Motoの201教空時代 

在りし日のわたくし(笑)

 第一話「初フライト」
 
かくして、小月教育航空隊を修業した私たちは、飛行学生として
第201教育航空隊へと進みました。そうです、夢にまで見た操縦
訓練が始まったのです。 しかし、ここでの訓練は私にとって非常
にキツイものでした。自衛隊のパイロット学生は民間のそれと違っ
て、ある一定期間内に必要な技量を習得出来ないときはエリミ
ネート(学生罷免)になって、2度とパイロットを目指すことは出来なく
なるのです。その重圧との戦いでもありました。

ともかく、座学も進みMotoも初フライトを迎えることが出来ました。
その日は天気もよく、風も弱い絶好のフライト日和だったことを記憶
しています。緊張から、そんなには景色を楽しむ余裕はありません
でしたが、緑が際立つ山の上を飛行中にふと下を見たとき、
1機の他の同期が操縦するT-5が飛んでいるのが
見えたのです。
ほんとに緑がきれいな森林の上を、相対スピードがあまり変わらない
ためにゆっくりと飛んで見える真っ白な機体
バディの学生が操縦してたときにも見たというこのシーン、
私たち2人は実は同じことを考えてました。それは・・・
「・・・ナウシカみたい・・・!!」
なにはともあれ、Motoの初フライトは感動のうちに
終わったのでした^^。

第二話「飛行機との出会い」

私が飛行機に乗りたいなあと思ったのは、中学の頃に北海道の航空自衛隊千歳基地で
F−15Jイーグル”のタッチアンドゴー訓練(連続離着陸訓練)を目撃した時でした。
それまで、飛行機のことなど全然興味の無かった(というより見る機会が無かった)ので、
そのカッコ良さに思わず身の毛のよだつおもいでした。
その時から、飛行機の知識が全く無かった私は、少ないこづかいから(笑) ”航空ファン”や”エア・ワールド”
等の航空機雑誌を買って読み、大空への夢を膨らませていったのです。
ちなみに”TOPGUN”という映画も見たことが無く、やっとビデオを購入して10回以上も
繰り返して見た記憶があります。セリフもほとんど暗記状態でした(爆)。

私が第201教育航空隊に入って空中教育を受けたのは、T−5ルーキー”と
いう、高性能の練習機でした。白く優雅で、優秀なターボプロップのプロペラ練習機です^^。
空自・戦闘機パイロットへの道は険しく試験には受かりませんでしたが、
運良く海自の航空学生に合格し、大空への第一歩を踏み出すことができました。
今は一人前の戦術航空士を目指していますが、T−5という飛行機に出会い、
そして少しでも操縦訓練を受けられたことはとても貴重で、良い経験になっています。


第三話「シミュレーターというもの」

現在、世の中にはバーチャルな世界が溢れていますよね^^。最近では、エアラインパイロッツという
JALの航空機のコクピットを模したものや、フェラーリのコクピットを模した体感ゲームもありました。
また、自動車学校や、その他いろんな資格を取るためにシミュレーターというものが使われています。
なぜ、シミュレーターが多く使われるようになったのでしょうか。それは、失敗や事故による損害を
最小に防ぎつつ、最大の技術を習得するためなのです。仮想の世界で事故を起こしても、人命は失われません
からね。そして、それらは軍事の世界にも同じことがいえます。飛行機の操縦訓練を始め、いろんなところで
使われているのです。では、どんな時に最大の効果を発揮すると思いますか??
それはエマージェンシー、そう、緊急事態を想定した訓練において、大きな役割を果たすのです。
例えば、航空機の失速からのリカバリー。これを現実に訓練するには、相当の危険が伴います。
それが百戦錬磨の教官ならともかく、駆け出しひよっこの学生が行うには難易度が高すぎますよね。
またエンジンのSTOP等、実際に訓練を行うのにリスクが大きい時など、シミュレーターが
その威力を発揮するのです。操縦法や取り扱い法などの他、エマーの知識などは絶対必要な知識
ですからね。というわけで、実際の訓練に移行する前や、緊急事態を想定した訓練では、
シミュレーターでの訓練が行われています。
というところで、続きは次回^^


第四話「シミュレーターというもの・弐」

さて、そんなこんなで私の第一回目のシミュレーターの教官は、201教空でも有数の熱い教官でした(笑)。
それでなくとも初めての操作なのに、熱い教官!熱い指導!頭はもう真っ白
う〜ん、我ながら散々だったのを覚えています(T^T)。シミュレーターは一見楽しそうですが、
当時はそんなどころでなく、夜遅くまで準備して寝不足になりながらも手順等を実施していました。
小月航空基地にあったT−5初等練習機のシミュレーターは最新鋭のもので、
とても精巧にできており、評定(成績)がつかないときには、それはそれは楽しい乗り物
でした・・・(笑)。関門橋をくぐったりもできました。もちろん、教官の前では
出来ませんがね(爆)。
このように、実際には出来ないことをできるというのも、シミュレーターならではでしょうね。
一番の思い出は、基地祭の時にシミュレーターのパイロットの係りになり、
一般の方々の試乗にお付き合いできた事です。教官曰く、なんでもありということで
離陸直後から全速力で関門海峡付近に進出して、一回10分ほどなんですが
ほとんど橋の上でアクロバットストール(失速)づくしでした。
カップルや子供達と一緒に操縦してとても喜んでもらえたのが今でも印象的です(^-^)。


第五話「見る側から見せる側へ」

私が自衛隊の航空祭に初めて行ったのは、中学3年の時だったと思います。当時は自衛隊の
飛行機が縦横無尽(に、見えた←笑)に飛ぶのを見て、また腹に響くジェットの轟音に身の毛が
よだつ思いだったのを覚えていますね。それ以来自衛隊に入隊するまで、毎年欠かさず通っていました。
エプロン地区に並ぶ自衛隊の飛行機、そして
フライトスーツで歩く搭乗員たち。
僕の目にはそれらはとても眩しく映っていたのです。初めて「見せる側」
というのを意識したのは、航空学生時代の
ファンシードリルの展示でしょうか。
小月基地での後輩期の入隊式に始まり、岩国や鹿屋など、各地の航空祭で展示をしました。
各基地の中でも、特に鹿屋はとても応援してくれていたのを覚えています。
帰投時のYS−11の窓から、観客の皆さんがずーっと手を振ってくれているのを見て、
とても感動しました。今まではあの中で手を振っている側だったのに、
今では振ってもらえる立場になったんだな〜と^^。

第六話へ続く(^−^)。