today  yesterday  

Tetsuzou Kawasaki (川崎鉄三:18??〜1932)

全国区ではないものの、横浜を代表する建築家のひとりに、
大正時代の末期から昭和初期にかけて、
横浜の関内地区を中心にいくつかの商社ビルの設計を手掛けていた、
川崎鉄三という建築家がいます。
彼は、同時期に違った作風の建造物を器用に創り出しています。
それはクライアントの要望によるものだったのか、彼自身が意図したものだったのか、
はたまたデザインにはさほど関わっていなかったのか、今となっては知る由もありませんが、
ヨコハマの風景に溶け込んだ、どれも楽しいものばかりです。
クラッシック音楽で例えるなら、壮大な交響曲のような迫力はないものの、
ショパンのピアノ小品のように軽快であり、コンパクトならではの魅力があります。


++ 川崎鉄三の経歴 ++
明治45年7月東京高等工業学校建築科選科修業後、
台湾総督府、台北庁土木係、厦門日本領事館、広東日本領事館を経て日本へ帰国。
大正12年6月福井県庁で技師として働きました。(県庁舎建設の為?)
その後大野屋工務店を経て大正14年、若尾幾太郎商店建築部本町工務所に所属しました。
昭和7年死去。
横浜での作品は、下記の他に、
東京電灯株式会社横浜支店(昭和3年)、亀の橋病院(昭和4年)があります(いずれも現存せず。)。


※川崎鉄三に関する情報がありましたら是非ご一報願います。 Mail



作品紹介





[HOME]