このペ−ジは、「武蔵の国一宮氷川女体神社」のご厚意により特別に許可され掲載したものです。氷川女体神社の歴史、文化財、古文書等をご紹介したいと思います。


1 氷川女体神社の祭神


 氷川女体神社は、埼玉県浦和市の宮本に鎮座しており、周囲にはケヤキ、クスノキ、スギなどが蔽い繁っている。なかには市指定天然記念物もある。
 
 氷川女体神社の祭神は、須佐之男命が八頭大蛇を退治し、助けて妻にしたと伝えられる「奇稲田姫命」( クシイナダヒメノミコト )と「「大己貴命」( オオナムチノミコト )、「三穂津姫命」( ミホツヒメノミコト )を合祀して祭られています。第十代崇神天皇のとき、出雲の神を御室( 現在は「三室」と言っています。 )の地に勧請したことから始まると伝えられています。

 この氷川女体神社の周囲には、この神社の御手洗瀬といわれる「見沼」( 古くは「御沼」 )という沼 ( 現在は、見る影も無く地名のみが残っている。)があり、この沼に対する信仰が氷川女体神社の根本をなすともいわれる。

 現在埼玉県大宮市に大宮氷川神社があり、また、同じく大宮市中川に中山神社があって、いずれも見沼周辺に位置していて、古くはこの三社を一体のものとして信仰の対象となっていた。大宮の氷川神社の祭神は「須佐之男命」で、このことから「男体社」といい、また、中山神社を「簸王子社」といって、「男体−王子−女体」という極めて自然な人間臭さをもった神社である。
 この「男体−王子−女体」の関係は、地図上から見ると、見沼を中心にして一本の直線上にある。その直線上の先に何があるのか、残念ながらよく解らない。

 氷川女体神社の「宮司」吉田子子則( 「シゲノリ」と読みます。ごめんなさい漢字が無いもので。 )先生から聞いた話しですが、むかし、推理小説家の「松本清張」が先生のもとに訪れて、この「男体−王子−女体」の関係を聞きに来たそうな。なにか松本清張の推理小説「点と線」ではないが、不思議な感じである。
 不思議といえば、見沼には、「みぬまの竜神伝説」があって、見沼を干拓した人々に災難を降りかけたり、干拓をしないよう懇願したという。


2 氷川女体神社の歴史概観


    三間社流れ造りといわれる「本殿

( 1 )古代
 古代の氷川女体神社については、どの郷土史についても同じことがいえるが、よく解らない。ただ、先にみたように崇神天皇が神社の勧請をしたというのが「武州一宮女体宮御由緒書」( 大熊家所蔵 )にみられるという。

 次に、「延喜式」( 醍醐天皇の命により、藤原時平らが編纂した律令法の式を集大成した法典で、927年に完成。 )の神名帳( 武蔵の国の項 )により、宮中で神祗官が行う名神祭で祭られる名神大社としての待遇を受けていたことが知られる。 

 司祭者は、紀州熊野の鈴木氏と同様に、「物部氏」の角井・岩井、佐伯氏の武笠の一族であったという。

( 2 )中世
 中世では、氷川女体神社にある、僧「性尊」( 詳しい人物像は不明。)によつて写経( 1333年から1338年にかけて。)された「大般若波羅蜜多経」、一般に「大般若経」といわれるもので、それにより氷川女体神社が武州で有力な神社であったことが知られる。とくに上杉氏、地元の太田氏、後北条氏などの手厚い保護が加えられた。 

( 3 )戦国時代
 北条早雲( 伊勢平氏 )を祖とする後北条氏は、第二代「氏綱」の世になると、太田道灌を謀殺した扇谷上杉定正の孫上杉朝興を江戸城に攻め1524年( 大永4年 )に江戸城に入城する。そして、武州鎮撫に乗り出すことになるが、同年8月26日に足立郡三室郷( 浦和市三室 )宛に禁制を発給し、軍勢の濫妨を停止した。( 埼玉県史通史編 )          「拝殿」

   これは、後北条氏が武州の現埼玉地域に発給した関係文書の初見史料とされるものだが、これが氷川女体神社にある。  制札   「北条氏綱制札」

 後北条氏はこの後、関東北進を続けることになるが、武州は、それに立ちはだかる越後の「長尾景虎」との攻めぎあいの場となっていく。

 「岩槻城」の太田氏も最初は、反後北条勢であったが、山内、扇谷両上杉の凋落により次第に後北条氏との絆を強めて行く。このことから、三室郷も後北条氏の支配するところなり、1572年( 元亀3年 )10月21日に、氷川女体神社の保護を図り「印判状」を発行している。

 この年は甲斐の武田信玄が10月3日に、京に上洛するため甲府を2万5千といわれる軍勢を引き連れ出陣した年でもある。戦国時代に生きる氷川女体神社にかかわる人々の苦悩が知れる。
 
 我らが「孫市」は、このころどこにいたのであろうか。織田信長は浅井長政と3月と7月に交戦している。
 話しが少しそれるが、埼玉「足立郡の鈴木氏」については、「新編風土記」に「先祖は鈴木左馬助重次で、管領上杉氏に仕え、その子雅楽助重久も上杉氏の家臣であったが、孫の雅楽助業俊のときに、北条氏政に属し、その子日向守重門のときより太田氏房の旗下となる。そして、北条氏政、北条氏直に感状を与えられる。」と記されている。三室にもその族類が居たであろうか。しかし、鈴木氏の「名」には、必ずといって良いほど「重」がつく。我らが「孫市」も「鈴木重秀」といっている。この「重」がついた名で作者にとっての初見は、源義経の家臣で「鈴木三郎重家」がいる。武勇に秀でた人物であることは、「源平盛衰記」を知る人にとっては周知の事実。
 

 1590年( 天正18年 )豊臣秀吉の軍勢が小田原城を攻略し、北条氏政、弟氏照が秀吉の命により自害する。これにより後北条氏が滅亡する。秀吉は、武州江戸を徳川家康の城地と定め、関東八国を家康に与える。
 家康は江戸に入り、1591年( 天正19年 )に各地の由緒ある寺社に領地を与え、権力基盤の確立を図った。「氷川女体神社」には50石が与えられ、50石朱印社となった( 「氷川女体神社」 野尻靖著 さきたま文庫 )という。                           「徳川家康社領寄進状」      

( 4 )近世
 現在に伝えられている「氷川女体神社本殿」は、第四代将軍徳川家綱が忍城主阿部忠秋に命じて造営させ、1667年( 寛文7年 )に竣工したといわれるものである。造営物は作者には無学で解らないが、「三間社流れ造りで、全面に朱の漆が塗られ、これに拝殿が相の間で結ばれて、権現造りに近い建物」( 前掲書 )といわれている。いずれにしても、将軍直々の命により造営された社殿を持つ由緒ある神社である。


3 氷川女体神社の文化財


( 1 )国認定重要美術品( この法律は戦後「文化財保護法」施行により廃止 )

 この太刀は、「三鱗文兵庫鎖太刀」といわれ、氷川女体神社では、「北条泰時」の奉納であると伝えている。写真が不鮮明で申し訳ないが、帯執りが鎖で出来ている「兵庫鎖太刀」は、全国でも奉納された例は、春日大社、熱田神宮、厳島神社等の日本有数の数少ない大社にのみあるといわれている。驚くばかりである。現在は埼玉県指定文化財として保管されている。


( 2 )埼玉県指定文化財

 「氷川女体神社 神輿」 この神輿は、氷川女体神社が見沼で行う「御舟祭り」の際に、神霊を見沼の沖合い一里のところにある「四本竹」と呼ばれる神聖な場所に遷座するときに用いられるものと、神社では伝えています。
 いつ頃のものかは確かなことは解りませんが、一般には「南北朝の時代」の作といわれています。埼玉県内の最古のもので、また、全国的にも、この時期の神輿は十数基しか残存していないとのことで、大変貴重な文化財といえる。(一説には 「桃山時代」の作ともいわれています。)
 この神輿は、高さが1メ−トルぐらいで、漆塗りの金銅金具を施してあります。  

 

「牡丹文瓶子」 この瓶子は、やはり「御舟祭り」のときに使われるもので、見沼の主( 竜神 ? )にお神酒を捧げるときに使用された。
 これは、対をなしていて片方はやや小振りに出来ている。作成年代は「中世 室町時代 」頃とされている。「美濃焼」であると。現在は、「東京国立博物館」に常設展示されているとの話でした。




 

 

 

「紙本墨書大般若波羅蜜多経」539巻  「南北朝から室町時代」にかけて作られたそうな。

 

 


( 3 )浦和市指定文化財


 「氷川女体神社社殿」 1棟 「江戸時代」に作られた。上記掲載参照

 「氷川女体神社古社宝類」 氷川女体神社はその歴史が示すとおり、「宝物類」が多い。これも武蔵の国一宮の風格を示しているのだろう。
 これらは浦和市で一括して市指定有形文化財として指定されている。「飾鉾」「古鈴」「鉄鏃」「鳥魚形祭具」「二枚胴具足」「男神像」「鋳銅馬」等がある。「鎌倉から安土桃山時代」にかけて作られたとのこと。

 その他上記掲載の「北条氏綱制札」、「北条氏印判状」など多数ある。


( 4 )浦和市指定無形民俗文化財


 氷川女体神社 「名越しの祓え」は、 6月と12月の晦日に行われる神事で、特に6月は夏越祓といい、古くは村が総出で盛大な村祭りであったそうな。「茅の輪くぐり」や「人形流し」がおこなわれていたという。
 写真の中央に写っている方が、吉田宮司様、左にいる方が奥様です。作者がいつもお世話になっている方々です。
 






( 5 )浦和市指定文化財史跡


 氷川女体神社には、史跡「磐船祭祭祀遺跡」があり、「磐船祭」は、もとは上記に掲載した「御舟祭」であつたが、将軍吉宗の命により見沼が干拓されたので「御手洗瀬」がなくなり自然消滅して、今日の「磐船祭」として復活した。写真が無いのが残念だが、機会があったら掲載しよう。   


 
江戸名所図会「氷川女体神社」


取材協力


往古武蔵国一宮氷川女体神社
元府趾氷川神社

吉田子子則 宮司

プロフィ−ル: 元 埼玉県都市社会教育主事会会長。市立赤城少年自然の家所長。浦和中央公民館館長などを歴任して、退職後、現 埼玉県教育関係神職協議会会長。全神協常任理事を務める。著書に、「見沼物語」、「輝く南十字星」、「青い砂漠」などがある。  


浦和市立郷土博物館 学芸員

野 尻 靖
 

著書に、「氷川女体神社」がある。


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