自分のこと
たまには自分のことなんぞ書いてみてはいいのでは?といわけで今回はk−じろうについてかいてみましょう
k−じろうが物事を考えるその背景について書いてい置けば、理解の役にたつかも?(苦笑)
生い立ちでもかくか〜
k−じろうは京都の片田舎にうまれました。1975年10月6日生まれの23歳です。某禅宗のお寺の長男として誕生いたしました。姉一人、妹一人の3人兄弟の真ん中。女の子に挟まれて育ったのでこんななよっちい男にそだったのさ(笑)
3歳のときに、三重県一の大都市(といっても小さい・・)、喘息で有名な某地方都市に引っ越しました。そこで、高三の夏まで過ごしたのです。まぁ、ご多分にもれず、僕も
喘息もちでして、幼少のみぎりのころはそれはそれは体の弱いおこちゃまでした。高校に入るまではほんと
体が弱くて月に2度は学校を休んでました。高校に入って、なぜか演劇部に入部して「役者は体が資本だ!」などどと思い、「おれはこれからは風邪なんかひかん!」と決めていらい、なぜか体は丈夫になりました
世の中不思議なものですな。そして高三の秋に(微妙なじきよねぇ)、大阪の方へと引っ越していまに至っております。現在は大学四年生、そして5年生が決定しております(爆) とまぁ、駆け足に生い立ちをかいてみました
神童と呼ばれていた日々
こんなこと今言ってもだれも信じないけど、小さい頃は「神童」なんてよばれて、末は博士か大臣か?
なんていわれてました(笑)あ〜、見る影もない・・・。 得度(出家の儀式とお考えください)したのが
3歳の時。そのころから父の後ろにひっついて、法事なんかにいってました。頭を綺麗に剃っていてので
「マルコメ君」なんていわれたりして。聡明にして活発な非常によくできたおこさまでござった。父はそれなりの
地位にいた人でしたから、公の場にもでたりしました。そこにくっついていって、おとなしく、父の名をけがさぬよに、一生懸命がんばったのです。大人げはこのときに使い果たしたという噂も(笑) 本山の境内を
お使いであるきまわったりして、修学旅行生や観光客には大人気。ちょいとした有名人でした(あのころの
女子高生って今40歳前後か・・・)。 物事の飲み込みも早く、小学生になるころには「お施餓鬼(お盆の法事ね)」と「お葬式」以外は一人でこなすようになっていました。実際小さな法事は父が所用で戻れないときは代行してました。指名がくることもあった(笑)
学業の方も神童の名をほしいままにし、テストは常に百点(満点以外は怒られた)、「kくんは灘高(関西屈指の進学校)か開成(言わずとしれた超難関校)に行って、東大か京大にいくんでしょうなぁ」なーん
て言われたりして、自分自身で「お父様。僕は京大に行きたいとおもいます」なんて言う今聞いたら赤面物の発言をしたりしてましたよ。ほんとに見る影もなくなっちゃいましたが・・・なさけなやぁ・・・・・
このころもう一つ「悪童」の名もいただきました。 小学二年のとき、かの有名な「ふぁみこん」
なる電子遊具が発売されました。周りの子はもう、夢中。放課後は一目散に家に帰り、「ふぁみこん」
を持っているこの家に集合、今見ればおそろしくちゃちなゲームに時間を忘れ遊びほうけていたのです。
一応、私も父上に買っていただいたのですが、一日二時間と決められていたし、そんなことよりも山野に遊ぶ(今の子は遊ぶ山野もないだろう、どうだうらやましいか!)方が楽しく、放課後も二キロの道のりを五時間ほどかけて遊びながら帰り、
土まるけで帰宅したものです。ひとんちの塀に落書きしたり、授業中も、外をながめたり、戦艦の絵を描いたりして、ちっとも先生の話はきかない。忘れ物は多い。そのくせテストはいつも満点、先生もさぞかし手を焼いたことでしょう。 まさしく「悪童」てな感じ。
田舎育ち純粋培養なおばかさん
そんなこんなで田舎で育った神童は徐々にぼっちゃんから、田舎っこへと変遷していきます。家庭で厳しく、標準語教育を受けていたのですが、さっぱり田舎言葉がみについてまって・・・。まぁ、どうってことないけどね。
すっかり田舎っこになったころ、中学生になりました。中学生の頃の自分・・・・実をいうとあまり記憶にないです。
成績の方は相変わらず良好。県下統一テストでは常に校内十指以内。 が、授業を聞かない癖はなおらない。
ここで勉強する癖をつけなかったのがいたかったかな・・・。やらなくても何となく点はとれてました。
中学時代は剣道部に在籍していたものの、ほとんど練習には顔を出さず、ついに対外試合に一度もでることなく、三年間をおえました。
んー、中学生の記憶ってぜんぜんない・・・・ さ、つぎへすすみましょう。
で、高校生になるわけです。それなりの成績を誇っていた僕は、何の苦もなく県下有数の進学校に進むことになりました。
(いまではこの母校、とても進学校とよべる状況じゃないらしい)成績がふるわなくなったのはこのあたりからですな。
もともと、勉強なぞしたこと無い俺が、いい成績なぞとれるわけないもんな(^^; 入学時は450人中47番
卒業時は451人中380番ぐらいでした。 あちゃ〜(^^;;;;;;;
恋いだの夢だの
〜演劇部時代〜
さて、23年間でもっとも華やかな時機の到来です(笑) 私、なにを思ったか入学するなり演劇部なんて
ところに入部してしまったのです。今にして思えば人生最大の失敗。入部した理由は新入生歓迎公演をみにいって
そのままなんだかわからないうちにずるずるって感じ。 実を言うととある先輩に一目惚れってのもあるんですが(笑)
大した意志もなく入部したのですが、これが結構はまってしまった。朝学校に行って、1限から6限まで睡眠を
とり、放課後おそくまで芝居に明け暮れる生活を三年間すごしました。当然ごとく成績は急降下でしたけれども・・・
生まれて初めて何かに打ち込むということを経験したようにおもいます。朝から晩まで芝居漬け。起きてる時間は
脚本を読み、その他の時間は寝るだけ。非常に純度の高い芝居人生でした。このとき「役者になりたい」なんて
大それた夢を見始めるのです。 めきめきと頭角を表した僕は県下ではちょっとした有名人。2年の時には
県大会で最優秀賞を受賞し、中部ブロック大会にも出場しました(高校演劇についてはこちら
を参照してください)
書きかけですがここまでupしときます。
帰宅したら続きかきます。(なんていいかげんなんだ・・・)
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