現在の岩槻公園で、古への「岩付城」の跡である。春には、桜が咲き、秋には紅葉がすばらしい。
岩付城は、「永享の乱」の後の永享12年 (1440年)
に、扇谷「上杉持朝」がこの岩付城から兵を率いて出撃(
鎌倉大草紙 )しているところから、この年以前に城砦が出来ていたと考えられ、もとは、平安時代から続く
「渋江一族」 の城館跡ともいわれている。
太田氏の築城は、長禄元年(1457年)で、その築城の縄張りをしたのが「太田道灌」であると一般的にいわれているところである。しかし、道灌の父「太田資清」であるとの説も有力(
岩槻市史 通史編 )である。
右の写真は、岩付城の「表門」と呼ばれている。
何人の坂東武者達が出入りしたのであろうか、往時が偲ばれることではある。
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歴史浪漫管理者 鈴木 稔