「硝子の華」
ソニア様作
どうして
引きつっていく口元は、最後にそう呟いたかに見えた。
何が起こっているのか分からない、不安と苦痛が彼女の妖艶だった顔に広がっていく。
可愛らしい年下の男との遊びを期待していたであろうその唇が、徐々に色を失い半開きのまま見えない何かに支配されていく。
ソファの上で、セーターの肩を落としたまま女性の体は変質し、透明な硝子へと形を変えていく。
「案外、つまらない出来ですね」
一個の彫像と化したそれにパソコンのカバーのような布をかけ、ゼロスはさっさと部屋の隅に片づけた。
このくらいの質なら30くらい…と、金の勘定をして外に続く扉に手をかける。女性のことはさっき布をかけたことで頭からも片づけられたのだろう。
雪が降りそうな暗い雲の下、比較的軽妙な足取りで吹きさらしの階段を下りていく。
奇宝堂、古い木片にそう書かれた看板のある店に彼は入った。看板がなければ廃屋に疑われても仕方がない外見は、櫛の歯が削られていくにまかせた商店街でも特に古い物だった。
一度、客に冗談で築後500年くらいといったことがあるが、その時の客も半ば信じていたほどだ。
中に一歩足を踏み出すと、そこから先は空気が違う。冷蔵庫を開けた瞬間のように、全く違う空気が籠められているのを感じることができる。
ゼロスの表情が静かに、変化する。
20そこそこのどこかまだ頼りなげな青年のそれから、何百年も前に生を受け根を張り巡らせた木精のような顔に。
冷えた空気に呼応して本性が浮かび上がるかのようだった。
「よい子でいましたか」
店の壁面にびっしりと並んだ棚、ショーケースというには時代がかかりすぎている展示台に目を這わせいつもの挨拶をする。
展示品の数々は声にして返事こそしなかったが、それぞれに下にある、あるいは真横にいる彼に一瞥を与えたかのようだ。
手応えの不明なコミュニケーションを終えると、ゼロスは最近入荷した品物のために展示台を片づけはじめた。
「ちょっと、いないの」
玄関で少女の声がする。ゼロスは拭いていたタオルをそこに置くと、早足で声の方に向かった。
開いた扉が眩しくて、顔は見えないがシルエットの具合から学校帰りの少女だと言うことはすぐ知れた。
「何かご用ですか」
商売用の、愛想のいい声で顔の分からない客に答える。
「ここ、骨董品屋?」
「いいえ、違いますよ。確かに古い物もありますが、大部分は僕が手がけた作品です」
ゼロスは笑いながら質問に答えた。骨董品といいながら、少女の声が微妙に引きつっているのが分かる。
戯れにのぞいて失敗した具合だろう。そう言う客には軽いセールストークを投げて、帰させるのが常だった。
ゼロスは次第に慣れてきた光に目を細め、客を観察した。
紅い、燃えるような髪。抜けるように白い肌に、名工が彫ったような体のライン。
目が離せなくなる。
息が止まり、喉の奥に滑り込んだ。
瞳の妙なることといったら瞬時に言葉に置き換えられない。
高値になる、最初そう思った。
今まで作ったどの作品よりも、いやそんな次元を飛び越えて最高の傑作になる。
ゼロスの創作意欲が運動神経を支配して、腕を伸ばし少女の細い腕をセーラー服の袖ごとつかませた。
「なっ」
大人しくつかませてはくれなかった。一瞬握りしめた感触だけを残して、ゼロスの手は振り払われ代わりに頬に痛みが押し寄せてきた。
少女の平手がブーメランの軌道を描いて頬を痛打したのだが、さほど痛いとは感じなかった。
「何するのよ、いきなり」
がなり立てる彼女の声を、音楽を聴くように聴いていた。
まさしく最上の素材だ。細い電流を体中に流されるようにゼロスは緊張に酔っていた。
枯れた砂漠に開けた小さな穴から吹き出して溢れる水そのままに、何かが急速に満ちてくるのを感じ取った。
「すみません」
内の興奮を最小限に抑え、外に漏れない要注意を払いながらゼロスは彼女に丁寧に謝った。
逃がしてはいけない、どんな小さなとっかかりでもいい。つなぎ止めるきっかけが欲しい。
巧みに誠意を装い、非礼をわび冗談に紛らせて彼女の心をほぐすことに尽力した。
手首をつかんで説得したのが功を奏したのか、それとも単にうっと惜しがられたのか彼女はしばらくもみ合った末に折れてくれた。
「もういいわよ、分かったから。
あたしだって見込みのないところいつまでも探してる時間がある訳じゃないし、もう失礼するわ」
見込みのないところ?
ゼロスはオウム返しに質問し、彼女の意図を質した。
単に間違いで入った客というわけではないようだ。それならこの「店」を知って来たのだろうか。
ゼロスのいつもの客なら、裏の情報に精通した物好き達や秘密めいた雰囲気に惹かれる軽い女達の2種類に分かれる。
少女はそのどちらでもない。
「あたしは人を捜しているの。3ヶ月前から行方不明の知り合いをね」
「ほう」
逢魔が時に迷い込んだ蝶、という訳だ。
店の奥で共鳴板が反応して、弾いたような音を奏でた。
「人捜しですか。なら、写真か何か持っていますか?」
定期入れから取り出した写真の中の知り合いというのは、彼女とは年代の違う、熟女にさしかかった美人だった。
ゼロスは首を傾げ、見たこともない素振りを示した。事実、見たことはない。
先ほど一瞬の間、自分が「扱った」素材かと警戒したのだが、心配には及ばなかった。展示品に紛れたとしても何とでもごまかすつもりでいたのだが、無関係ということで楽になった感がある。
「これも何かの縁でしょう。僕も心当たりを探しましょう。ただ…」
もったいぶるかのように提案を止めて、少女に目を注いだ。無言の羽箒が彼女をくすぐり、ゼロスのほしがる言葉を出させる。
「何よ」
「僕はまだ、貴女のお名前も聞いていません」
少女は目を見開いた。口ごもってどうしようかと、思案するように首を揺すり、とうとう思い切るかのように口を開いた。
「リナよ。リナ=インバース」
「リナさん。」
頭に染みこませるかのように、ゼロスの唇はしっかりとその名をなぞった。
ガラスドアに洒落た横文字で「dolfin」と書いた喫茶店がある。
チーズケーキだけでも12の種類があり、飲み物もそれに合わせて豊富に用意している。
学生同士のカップルがよく利用するらしく、店の外でも何組か並んでいる。
dolfinのドアベルを鳴らすのは、ゼロスはこれで二度目で観葉植物の陰のソファに席を取った。
向かい側の少女は、すでに3このケーキを攻略している。ゼロスは謝罪すると、注文を取りに来たウェイトレスにホットを頼んだ。
「あたしのブルーベリーもお願い」
つけ加えたリナに、ウェイトレスの女性は笑顔で書き加えた。
「可愛らしい彼女ですね」
他人の目から見ていると、デート中のカップルのように見えるのか。その効果を狙っていた彼は、心の中でしたり顔をした。
ウェイトレスが去って、座り直そうと中腰になったときリナの顔をのぞき見た。
一心不乱に食べている彼女から、今の言葉にどう思ったかうかがい知ることはできない。
それでも、今はかまわない。計画は順調に進んでいる。
「ねえ、先生のことだけど、何か分かった?」
唇にケーキのかけらがついているが、目つきは真剣だ。ゼロスの方に向けたフォークが爪先のように光り、威圧をかけてくる。
彼女が先生と言ったのは、奇宝堂へ探しに来た女性のことで名前をレジナ=フラーペという。リナが通っている高校の臨時講師で3ヶ月前から学校に来なくなったらしい。
「最初は風邪か何かと思っていたの。だけど、何日たっても来ないし、先生の下宿へ行っても姿がないの。
警察や先生方も探してる」
リナの説明を聞きながらゼロスは借りた写真を見直した。美人といえる部類だが化粧も濃いめで、一見して教職関係の人間とは言い難い。
しかし実際に教鞭を執っているのだから、このさい見かけと内側は分離させておいた方がいいだろう。
事実、リナはかなりレジナ先生になついているようだ。こうして一人で探している辺り、絆という物が他人にも明らかに見える。
「先生、少し派手だったからってよくない噂を流してる奴がいるの。でも、そんな人じゃない。
あたしが必ず、必ずつれて帰るんだから…」
よくない噂とは、興味本位にはやし立てる連中の好む駆け落ちとか、何かのたぐいだろう。しかし、それ自体はどうでもいい。
肝心なのはリナの態度なのだ。
ゼロスを惹きつけて離さない彼女との時間は、ポーカーのゲームに似ていた。ただし、リナのカードは丸見えで、多分彼女はそれに気づいていないらしい。
この線をおさえていれば、この人は僕と一緒にいる。
ゼロスは心配を装う中で、そう言う結論を導き出した。
もし、いまの二人を誰か知り合いに見とがめられて追求されたとしよう。
情報収集のためだとリナは主張するだろう。だが、カップルで来るような店に何度も足を運んだり、ほとんど人が寄らないような店にまで押し掛けたりすることを他の目がどう見るのか考えてはいないのだろうか。
聡明な少女だが、前を見すぎてすぐ横の危険に目を貸さないことがある。
ゼロスはリナの質問を外すためにゆっくりとカップを取り、挽きたての一品を堪能した。
訴えるような目をする。嘘を交えたささいな言葉一つに、浮き沈みする。
信頼を外させない程度に振り回して、喜んだり悲しんだり、表情を変える彼女を見ていたい。
そのためにも、自分としてやるべきことはやっておかなければならないのだが。
「何これ」
?マークを集めて適当にくっつけただけのモザイクを、少年の手が空中にほりあげる。
ゼロスはデートの余韻を吹き消され、いささか不機嫌な顔で小さな黒髪の男の子に向き直る。
「どうかしましたか、フィブリゾさん」
丁寧な口調の中に鋭利な爪を潜ませて、それでも一応相手に合わせてやるのは、少年が大事な取引相手の一人だからである。
ゼロスの作る精巧な「細工物」に値段を付け、闇のルートでさばく。それが彼の仕事だった。
少年は何でできているのか分からない「?」のオブジェを足下に転がすと、部屋の隅に並ぶ布をかけた一列の方に近づいた。
ゼロスに断りなく、一枚の布を持ち上げ中を確かめた。先日ゼロスが30と評した人形のオブジェの一部が肩を表す。
しばらく黙っていた彼は、表情を変えず文字盤に書かれた数字を読み上げるような口調で言った。
「25」
「厳しいですね、40は見てもらえませんか」
自己評価30の品物について、釣り上げすぎだとは分かっているが、これも交渉の内である。フィブリゾは口の端で笑ってほんの少しだけ採点を甘くした。
「26」
「あなたには売りませんよ」
フィブリゾの手から布を取り上げて、ゼロスはオブジェを布で隠した。畳みかけるような少年の声がやってくる。
「ずいぶん、手を抜いた仕事だね。僕じゃなくても誰も買わないよ。
もっとこう、気の入った物を作れないの」
ゼロスは答えず、オブジェの布を直す振りをして聞き流した。
「最近君が連れ回している女の子。あれなら…」
フィブリゾは言葉を切った。意図的にだ。
ゼロスの瞳が傍らの弓をつがえた天使のそれよりも鋭い光を放っている。
彼の反応に驚いて、というより彼の反応をさそってそうしたのだろう。フィブリゾの夜色の瞳は何ら悪びれてはおらず、かえって喜んでいるかにゼロスには見えた。
「リナさんは売りませんよ」
「へえ、リナって言うんだ。」
面白いものを見つけたと言わんばかりのフィブリゾの反応にゼロスは気分を悪くした。一見小学校に入り立てのまだ愛らしさを残す子供だが、その内容を構成するのはけして見た目通りの少年ではなく、最悪1000年を過ぎた魔物かも知れない。
子供が持っていた純粋な好奇心が、悪徳の汁を吸って好き放題に根を生やしている。最初感じた頼もしさは、こうした場合に嫌悪に変わる。
「フィブリゾさん」
「そうだ、僕に聞きたい話って_」
ゼロスの声に温度計がついているとすれば氷点下をさしている。さすがにいつまでもからかってばかりはいられないと感じてかフィブリゾは多少わざとらしく話題を修正した。
ゼロスは無言で写真を手渡し、簡単な説明をする。リナから借りた写真を、フィブリゾは見つめ、何度か布の被さった方へと目を向け、また写真に目をとめる。
「リナさんの探しているという人の写真です。この人について知りたいんです」
「それはまた、ご親切に」
フィブリゾの言葉には多分に皮肉が含まれている。
「また会うの?」
「あなたには関係ないでしょう」
「そうだね、引き延ばさなきゃいけないもんね。
人捜しに夢中なリナは君に情報を求めてくる。のらりくらり交わしたところで、知らなければいつかは気づかれる。
どこにいるかつかんでいれば、君の好きなようにゲームは動くわけだ。」
ゼロスは無表情でフィブリゾを見据えた。
子供は、実に無邪気な愛らしい表情でゼロスに笑いかける。
「見つからないことを祈るよゼロス。
これが見つかったら、そう例えどんな形になっていたとしても、見つかってしまったらもうお終いだもんね」
子供の口元が、悪魔が笑うような形を取った。
「見つからなければいいね、ゼロス」
「僕としたことが」
ゼロスの言葉に含まれた物は自嘲。
自らを嘲笑う、愚かしいはずの行為はくしゃくしゃになった足下の布のようにねじ伏せられていた。
粉々に我散ったガラスのオブジェが、もとは顔の一部だった部分だけを残して哀れな膨らみを見せていた。
そういえば−−−、数ヶ月前のことを反芻してみた。
店に来た客、骨董品に目がないといっていた。なかなか職場を抜け出せないから夜遅くになったといっていたか。
レジナ=フラーペは店に来ていた。骨董品目当ての客として。
そうだ、あのころは確か納期の谷間で、ろくな素材に恵まれていなかったっけ。
ありあわせのもので間に合わせていた。その中に入っていた。
「こんな手元にあって気がつきませんでしたよ。でも、それさえ分かればいいんです」
布をならすように膨らみに足をかけ、体重を載せた。
高い音を立てて砕けるガラスの音がする。
「これでいいんです。これで これで貴女はまだ僕を必要とし続ける」
ゼロスは笑った。そこにいない彼が必要とする少女に笑いかけるように。
彼の中で最高の傑作が産み出される瞬間を目を細めて祝った。
誰も目にしたことのない、もっとも美しい華がこの手によって咲くのだ。
それはそう遠いことではない。
ドアがノックされる。開いて少女が入るよりも前にリナだと言うことは分かっていた。
「どうぞ」
部屋の中は綺麗に整頓されていて、塵一つ硝子の破片一つ残っていない。リナは興味深そうに仕事部屋を見回した。
立っているままの彼女にソファを勧め、熱い紅茶をいれた。スリランカ原産の高級な茶葉が蒸らされて、よい香りが立ち上る。
「今日はゆっくりしていけますよね、リナさん」
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