 | 足利幕府は内裏の修理料として京都七口に関銭を徴収するが、徳政一揆が隆起して奈良に押し寄せ興福寺十三搭などを焼く。 | ||
| 1481 | 文明13年 | 1月6日 | 足利義政は日野富子と不仲になり閉居する。 |
| 1月9日 | 足利将軍義尚が落飾する。 | ||
| 6月某日 | 島津家臣伊知地重貞が鹿児島で「大学章句」を刊行する。 | ||
| 9月03日 | 大内政弘は金剛般若経を刊行する。 | ||
| 9月15日 | 斯波義良、甲斐八郎らが朝倉氏景と越前国に戦い、斯波義良ら破れて加賀へ。 | ||
| 1482 | 文明14年 | 4月18日 | 近江守護六角高頼が延暦寺の寺領を侵略する事件が勃発した。これに対抗して、延暦寺衆徒らは神輿を担ぎ横川中堂に篭りこの不正を世情に訴えた。 |
| 5月27日 | 大内政弘自邸に部将を集め、席上にて吉見信頼が陶弘護を殺害。また、吉見信頼も内藤弘矩に殺害される。 | ||
| 6月7日 | 室町幕府は興福寺に対して大和の国衆徒に畠山義就を討つように命ずる。 | ||
| 7月16日 | 細川政元は畠山義就と和睦し、帰京する。 | ||
| 11月27日 | 足利義政は古河公方足利成氏と和解して伊豆国を足利政知に譲渡させる。 | ||
| 1483 | 文明15年 | 1月1日 | 将軍足利義尚は足利義政と不仲になる。 |
| 6月19日 | 将軍足利義尚は日野氏と不仲になり伊勢貞宗に頼る。 | ||
| 6月27日 | 足利義政は浄土寺に移り東山殿と呼ばれる。将軍義尚は室町殿と呼ばれる。 | ||
| 8月01日 | 大内政弘が九州出兵を決意し長門国赤間関に渡船を準備する。 | ||
| 8月13日 | 畠山義就と畠山政長の兵が河内国の諸所で交戦する。 | ||
| 10月某日 | 大和国布留の郷民が一揆して古市澄胤の兵と交戦する。 | ||
| 12月23日 | 将軍足利義尚は源氏長者、淳和・奨学両院の別当となる。 | ||
| 12月25日 | 赤松政則が山名政豊と播磨国真弓峠にて交戦し負ける。 | ||
| 1484 | 文明16年 | 4月23日 | 室町幕府は、観世之重の北国下向に際して猿楽を勧進させた。 |
| 6月20日 | 温故知新書ができる。 | ||
| 6月26日 | 畠山義就の兵が畠山政長の兵と山城宇治にて交戦する。 | ||
| 6月27日 | 清水寺の造営なる。 | ||
| 9月某日 | 将軍足利義尚・足利義政らが同義就の討伐を企てる。 | ||
| 11月03日 | 京都に土一揆隆起し足利幕府は細川政元に命じて鎮圧させる。 | ||
| 11月07日 | 越前国守護朝倉氏景が甲斐八郎と争いとなり河口荘に陣をとる。加賀一揆らが甲斐八郎に呼応する。 | ||
| 12月24日 | 足利義政は諸寺院の仏堂などを壊し売却することを禁止する。 | ||
| 1485 | 文明17年 | 4月19日 | 足利義政は甘露寺親長・三条西公条らに新編類句を編纂することを命ずる。 |
| 6月15日 | 足利義政が剃髪する。臣の細川政国らこれに倣う。 | ||
| 6月21日 | 伊東祐国が島津久逸を助けて島津武久と日向飫肥城にて戦い敗死する。 | ||
| 7月某日 | 室町幕府は、納銭条々を制定する。 | ||
| 8月04日 | 山城、大和、河内の各国に土一揆が多発し、幕府は多賀高忠に鎮圧させる。足利義政は越後安国寺のために大蔵経を朝鮮に求める。 | ||
| 12月11日 | 細川政元、畠山義就の兵らが山城国にて交戦すること3ヶ月におよび山城国の民衆が両軍に撤退要求を出し、両軍は撤退する。(山城国一揆) | ||
| 1486 | 文明18年 | 1月6日 | 播磨国守護赤松政則は山名政豊の兵を播磨国英賀に破る。 |
| 4月29日 | 山口の大内政弘は、国内の禁制五ヶ条を制定する。 | ||
| 5月24日 | 遣明使肥前奈留浦に帰国する。足利義政は上洛を命ずる。 | ||
| 7月26日 | 太田道灌が上杉定正のの謀略により相模国糟屋で殺害される。行年55歳。 | ||
| 8月24日 | 京都に徳政一揆起き東寺金堂などを焼く。 | ||
| 12月22日 | 伊勢宇治山田の神人が争い国司北畠具方が兵を送り山田の神人を討つ。 | ||
| 1487 | 長享元年 | 8月21日 | 山城国土一揆起きる。 |
| 9月12日 | 将軍足利義尚は六角高頼の討伐のため近江国坂本に布陣する。 | ||
| 10月20日 | 北畠具方が六角高頼の家臣5人を殺害しその首級を室町幕府に送る。 | ||
| 11月01日 | 上杉顕定と上杉定正とが不仲になり関東武士の多くが上杉顕定に従い、上杉定正は古河公方足利政氏に支援を頼む。 | ||
| 1488 | 長享2年 | 1月2日 | 将軍足利義尚は畠山政長に畠山義就の討伐を命ずる。 |
| 1月14日 | 三条西実隆は伊呂波文字を撰して勝仁親王に献ずる。 | ||
| 4月16日 | 連歌師宗祗鉤里で足利義尚に「伊勢物語」を講じる。 | ||
| 5月26日 | 加賀国一向宗徒が守護富樫政親を高尾城に攻め、幕府援軍をも迎撃する。 | ||
| 6月8日 | 上杉定正と上杉顕定が武蔵国菅谷に争い足利政氏の援を受けた定正が勝利する。 | ||
| 7月18日 | 赤松政則は山名政豊と播磨、備前、美作にて闘い破り、奪回する。 | ||
| 8月04日 | 京極政経と京極高清の兄弟が近江松尾で戦い、兄京極政経が敗れ伊勢に逃れる。 | ||
| 11月15日 | 上杉定正と上杉顕定が争い武蔵国高見原にて交戦する。 | ||
| 12月13日 | 足利義政は日野義熙と和議して小河第に帰る。 | ||
| 1489 | 延徳元年 | 5月8日 | 京都に大火があり2,000戸焼失する。 |
| 6月22日 | 伊勢の国山田の神人ら宇治を攻めて内宮を焼く。 | ||
| 10月22日 | 足利義視、義材(義稙)親子は東山邸で足利義政と会見する。 | ||
| 11月某日 | 山名豊時は因幡国守護の山名政実私部城を攻め山名政実は若桜城にて自害。 | ||
| 1490 | 延徳2年 | 1月13日 | 足利義材(のち義尹・義稙)が将軍となり、父足利義視が幕政をみる。 |
| 8月27日 | 室町幕府は畠山義就を討伐するため興福寺に対し畠山政長への援助を命ずる。 | ||
| 8月27日 | 後土御門天皇は、三条西実隆、甘露寺親長らに命じ、応仁の乱以後中絶している諸節会を復活させることを議定する。 | ||
| 10月某日 | 室町幕府は朝鮮に僧慶彭を派遣して大蔵経を求める。 | ||
| 1491 | 延徳3年 | 7月01日 | 足利政知の子茶々丸が継母武者小路氏を殺害する。 |
| 8月22日 | 足利将軍義材は、六角高頼の討伐の綸旨を受ける。 | ||
| 8月24日 | 細川政元は近江国に陣をとる。 | ||
| 8月27日 | 将軍足利義材(義稙)は、六角高頼の討伐のため京を出陣して園城寺光浄院へ。 | ||
| 10月11日 | 室町幕府は斯波義寛に越前国守護朝倉貞景の討伐を命令する。 | ||
| 11月18日 | 室町幕府は斯波義寛、赤松政則を派遣して近江国大津に六角政綱を殺害し、首級を洛中にさらす。 | ||
| 1492 | 明応元年 | 9月15日 | 足利幕府軍は六角高頼の兵と交戦する。六角高頼の兵は敗れて甲賀へ逃げる。 |
| 11月15日 | 六角高頼の兵、甲賀・伊勢に敗走し途中北畠材親の兵にさえぎられる。 | ||
| 12月14日 | 将軍足利義材は、近江国を平定して京に帰陣する。 | ||
| 1493 | 明応2年 | 4月22日 | 管領細川勝元の子政元は、足利将軍義稙を廃し、足利政知の子義澄を擁立して京都に挙兵し、管領として室町幕府の実権を掌握する。 |
| 4月28日 | 足利政知の子僧清晃は本日還俗して義遐と改名。後の義高・義澄。 | ||
| 5月2日 | 細川政元が足利将軍義材(義稙)を拉致して京の竜安寺に幽閉する。 | ||
| 5月6日 | 足利将軍義材(義稙)が足利家家伝の鎧・刀を義遐に下す。 | ||
| 6月13日 | 足利義澄が改名して義高と名乗る。 | ||
| 6月29日 | 足利義材(義稙)は細川政元の意趣を恐れて、越中国の神保長誠を頼る。 | ||
| 1494 | 明応3年 | 10月05日 | 扇谷上杉定正は上杉顕定と武蔵国高見に対陣するが病死する。 |
| 10月18日 | 越前国守護朝倉貞景が甲斐八郎の兵と越前で交戦する。 | ||
| 10月19日 | 六角就綱が近江国に侵入して六角高頼と交戦する。 | ||
| 11月26日 | 室町幕府は六角高頼の所領近江国高島郡を没収して御料所とする。 | ||
| 1495 | 明応4年 | 6月14日 | 美濃斎藤利国が石丸利光と美濃国正法寺にて争う。 |
| 6月27日 | 六角高頼は石丸利光に援軍を送る。 | ||
| 8月15日 | この日鎌倉に大地震発生、津波のため鎌倉大仏殿など破壊する。溺死するもの多し。 | ||
| 9月某日 | この月伊勢宗瑞(北条早雲)は鷹狩と称して出陣し小田原城の大森藤頼を攻める。 | ||
| 1496 | 明応5年 | 4月17日 | 一条道場修造勧進猿楽が行われる。 |
| 5月20日 | 日野富子(57)没する。 | ||
| 5月27日 | 豊後国大友政親が子の義右を毒殺する。なんということだ!。 | ||
| 5月30日 | 美濃国にて土岐成頼らと土岐政房らが争い、石丸利光が敗死する。 | ||
| 6月16日 | 山城国賀茂郷民が武田元信の家臣と争い殺害する。元信はこれに怒り放火する | ||
| 10月05日 | 畠山尚順は畠山義豊の兵と和泉国で戦うが敗れる。 | ||
| 1497 | 明応6年 | 1月7日 | 室町幕府は六角高頼を許す。 |
| 4月28日 | 南北朝時代に栄えた「堺」が細川政元の軍と争う。 | ||
| 10月07日 | 畠山尚順は畠山義豊を河内国高島城に攻めて破る。畠山義豊は山城へ逃げる。 | ||
| 1498 | 明応7年 | 5月29日 | 伊勢・丹後の守護一色義秀が、丹後の国人衆に攻められ普甲山に自殺する。 |
| 8月03日 | 畠山尚順が畠山義英を山城木津辺に迎え撃ち勝利する。 | ||
| 8月19日 | 足利義材が名を義尹に改める。 | ||
| 8月25日 | 遠江国に大地震起き、浜名湖と外海が繋がる。 | ||
| 1499 | 明応8年 | 1月10日 | 畠山義豊は畠山尚順と河内国を巡り争い日野崎城を攻め取る。 |
| 4月21日 | 近衛政家は一条冬良から秘伝とされる「花鳥余情中」を伝授される。 | ||
| 7月20日 | 比叡山延暦寺の僧徒らが義尹に応じたため細川政元の将赤沢朝経らが、根本中堂、大講堂などに放火する。 | ||
| 8月某日 | 山城国に土一揆起き京の四方を包囲して交戦する。 | ||
| 12月18日 | 細川政元の臣赤沢朝経が大和国へ入り成身院順盛らを攻め破り、法華寺・西大寺などを焼き奈良へ入る。 | ||
| 12月20日 | 細川政元は畠山尚順を摂津国天王寺に攻撃しこれを破る。 | ||
| 1500 | 明応9年 | 5月9日 | 大和国に土一揆が起こり徳政令を要求する。 |
| 6月20日 | 室町幕府は書状を安芸の国毛利弘元らに送り、義尹を謀略する。 | ||
| 7月28日 | 京都柳原出火し二万戸あまり焼失する。 | ||
| 7月某日 | 三河国戸田憲光は、父宗光の遺志を受けて法華経を開刻する。 | ||
| 9月02日 | 畠山尚順が紀伊から和泉国に入り守護細川元有を殺害する。 | ||
| 9月16日 | 畠山尚順は畠山義英の河内誉田城を攻めるが細川政元の援軍に攻められ敗走する。 | ||
| 1501 | 文亀元年 | 5月20日 | 肥後国にて騒乱、菊地氏が内紛を起こし相良氏に乗ぜられる。 |
| 5月24日 | 細川政元は、日蓮宗と浄土宗に宗論を闘わせる。 | ||
| 5月26日 | 幕府管領細川政元が閉居する。 | ||
| 6月13日 | 足利義尹は周防にて諸国に兵を集め、上洛を計る。 | ||
| 6月17日 | 京極材宗が美濃にて挙兵し、近江今浜で守護の京極高清と交戦するが負ける。 | ||
| 6月24日 | 大友親治・少弐資元の連合軍と大内義興の家臣仁保護郷らと豊前国沓尾に交戦し、仁保護郷は没する。 | ||
| 7月23日 | 大内義興は、大友・小弐連合軍を豊前国馬岳城に交戦し破る。 | ||
| 8月10日 | 室町幕府は、安芸、石見両国の諸将に大内義興の追討を命ずる。 | ||
| 9月14日 | 伊勢宗瑞(北条早雲)は甲斐の国に侵入するが武田信純に阻まれて陣を退く。 | ||
| 9月15日 | 宗祗は三条西実隆に古今和歌集を伝授する。 | ||
| 12月02日 | 室町幕府は豊後国守護大友義親に大内義興討伐命令をだす。 | ||
| 1502 | 文亀2年 | 4月23日 | 細川政元は、山城国槙島にいる赤沢朝経の討伐のため出陣しょうとしたが、第11代将軍義高に諌められる。 |
| 4月25日 | 細川政元帰京する。 | ||
| 5月7日 | 大和の国「西大寺」が焼け落ちる。 | ||
| 5月12日 | 興福寺衆徒が六方衆( 興福寺の警察権を担う学僧 )らと争い、六方衆の舎屋に放火狼藉する。これも「下克上」のひとつ。 | ||
| 7月18日 | 赤沢朝経は大和国社寺の領地を攪乱し五社七大寺などを閉門する。 | ||
| 7月21日 | 将軍足利義高は義澄と改名する。 | ||
| 8月04日 | 足利将軍義澄は、細川政元の驕慢に怒り、岩倉の金竜寺に去る。 | ||
| 8月06日 | 足利将軍義澄が勅諭により岩倉金竜寺より帰京する。 | ||
| 8月某日 | 北野縁起絵(光信、北野神社)下巻ができる。 | ||
| 9月某日 | 細川政元は九条政基の子を養子にし澄之と命名する。北野縁起絵中巻ができる。 | ||
| 10月11日 | 六角高頼の家臣伊庭出羽守が謀反を起し、六角高頼これに敗れる。 | ||
| 1503 | 文亀3年 | 6月5日 | 細川政元の臣赤沢朝経が六角高頼を近江日野城を包囲攻撃するが、この日和睦して帰還する。 |
| 10月05日 | 将軍足利義澄は細川政元を慰撫するため槙島に行き細川政元は帰京する。 | ||
| 1504 | 永正元年 | 5月29日 | 管領細川政元、摂津国尼崎へ行く。 |
| 6月27日 | 赤沢朝経討伐を計った細川政元は、朝経を許し召還する。 | ||
| 9月04日 | 薬師寺元一が細川澄元の擁立を企て管領細川政元に叛き淀城に挙兵する。 | ||
| 9月10日 | 細川政元の兵は山城国西岡に薬師寺元一の兵と戦う。 | ||
| 10月02日 | 細川政元は細川政賢・政春を大和国に派遣し筒井順賢らを討伐させる。 | ||
| 12月01日 | 上杉顕定・房能の兵上杉朝良の武蔵国椚田の保塁を攻めこれを抜く。 | ||
| 12月18日 | 畠山尚順は畠山義英と和睦する。 | ||
| 1505 | 永正2年 | 7月某日 | 大和国に土一揆が蜂起する。 |
| 9月10日 | 山城国守護代香西元長は山科・一乗寺などの半済拒否を怒り放火するが、幕府管領細川政元の兵に討伐される。 | ||
| 11月27日 | 細川政元は赤沢朝経に命じて畠山義英を河内国に攻撃させる。 | ||
| 1506 | 永正3年 | 1月26日 | 赤沢朝経は畠山義英を河内国誉田城に攻め、畠山義英は高屋城に走る。 |
| 1月28日 | 赤沢朝経は高屋城を攻めて畠山義英を大和国へ駆逐する。 | ||
| 4月21日 | 管領細川政元の養子澄元は兵を京に上らせ澄之・高国と家督を巡り争う。 | ||
| 4月23日 | このころ関東では、足利政氏とその子の高基が互いに争い、高基は関宿に。 | ||
| 4月27日 | 細川澄之は、丹後賀屋城の一色氏を攻めて武田元信を援助する。 | ||
| 6月16日 | 武田元信は丹後国にて同国守護一色義有と交戦する。 | ||
| 7月17日 | 加賀、越中、能登の一向一揆が越前に進入して朝倉貞景に撃破される。 | ||
| 8月02日 | 赤沢朝経が大和国に入り秋篠城などの諸城を陥れ越智氏、十市氏らを攻撃。 | ||
| 8月06日 | 朝倉貞景は一向宗の吉崎道場を破壊する。 | ||
| 10月10日 | 越前一向宗徒が豊原寺を攻撃する。 | ||
| 1507 | 永正4年 | 6月23日 | 細川政元(42)が子の澄之と香西元長・薬師寺長忠らに謀殺される。 |
| 6月24日 | 香西元長らが細川澄元を攻め、細川澄元は敗れて三好之長らと近江甲賀に逃れ、山中為俊を頼る。 | ||
| 6月25日 | 香西元長は三好之長の寓舎仏陀寺に放火する。 | ||
| 6月26日 | 赤沢朝経は京都の政変を知り一色義有と和睦して宮津に至るが石川直経らに襲われ自害する。 | ||
| 8月01日 | 細川高国らが細川政元の子澄之を襲い殺害する。香西元長、薬師寺長忠らも没する。 | ||
| 8月02日 | 細川澄元が細川政元の継嗣となり上洛する。 | ||
| 8月07日 | 越後国上杉房能の家臣長尾為景が、房能の養子上杉定実を擁して房能を襲撃し、房能は天水に逃げて自害する。 | ||
| 12月15日 | 足利義尹は大内義興を従えて海路より安芸国へ入り、室町幕府はこれに驚き、細川澄元に命じて和睦を議定させる。 | ||
| 12月某日 | 山城国土一揆は、徳政令を求め京に攻め入る。 | ||
| 1508 | 永正5年 | 6月8日 | 新たに足利将軍となった義稙(義尹)が大内義興らと入京する。 |
| 8月07日 | 室町幕府は撰銭法を制定する。 | ||
| 10月某日 | 今川氏親は伊勢早瑞に三河国の諸城を攻略させる。 | ||
| 1509 | 永正6年 | 5月9日 | 室町幕府が訴訟法七ヶ条を制定する。 |
| 7月28日 | 上杉顕定は越後国長尾為景を討つ。 | ||
| 8月02日 | 三好之長、長秀親子が細川高国と洛中に交戦し三好が敗れて長秀伊勢に逃れるが同国北畠材親に攻められて自害する。 | ||
| 10月26日 | 盗賊が足利幕府に闖入して将軍義尹を襲うが、義尹はこれを撃退する。 | ||
| 1510 | 永正7年 | 1月29日 | 将軍足利義尹は管領細川高国、大内義興らに前将軍足利義澄の討伐を命じ、管領細川高国らが敗れて帰京する。 |
| 4月20日 | 室町幕府は、三社・四大寺以外の寺社方以下の大工方の訴訟を禁止した。 | ||
| 6月20日 | 上杉顕定(57)が長尾為景と越後長森原に戦い敗れ敗死する。 | ||
| 7月19日 | 上杉朝良の家臣上田政盛が伊勢宗瑞(北条早雲)に応じて武蔵権現山を攻める。 | ||
| 9月09日 | 結城政朝が陸奥国白河にて小峰政重と戦い敗れ下野国に逃げる。 | ||
| 9月16日 | 牡丹花肖柏が近衛尚通に源氏物語を講ずる。 | ||
| 1511 | 永正8年 | 4月24日 | 肥後相良氏が名和氏を久々川に打ち破る。 |
| 4月27日 | 細川澄元が入京を企てる。 | ||
| 8月14日 | 足利義澄(32)近江岡山で没する。 | ||
| 8月16日 | 足利将軍義尹、細川高国らは政賢らの攻撃を受け、丹波国に逃げる。 | ||
| 8月24日 | 足利将軍義尹は細川政賢を山城国船岡山に撃破する。 | ||
| 1512 | 永正9年 | 5月15日 | 室町幕府は越中の国太田保内に徳政令の布告を許可する。 |
| 6月18日 | 関東公方足利政氏は子の高基と不和になり、古河より下野の小山政長を頼る。 | ||
| 8月13日 | 北条早雲(伊勢宗瑞)は三浦義同の居城相模国岡崎城を攻撃し抜く。 | ||
| 1513 | 永正10年 | 5月16日 | 興福寺六方衆の筒井順盛は、興福寺の衆徒と争い春日社、興福寺などを閉門する。 |
| 6月某日 | 元信、鞍馬寺縁起三巻を描く。 | ||
| 6月27日 | 蝦夷の兵が蛎崎光広の松前大館城を攻略する。 | ||
| 8月24日 | 畠山尚順は同族畠山義英と河内国にて交戦しこれを破り、和泉堺に放逐する。 | ||
| 9月06日 | 尼子経久・政久父子が出雲国阿用城を攻めるが政久戦死する。 | ||
| 10月13日 | 越後国守護上杉定実が守護代長尾為景を放逐しようとして春日山城に挙兵する。 | ||
| 11月09日 | 将軍足利義尹は義稙と改名する。 | ||
| 1514 | 永正11年 | 5月26日 | 越後に争いが起き、守護上杉定実の家臣宇佐美房忠が守護代長尾為景に攻められ岩手に逃げ自殺する。 |
| 8月16日 | 足利政氏は佐竹義舜らに計り、子の関東公方足利高基を攻めさせるが、高基は宇都宮忠綱らの助けを受けて下野国に佐竹義舜、岩城由隆らと戦うが負ける。 | ||
| 1515 | 永正12年 | 5月25日 | 大和国百済寺造営なる。 |
| 10月17日 | 甲斐武田信虎が甲斐国上野城に大井信達を攻めるが敗れる。 | ||
| 1516 | 永正13年 | 4月20日 | 室町幕府は、大内義興に命じて唐に渡航する渡唐船の管掌を命じた。 |
| 4月25日 | 琉球国の使節が薩摩に来航する。 | ||
| 5月3日 | 肥前国の東尚盛が晴気城に千葉胤勝を攻撃するが敗れ戦死する。 | ||
| 6月1日 | 備中の三宅国秀は琉球国の攻略を意図し、薩摩の坊津に陣を張るが、島津忠隆に阻まれ敗死する。 | ||
| 9月09日 | 越後の長尾為景が越中国に進入し神保慶宗らと交戦する。 | ||
| 12月27日 | 足利成氏は小山政長と別れて武蔵国岩槻城に入る。 | ||
| 1517 | 永正14年 | 4月27日 | 室町幕府は、畠山順光を遣わし大和越智家全を討伐する。 |
| 6月2日 | 若狭国守護武田元信の家臣逸見氏が元信に背くが、足利将軍義稙は、越前守護朝倉孝景に救援を命ずる。 | ||
| 8月19日 | 斯波義達、大河内貞綱らは遠江国引間城に拠り今川氏親と戦うが敗れ貞綱らは自害する。 | ||
| 8月28日 | 京都知恩院が炎上する。 | ||
| 9月某日 | 清水寺縁起できる。 | ||
| 10月15日 | 武田信勝が足利義明を擁して上総国小弓城に原行朝を攻め攻略する。 | ||
| 10月22日 | 安芸国武田元繁は吉川経基の属城有田城を攻めるが援軍の毛利元就の兵に敗れ戦死する。 | ||
| 1518 | 永正15年 | 8月10日 | 美濃国守護土岐政房の次子土岐頼芸が兄の土岐政頼の軍を撃破する。守護代斎藤利良が土岐政頼を擁して越前国へ逃げ、朝倉孝景を頼る。 |
| 8月某日 | 閑吟集できる。 | ||
| 12月13日 | 石清水八幡宮立柱上棟式行われる。 | ||
| 1519 | 永正16年 | 4月28日 | 出雲国杵築社が造営なる。 |
| 5月10日 | 雨夜記(宗長)できる。 | ||
| 8月15日 | 北条早雲(伊勢新九郎長氏、入道宗瑞)が伊豆韮山にて没する。行年88歳。 | ||
| 11月03日 | 将軍足利義稙は赤松義村に命じて細川澄元と絶交させ細川高国と和解させる。 | ||
| 11月06日 | 細川澄元は四国の兵を率いて兵庫に攻めて越水城を包囲する。 | ||
| 12月21日 | 細川高国は摂津国に出陣するため京を発する。 | ||
| 12月30日 | 赤松義村は浦上村宗を三石城に攻めるが宇喜多能家が浦上村宗を支援する。 | ||
| 1520 | 永正17年 | 1月10日 | 細川高国は瓦林正頼を助けて細川澄元と争うが敗退する。 |
| 4月28日 | 細川高国入京を企て、近江坂本に入る。 | ||
| 5月5日 | 細川高国が上洛して三好之長を洛中においてこれを破る。 | ||
| 5月11日 | 細川高国京都洛中に三好之長を破り、之長はこの日知恩寺にて自害する。 | ||
| 5月12日 | 細川高国は将軍義稙に謁見する。 | ||
| 6月10日 | 細川澄元(32)が阿波の国勝瑞城にて没する。 | ||
| 6月13日 | 六角定頼が伊庭貞説らを近江岡山城に攻める。 | ||
| 7月某日 | 京都に歌舞流行する。 | ||
| 1521 | 大永元年 | 4月18日 | 細川高国は足利義澄の子義晴の擁立を計る。 |
| 7月16日 | 百二十番連歌合(宗長判)できる。 | ||
| 7月28日 | 亀王丸は足利義晴と改名する。 | ||
| 8月30日 | 大内義興は将軍足利義晴の仲介により尼子経久と和睦する。 | ||
| 10月23日 | 足利前将軍義稙は再挙を企て和泉国堺に至り、畠山尚順は畠山義英と和睦し義稙にお味方する。これをみた細川高国は畠山稙長に畠山義英を討たせる。 | ||
| 12月23日 | 北条氏綱は相模国に早雲寺を建立する。 | ||
| 12月24日 | 足利義晴が元服する。 | ||
| 12月25日 | 足利義晴が征夷大将軍となる。 | ||
| 1522 | 大永2年 | 7月17日 | 六角定頼は蒲生秀紀を近江国日野城に包囲して攻め陥れる。 |
| 11月11日 | 但馬国の守護山名誠豊が浦上村宗と浦上村国との争いに乗じて播磨国に侵入し浦上村宗・浦上村国は和睦し協同して山名誠豊と戦いこれを破る。 | ||
| 1523 | 大永3年 | 6月12日 | 北条氏綱が相模国の箱根社を再建する。 |
| 6月13日 | 尼子経久が安芸国に入り毛利元就らに同国鏡山城を攻撃させ、藤田房信は敗れ自殺する。 | ||
| 1524 | 大永4年 | 5月12日 | 竜造寺家兼らが千葉胤勝を破る。 |
| 5月20日 | 大内義興・義隆親子が周防の永福寺に出陣し、安芸国に侵入して尼子経久のを攻撃する。 | ||
| 6月23日 | 比叡山延暦寺の衆徒が日蓮宗徒の舎宅を襲い、日蓮宗徒の任官改易を要求。 | ||
| 8月04日 | 大神宮法楽両吟千句(宗長、宗碩)ができる。 | ||
| 8月05日 | 毛利元就が大内義隆の陣営を襲い、これを抜く。 | ||
| 10月02日 | 細川高国の部将香西元盛らは細川澄元の兵と和泉国にて戦い敗れる。 | ||
| 10月16日 | 上杉憲房・上杉朝興らが江戸城を奪回せんと武蔵国鉢形城に出陣して、毛呂城を攻撃する。ついで北条氏綱は毛呂城救援のため江戸城より出陣する | ||
| 1525 | 大永5年 | 5月2日 | 足利一門の寺、相国寺の大智院が炎上する。 |
| 5月24日 | 近江の浅井亮政が京極高清を尾張に迎えて六角定頼と不和になり、六角定頼が磯山に出陣する。 | ||
| 6月26日 | 大内義興の家臣陶興房が天野興定を安芸国米山城に襲う。興定は降伏する。 | ||
| 7月16日 | 浅井亮政は、六角定頼に小谷城をせめられるが、朝倉教景が近江国に入り浅井亮政を支援し、六角定頼は敗れる。 | ||
| 8月05日 | 近江国の伊庭貞説らが岡山城に拠り六角定頼に叛き、六角定頼の兵と争う。 | ||
| 8月06日 | 陶興房、興定らが尼子経久の兵と安芸国志芳荘で交戦する。 | ||
| 8月13日 | 細川高国は六角定頼を支援するため兵を送る。 | ||
| 9月02日 | 近江の九里宗忍が六角高頼の兵に敗れ陣没する。 | ||
| 1526 | 大永6年 | 5月9日 | 筑前守護大内義興が土一揆を禁じる。 |
| 6月7日 | 武蔵国上杉朝興が北条氏綱の臣渋川氏を武蔵国蕨城に攻撃し陥れる。 | ||
| 10月23日 | 細川尹賢は神尾寺城に柳本賢治と戦うが破れる。 | ||
| 1527 | 大永7年 | 7月27日 | 足利義晴入京を企て近江長光寺から守山に移る。 |
| 8月29日 | 足利義晴の兵が近江より戻る。 | ||
| 10月13日 | 足利将軍義晴が入京して若王子に陣を張る。 | ||
| 10月24日 | 足利将軍義晴は東寺に移り先鋒朝倉教景は桂川を渡り諸処に放火する。 | ||
| 1528 | 享禄元年 | 5月14日 | 細川高国ら近江の国に逃れる。 |
| 5月23日 | 蝦夷の軍が松前城を襲撃し、松前義広はこれを撃退する。 | ||
| 5月28日 | 足利将軍義晴は足利義維と不仲になり和睦を望むが果たせず、近江坂本に退避。 | ||
| 9月08日 | 将軍足利義晴は近江国朽木谷に移り朽木稙綱を頼る。 | ||
| 9月某日 | 薬師寺が兵火にかかり金堂・講堂・西搭が焼失する。 | ||
| 11月11日 | 柳本賢治は畠山稙長を河内高屋城を攻めるが和睦して陣を引く。 | ||
| 11月15日 | 三条西実隆は後奈良天皇に古今伝授を行う。 | ||
| 11月16日 | 細川高国は近江国より伊賀国へ赴き仁木義広を頼る。 | ||
| 12月30日 | 柳本賢治は入京を企てて三好元長の兵と山城国山崎に交戦し敗れる。 | ||
| 1529 | 享禄2年 | 1月23日 | 細川高国は伊勢国の北畠晴具に協力を要請する。 |
| 4月26日 | 山城の国大宮勧進猿楽が催される。 | ||
| 5月28日 | 三河の松平清康が御油に牧野伝蔵と交戦しこれを破り、ついで田原城に戸田宗光を攻撃してこれを降す。 | ||
| 7月17日 | 松平清康は尾張岩崎、品野城を攻略する。 | ||
| 8月10日 | 三好元長が細川晴元と不和になり阿波国へ帰る。 | ||
| 8月某日 | 御成敗式目(享禄版)刊行される。 | ||
| 9月16日 | 細川高国は越前より出雲国に行き尼子経久を説得しさらに備前国に至り浦上村宗に頼る。 | ||
| 1530 | 享禄3年 | 6月12日 | 北条氏綱が上杉朝興と武蔵国小沢原にて交戦しこれを撃破する。 |
| 7月27日 | 浦上村宗は播磨国の小寺、三木などの諸城を攻略する。 | ||
| 8月15日 | 杉興連は肥前国野路宿に少弐資元の部将竜造寺胤久と戦い敗れて大宰府へ。 | ||
| 8月27日 | 細川高国、浦上村宗らが摂津国の諸城を攻撃する。 | ||
| 11月06日 | 細川高国は薬師寺国盛らを大物城に攻めてこれを陥れる。 | ||
| 1531 | 享禄4年 | 1月11日 | 木沢長政らが京都で細川高国の兵と盛んに交戦し、東山周辺を焼きはらう。 |
| 5月12日 | 三条西家( 和歌・香道に優れた家系 )の公条( きんえだ )が、貞教親王に十八史略を講じる。 | ||
| 6月4日 | 三好元長らが赤松政村の支援を受けて細川高国を天王寺に破る。 | ||
| 7月17日 | 将軍足利義晴は細川高国の敗死を知り近江坂本より長光寺に退く。 | ||
| 7月24日 | 木沢長政は細川尹賢を摂津国冨田に攻め、尹賢自害する。 | ||
| 10月26日 | 朝倉教景は加賀一向一揆を湊川に撃破する。 | ||
| 1532 | 天文元年 | 6月15日 | 本願寺証如(光教)は、細川晴元の要請により河内国飯盛城の木沢長政を助け、畠山義宣を攻撃して破り、畠山義宣は自殺する。 |
| 6月20日 | 本願寺証如らが三好元長を和泉国堺に攻めて自害させる。また、足利義維も自害しょうとするが細川晴元に阻止される。 | ||
| 8月05日 | 摂津国の一向宗徒が細川晴元の池田城を攻めるが敗れる。 | ||
| 8月07日 | 京都の一向宗寺院が山村正次らのために焼かれる。 | ||
| 8月08日 | 本願寺証如(光教)が細川晴元を和泉国堺北荘に攻めるが、敗れて大坂へ退去。 | ||
| 8月19日 | 法華宗徒は、一向宗徒と山城国西岡に戦い破る。 | ||
| 8月23日 | 興福寺六方衆は一向宗禁制のことなどを制定する。 | ||
| 8月24日 | 柳本信尭、六角定頼ら法華宗徒と共に本願寺証如を山科本願寺に破り、本願寺が燃える。本願寺証如は大坂に逃れる。 | ||
| 12月23日 | 細川晴元の兵が摂津国に入り一向宗徒を殺害し、教行寺を焼く。 | ||
| 1533 | 天文2年 | 1月18日 | 細川晴元の部将薬師寺国長は法華宗徒を率い摂津国山田に一向宗徒を攻撃する。 |
| 5月26日 | 細川晴国は山城国高雄出陣し、薬師寺国長と丹波に交戦する。 | ||
| 6月20日 | 細川晴元が本願寺証如と和睦し、法華宗徒らは帰京する。 | ||
| 7月27日 | 安房国里見義豊は叔父の実尭を殺し、ついで実尭の子義尭を擁し上総国に拠る。 | ||
| 10月22日 | 細川晴国の兵は細川晴元にお味方の法華宗徒と山城西院にて戦う。 | ||
| 12月25日 | 山城国の法華宗徒が細川晴国の兵と戦い破る。 | ||
| 1534 | 天文3年 | 4月24日 | 山口の大内義隆は禁裏に即位料を献上する。 |
| 5月12日 | 織田信長が織田信秀次男として生れる。母は正室土田氏 幼名吉法師という。(11日説あり) | ||
| 6月30日 | 浦上政宗の将島村盛実が宇喜多能家を備前砥石城に攻めて殺害する。 | ||
| 7月20日 | 大内義隆の兵と大友義鑑の兵と豊後国玖珠郡にて戦う。 | ||
| 8月03日 | 木沢長政、三好政長らが一向宗徒を山城国谷山城に攻め敗れる。 | ||
| 8月11日 | 三好伊賀守らが本願寺証如(光教)に応じて摂津国椋橋城に拠り、細川晴元の兵がこれを攻めて交戦するも敗れる。 | ||
| 9月03日 | 将軍足利義晴は入京し建仁寺入り、ついで南禅寺に移る。 | ||
| 10月20日 | 三好政長が本願寺証如(光教)の兵三好伊賀守らと摂津国潮江荘に戦うが敗れる。 | ||
| 10月30日 | 大内義隆は少弐資元と和解する。 | ||
| 1535 | 天文4年 | 6月12日 | 細川晴元の兵、大坂の本願寺証如の兵を攻撃して破る。 |
| 6月13日 | 後奈良天皇が越後守護代で上杉謙信の父長尾為景に敵討伐の旗を与える。 | ||
| 7月22日 | 北条氏綱は今川氏輝を助け武田信虎の兵を甲斐にて破るが、上杉朝興は氏綱の虚をついて相模国木礎を焼くが、氏綱の軍に武蔵国河越城を攻められる。 | ||
| 9月03日 | 大内義隆は日華門の修理料を献上する。 | ||
| 12月27日 | 尾張国織田信秀が松平清康の喪に乗じて三河国に攻め入るが松平清康の弟康孝に敗れる。 | ||
| 12月29日 | 大内義隆は小弐資元親子を放逐する。 | ||
| 1536 | 天文5年 | 1月4日 | 本願寺証如(光教)は山科に道場を再興する。 |
| 7月27日 | 比叡山延暦寺衆徒は六角定頼の支援を得て京都四条口に法華衆徒を破り、洛中の法華宗の寺院を焼く。 | ||
| 7月29日 | 木沢長政は、摂津中島に一向宗徒を撃破する。 | ||
| 8月19日 | 足利将軍義晴は、本願寺証如(光教)と和睦する。 | ||
| 9月04日 | 大内義隆の部将陶興房が少弐資元を肥前国多久城に攻撃して敗死させる。 | ||
| 11月12日 | 本願寺証如(光教)が六角定頼と和睦する。 | ||
| 1537 | 天文6年 | 1月某日 | 下総国の結城政勝は古河公方足利晴氏の支援を受けて多賀谷家重を打ち破る。 |
| 5月13日 | 本願寺証如が若狭守護武田元光と通好する。 | ||
| 5月22日 | 伊予宇和島において伊予千句が行われる。 | ||
| 6月25日 | 松平広忠は駿河国から三河国岡崎城に移る。 | ||
| 8月10日 | 室町幕府は、六角定頼を近江国守護に補任する。 | ||
| 12月01日 | 毛利元就は大内氏と和睦し嫡子を大内義隆に人質として送り義隆はこれを承諾する。 | ||
| 1538 | 天文7年 | 6月4日 | 六角定頼の軍が京極高広の近江鎌刃城を攻略する。 |
| 7月某日 | 備後国の守護山名氏政は大内義隆に神辺城に攻められ自殺する。 | ||
| 9月某日 | 比叡山延暦寺衆徒らが山城国の段銭賦課の停止と法華宗禁圧の要求を合議する。 | ||
| 10月05日 | 北条氏綱は子の氏康とともに下総国国府台にて足利義明・里見義尭らと交戦し足利義明は戦死する。(第一次国府台合戦) | ||
| 1539 | 天文8年 | 1月14日 | 三好範長が兵を率いて上洛する。 |
| 4月19日 | 医師吉田宗桂が明に渡り医を学ぶ。 | ||
| 7月23日 | 細川晴元は山城国西岡に徳政令を発令することを足利義晴に乞う。 | ||
| 7月25日 | 足利幕府は京都の土倉の要請により徳政令を停止する。 | ||
| 9月某日 | 山城国土一揆が徳政令を求め蜂起する。 | ||
| 10月28日 | 細川持隆は赤松政村を支援するため備中国に入り尼子詮久の兵と戦い敗れる。 | ||
| 1540 | 天文9年 | 5月19日 | 足利将軍義晴が内談衆(義晴の時代には側近衆をいうが、本来は訴訟を管理する合議体の構成員をいう。)に大津街道の修造を議定させる。 |
| 6月6日 | 尾張国織田信秀の兵三河の安祥城を攻め攻略する。 | ||
| 8月01日 | 遠江国今川義元が同国浅羽荘を検地する。 | ||
| 8月16日 | 尼子晴久は大内義隆の所領の石見銀山を侵略する。 | ||
| 9月04日 | 尼子詮久が毛利元就を安芸国銀山城に攻撃する。 | ||
| 10月11日 | 毛利元就は尼子詮久の兵を安芸国の諸所に撃破する。 | ||
| 11月09日 | 安芸国の武田信実は尼子詮久の援助を受けて毛利元就の兵と般若谷に戦い敗れる。大内義隆は、毛利元就の戦功を大いに賞する。 | ||
| 1541 | 天文10年 | 1月13日 | 毛利元就・陶隆房らが尼子詮久の兵と安芸国宮崎などで交戦し破る。尼子詮久は、大内義隆が出雲を窺っているとの報に接し兵を返す。 |
| 6月14日 | 甲斐の武田信虎が子の晴信に逐れて駿河の今川義元に身を寄せる。 | ||
| 6月26日 | 室町幕府遺明使南禅寺の僧湖心らが帰国する。 | ||
| 9月某日 | 織田信秀は豊受大神宮仮殿造営費用を寄進する。 | ||
| 10月29日 | 木沢長政の兵が京都に迫り細川晴元は岩倉に避難する。 | ||
| 10月30日 | 木沢長政が京都に迫り将軍足利義晴は子義輝らと慈照寺に避難する。 | ||
| 11月01日 | 将軍足利義晴は近江国坂本に逃げる。 | ||
| 11月12日 | 大内義隆は室町幕府に細川晴元の遺明船を止めるよう乞う。 | ||
| 1542 | 天文11年 | 1月18日 | 大内義隆は安芸国の大願寺に命じて厳島の修造をさせる。 |
| 8月10日 | 織田信秀と今川義元が三河国小豆坂に交戦し、今川義元が敗れる。 | ||
| 8月23日 | 斎藤利政は主人土岐頼芸を美濃国大桑城に破り、土岐頼芸は尾張織田信秀を頼る。 | ||
| 10月01日 | 池坊専応は花道の口伝を著す。 | ||
| 1543 | 天文12年 | 1月26日 | 室町幕府は尼子晴久を討伐するため石見国の周布武勲に命じて大内義隆に協力させる。 |
| 5月7日 | 大内義隆が尼子晴久を出雲の冨田城を攻めるが、敗れる。 | ||
| 7月25日 | 細川氏綱が管領職を望み細川晴元と和泉国堺で交戦する。 | ||
| 8月03日 | 細川氏綱が和泉国へ出兵を企て兵粮米などを本願寺証如に求める。 | ||
| 8月25日 | 薩摩の南、大隈諸島の一帯に「種子島の鉄砲風」などと言われる台風が襲来した。この台風は、それ以後の日本を脅威的な風力で大きく変革させることになる。 「鉄砲の伝来」である。 | ||
| 1544 | 天文13年 | 11月06日 | 朝廷は織田信秀の禁裏修理料献上のことを賞する。 |
| 12月29日 | 本願寺証如(光教)は京都五条大橋修築の寄進をする。 | ||
| 1545 | 天文14年 | 1月20日 | 古河公方足利晴氏は下総国の法華経寺を諸法華宗の本寺とする。 |
| 5月24日 | 細川晴元山城宇治に出陣する。 | ||
| 5月25日 | 細川晴元山城宇治に細川氏綱の軍を破り、田原郷を焼き打ちする。 | ||
| 5月26日 | 細川晴元の部将三好政長と三好長慶が山城大鳳寺に陣を張り放火する。 | ||
| 8月16日 | 今川義元の兵と、北条氏康の兵が駿河国にて戦う。武田晴信の兵、今川義元の兵を助ける。 | ||
| 10月27日 | 足利晴氏は北条氏康と断交し上杉憲政を助けて武蔵国河越城を攻める。 | ||
| 1546 | 天文15年 | 4月20日 | 北条氏康は郎党の北条綱成の篭る武蔵の国河越城に出張り、足利晴氏・上杉憲政・上杉朝定の軍を破り救い出した。(河越夜戦) 晴氏は古河に逃げる。 |
| 8月20日 | 三好長慶は細川晴元の命により摂津堺に出陣するが、堺の会合衆の斡旋により撤兵する。 | ||
| 9月03日 | 細川氏綱、畠山政国らが細川晴元の摂津国大塚城を攻撃する。 | ||
| 9月14日 | 遊佐長教、上野元治の兵が細川晴元と嵯峨にて交戦する。 | ||
| 9月15日 | 三好政長が細川晴元を赴援するが、敗れて政長、晴元は丹波へ逃げる。 | ||
| 10月05日 | 京都市中に土一揆が起こる。 | ||
| 10月21日 | 三好之康は足利将軍義晴の命により摂津国堺に遊佐長教の兵と戦うが敗れる。 | ||
| 1547 | 天文16年 | 5月20日 | 室町幕府は、遺明使(僧策彦周良)に肥前五島を出発させる。医師吉田宗桂は、遺明使(僧策彦周良)に従って明に渡る。 |
| 7月19日 | 細川晴元は将軍足利義晴らを北白川城に攻撃、義晴ら近江坂本に逃げる。 | ||
| 7月29日 | 足利義晴が細川晴元、六角定頼と和睦する。 | ||
| 8月06日 | 甲斐の武田晴信が上杉憲政の兵を信濃国小田井原に迎え撃ちこれを撃破す。 | ||
| 9月05日 | 松平広忠が戸田康光の三河国田原城を攻撃し落城させる。 | ||
| 10月06日 | 細川国慶が上洛するが細川晴元の迎撃にあい戦死する。 | ||
| 1548 | 天文17年 | 7月19日 | 武田晴信は小笠原長時を信濃国塩尻峠に戦いこれを撃破する。 |
| 9月11日 | 武田晴信は小山田信有を赴援し信濃衆を攻めてこれを討ち破る。 | ||
| 12月30日 | 長尾景虎(上杉謙信)が兄長尾晴景に代り家督を継いで越前国春日山城に入る。 | ||
| 1549 | 天文18年 | 1月20日 | 後奈良天皇は本願寺証如(光教)に三十六人歌集を与える。 |
| 4月24日 | 室町幕府は、遺明使僧策彦周良らに弘治・正徳の勘合符を返却し新勘合符を求めた。 | ||
| 6月18日 | 本願寺証如は前関白九条稙通の求めに応じ銭を融通する。 | ||
| 6月24日 | 三好長慶の家臣十河一存が三好政長を摂津江口に攻め、敗死させる。三好政長の子政勝は摂津国榎並城を出奔し、細川晴元は嵯峨に逃げる。 | ||
| 7月某日 | ザビエル来朝。 | ||
| 11月09日 | 今川義元は太原崇孚に命じ再び織田信広を三河国安祥城に攻めて捕らえ人質とし、松平竹千代と交換する。 | ||
| 1550 | 天文19年 | 6月9日 | 幕府遺明使策彦周良が明より医師吉田宗桂と共に帰国する。 |
| 9月15日 | 陶隆房が大内義隆を襲撃しょうとして露見し周防国に逃げる。 | ||
| 9月某日 | ザビエルは平戸より京都に至りついで山口に赴き布教する。 | ||
| 1551 | 天文20年 | 5月9日 | 大内義隆が、宗養、寿慶らと「宮島千句」を行う。 |
| 8月13日 | 武田晴信の兵が小笠原長時の属城信濃国刈谷原城を攻略する。 | ||
| 9月01日 | 周防国山口の大内義隆が家臣陶隆房に襲われて長門国に逃げ、継嗣の義尊、前関白二条尹房らと共に大寧寺に自害する。行年45歳。 | ||
| 10月24日 | 甲斐国武田晴信が小笠原長時の信濃国平瀬城を攻略する。大友義鎮はフランシスコ・ザビエルに家臣を随伴させインド総督に書簡を送る。 | ||
| 1552 | 天文21年 | 1月10日 | 関東管領上杉憲政は北条氏康に追われて上野国平井(白井)城を出奔して越後の長尾景虎を頼る。 |
| 1月28日 | 将軍足利義藤は三好長慶と和睦し、細川晴元は剃髪して若狭国へ出奔する。 | ||
| 4月26日 | 頭角顕著な今川義元が山伏・陰陽師が富士参詣の道者に袈裟などを売ること禁止する。 | ||
| 8月20日 | 宣教師ガ-ゴが豊後国府内に来航する。 | ||
| 1553 | 天文22年 | 1月6日 | 信濃国小笠原長時は武田晴信の誘いを退けて越後国の長尾景虎を頼る。 |
| 1月13日 | 織田信長の家臣平手政秀が諫言を聞き入られず自害する。 | ||
| 1月15日 | 三好長慶は将軍足利義藤と和睦する。 | ||
| 5月7日 | 武田晴信( 信玄 )が、信濃の守護小笠原長時と桔梗原に交戦する。 | ||
| 8月01日 | 三好長慶が足利将軍義藤の霊山城を攻め、義藤は杉坂に逃げる。 | ||
| 8月某日 | 信濃国の村上義清が甲斐国武田晴信と葛尾城に交戦し敗れて、越後国の長尾景虎(謙信)を頼る。長尾景虎はこれを助けて晴信と信濃川中島に交戦する。 | ||
| 11月28日 | 細川晴元の兵は山城国霊山城を攻める。 | ||
| 1554 | 天文23年 | 8月06日 | 武田晴信は信濃国に入り佐久郡の諸城を攻略する。 |
| 8月13日 | 本願寺証如(光教)没する。 | ||
| 11月01日 | 尼子晴久は讒言により尼子国久・尼子誠久親子を殺害する。 | ||
| 11月07日 | 北条氏康は下総国古河城を攻略して足利晴氏・藤氏親子を相模国波多野に幽閉する。 |
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