こいちゃま必須鳥居。
HISTORY OF KOIZUMI

こいちゃまの知られざる過去を振り返ってみよう。
(以下すべて本人談です。)


生い立ち
昭和36年8月13日(獅子座)
3人兄弟の末っ子として生まれました。
生まれ・育ちともに納豆のふるさと、茨城県は水戸市。
明治学院大学文学部フランス文学科!卒業(5年かかった:笑=本人談)
ちなみにテストは全てカンニングで乗り切り、
未だに数字は6以上フランス語で数えられないらしい。


音楽との出会い
保育園に(3歳頃)毎週土曜に先生が来ていたので。
両親とも働いていたため、あずかってもらう感覚だったようです。
その先生はピアノとマリンバ(要するに木琴ですね)を教えていて、
僕は、当時家にピアノなんて無いのでマリンバを習いました。
箱みたいな物に乗って叩いたのをかすかに覚えています。


ピアノ…
その後先生に勧められてピアノに転向したらしいのです。
でも中学に入る時にやめました。恥ずかしかったから。(笑)
中学ではもっぱらギターを弾いてビートルズやチューリップをやってました。
もちろんボーカルは僕(!)。
財津さんと姫野さんと安部さん(リードギターも)を足したような役のワンマンバンドでした。


プロへの道
プロとしての初めての仕事は、お金をもらったという意味では大学の時
第百生命という会社の忘年会での演奏というのがありました。
既成の曲のコピーを1時間半ぐらいやって確か10万円(バンドで)。
5人編成だったので2万円もらいました。おいしいですね。


デビュー、そしてラッツとの想い出
本当の仕事デビューはラッツ&スター
(シャネルズではもうない)の新宿ルイードライブ。
「め組のひと」から2〜3年経った頃で人気的には一番落ち込んでた時期です。
小さなリハスタで練習して桑野さんがみんなの楽器を運んでました。
1年ほどしかやってませんが地方では田代さんとホテルのツイン同室ということまでありました。
当時田代さんと桑野さんは「ものまね」に出始まったころで
「石井明美のCHA-CHA-CHAが途中でおもちゃのチャチャチャに
なるっていうネタお前どう思う?」なんて聞かれたのも思い出です。
その後売れ始めて「オールナイトフジ」に色んなアーティストで行くと、
「おお、おめーがんばってんな」などとよく声をかけてくれましたね。
もう何年も会ってないけど。
でもラッツはいい思い出しか残ってないなあ。
お金は超安かったけど(笑)。
そのおかげか例のテレ朝のピカデリーの時「元ラッツ&スター」なんて
書かれちゃうワケで(笑)。メンバーじゃないっつーに。
なにしろ初めてのことばかりで思い出いっぱいです。


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