1998.11.28  ロベルト・バッジョ

 

 やっとだ。このページの壁紙をインテルのHPから盗んできて、はや一月近く。ようやくこのページにインテルについて書くときがやってきた。

 もう気付いてくれた人もいるが、このページの壁紙は、俺が応援しているイタリアサッカーリーグ「セリエA」の1チーム、インテルのユニフォームカラーを基調にしている。ぼんやりと見える丸のうえに星の乗っているマークは、ユニフォームに付いているマークだ。ちなみに上にある星印は、セリエAで10回の優勝を成し遂げた証である。ちなみに100年になんなんとする歴史を誇るセリエAだが、この星印を付ける権利を持つチームは、3チームしかない。決して弱小チームなどではないことはおわかり頂けるだろうか。ちなみに去年は昨シーズンは2位である。

 そのインテルが今年久々に挑戦しているのが、UEFA(ヨーロッパサッカー協会)チャンピオンズリーグだ。UEFAに参加している各国リーグの優勝チームが参加する伝統ある大会だが、今シーズンから出場枠拡大策(試合数を増やして、それによるクラブの利益増をねらったため)をとり、UEFAランキング上位国(要するに、ヨーロッパの中でもレベルの高い国。イタリア、ドイツ、イングランドなどがそれにあたる)は2位チームも参加できるようになったのだ。ちなみにこれに優勝すると、トヨタカップに来ることになる。今年は昨シーズンの優勝チーム、スペインのレアル・マドリッドが来る。

 インテルは、決勝トーナメントに進むためのグループリーグで、このレアルと同組になった。決勝トーナメントに進めるのは、各グループリーグの覇者と、2位チームの中で勝ち点の多いチーム。勝ち進むためには、勝ち点を多く稼ぐのはもちろん、なるべく1位をとりたい。その上での最大のライバルが、このレアルである。

 グループリーグ第5節。我らがインテルは、ロシアのスパルタク・モスクワと勝ち点7で並び、勝ち点9のレアルを追っていた。これに勝てば、ライバルを追い抜いて、グループ1位になれる。もし落とせばレアルとの差は5点。残りが1試合しかないため、トップ通過は絶望である。モスクワが同じ日の試合で、オーストリアのシュトルム・グラーツに勝った場合、一気に3位転落。3位と言えば多少聞こえがいいが、グループには4チームしかないのだから、下から2番目である。仮に最終節でモスクワを抜いたとしても勝ち点が少ないので、ベスト8に残るには、ええと、グループリーグが6つで、2位抜けができるチームは2チームしかないから、他のリーグを見た限りで・・・。要するに予選落ちの確率が高くなるので、絶対に落とせない試合だ、と思ってください。

 このレアル戦はホームでの試合である。日本では対して感じないが、サッカーの盛んな強国のリーグでは、ホーム&アウェイの差はでかい。現にインテルがレアルと比べてそんなに力負けしてるとは思わないが、レアルのホームで行われた試合では2−0で完敗している。まあ、さらに落とせない状況だ、と思ってくれい。

 えー、説明が長くなったが、つまりこの絶対に負けられない試合、インテルは前半を0−0で折り返し、後半に入って、ブラジル代表ロナウドのシュートを足に当てた(足にあたった、かも)チリ代表サモラーノのゴールで先制。ところが、レアルのオランダ代表シードルフのゴールで、同点に追いつかれてしまったのだ。あやうし、インテル!という状況をわかってもらいたい。

 ここで後半25分過ぎにロベルト・バッジョが投入される。

 ロベルト・バッジョは日本でも相当に有名なイタリア人である。「イタリアの至宝」と呼ばれ、94年、酷暑のアメリカで行われたワールドカップ決勝で最後にPKをはずし、悲劇のヒーローと認知されるに至った、名選手である。

 華麗で高度なテクニック、豊富なイマジネーションを持ち合わせたこの小柄な天才児は、90年、地元で行われたイタリアワールドカップで、世界に衝撃を与える国際デビューを果たした。94年のワールドカップではもちろんイタリア代表のエースとして、期待を一身に担っていたのだ。

 ところがこのバッジョ、線が細い分強さに欠けていて、94年大会でも足に怪我を抱えたままであった。随所に好プレーを見せ、イタリアの中心人物としてチームを決勝にまで導いたが、最後の最後で、足に抱えた爆弾が彼の栄光を妨げになってしまったのだ。ロベルト・バッジョは偉大なスターであり、それゆえに国民の非難を背負う形になってしまった。こうして悲劇のヒーローが作られた。

 サッカーが近代化し、戦術重視になり、ディフェンスのために汗をかかない選手が、姿を消すようになった今のサッカー界に、バッジョの居場所は少なくなっていった。期待の大きさと、完治しない怪我、そしてサッカーの変化の中、バッジョは所属するクラブチームでも出番が減り、ついには放逐されるようになる。年齢的な衰えもあり、「バッジョは終わった」と囁かれるようになっていた。

 昨シーズン、セリエAの下位チーム、ボローニャに移ったバッジョは、チームの中心選手として使われることで、見事に復活した。セリエAの上位チームは常にヨーロッパでのカップ戦、国内のカップ戦に忙殺されるが、下位チームではそれがない分、試合数も少ない。さらにメディアや全国的なファンの注目が減ることによって、多大なプレッシャーから解放されたバッジョは、自らのコンディションを立て直し、ついに2度と戻ることはないだろうと思われていたイタリア代表の一員に復帰したのだった。

 ワールドカップ98フランス大会。新エース、アレッサンドロ・デルピエーロの控え選手と考えられていたバッジョは、イタリアの初戦、対チリ戦でチームのピンチを救う。自らのプレーで相手の選手のハンドを誘い、PKのチャンスを得たバッジョは、因縁のワールドカップの舞台でそのPKをきれいに決め、復活を世界に宣言した。

 衰えを指摘されたとはいえ、バッジョのファンは世界中にいる(はず)。そのバッジョが再びワールドカップの舞台に返り咲き、大舞台でのプレッシャーがもろにかかるPKを決めたとき、全世界の78%が感動したとかしないとか。その衝撃は、骨折に苦しみ、一時はもうダメかと思われた名馬トウカイテイオーが、カムバック戦の有馬記念を制したときの感動に引けを取らない。人々の心を捉えるに十分なドラマが、そこにあった。

 その瞬間、俺はアメリカ以降4年間止まっていた時が、再び動き出したのを感じた。素晴らしかったバッジョのプレーを見る機会は少ない。セリエAダイジェストは終わってしまい、ボローニャのバッジョのプレーを見る機会はほとんど無かったと言っていい。「コンディションがいい」、「復活した」といくら雑誌記事に書いてあっても、実際に見るのでは実感が違うのだ。バッジョがPKを決め、静かに喜びを見せたとき、物語が再開されたのを、俺は知った。

 

続いてみようかな

 

 

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