読み週記 1月

 

第5週(1/31〜2/6)

 どうしたというのだ。全然本が読めない。このままでは俺の人生は真っ暗闇だ。本を読むためだけに生きているというのに。そんなこたないけど。

 『週刊少年ジャンプ』(集英社)は、今毎回欠かさず読む数少ない雑誌である。7・8・9号をまとめ読み。毎度の事ながら重ねて読むのは非常に疲れるのだが、毎週買いに行って読むのはもっと疲れるのでやらない。相変わらず面白く読んでいるのは、ほったゆみ他「ヒカルの碁」、許斐剛「テニスの王子様」、樋口大輔「ホイッスル!」なのだが、これも単に扱ってる競技に興味があるだけかも知れない。

 上祐史浩さんのインタビューが読みたくて久しぶりに『週刊プレイボーイ』(集英社)7号を買った。俺がこの雑誌を恥ずかしがらずに買えるくらいオヤジになった頃には、もうかつて程面白い雑誌ではなくなってしまったのでたまにしか買わないのだが、そのたびに連載の漫画がずいぶん先に進んでしまっていて良くわかない。
 上祐さんとという人の顔が、俺はずいぶん前から好きで、オウム華やかなりしころは彼がテレビに出てくると嬉しくてしょうがなかった。えらく不謹慎な発言を形ばかりお詫びします。
 まさにこの役柄のために用意されたかのようなインチキくさい顔。人相見の人がどんな判断をするのか興味深い様々な表情が今では懐かしい。なに、疑わしきは罰せずである。これからも胡散臭いまま頑張って欲しいと思うのである。
 インタビュアーは『突破者』(南風社)の宮崎学。「山積する疑問を作家・宮崎学が追い詰めた!」と書いてあるが、上祐の正体がどっちであれ、「追い詰める」は難しいと思うなぁ。

 『本の雑誌』(本の雑誌社)の2月号「200号記念通常号」を読む。吉野朔実の連載は「爵位を持つ人々(前)」と題してカルヴィーノの3部作、ミック・ジャクソン『穴掘り公爵』(新潮社)、ビュルガー『ほらふき男爵の冒険』(岩波文庫)を題材にしている。カルヴィーノの3部作はなぜか『まっぷたつの子爵』(晶文社)しか読んでいないことに気付いてちょっとあわてる。

 なんと、今週は雑誌ばかりになってしまった。やっぱり寝過ぎなのかなぁ。でも冬は眠いしなぁ。

第4週(1/24〜1/30)

 再読に次ぐ再読。新しい本など何一つ読んでいない。1年に何度かこういう時期があるのだが、特に今は絶好調だ。よって書くことは何もない。素晴らしいことだ。

第3週(1/17〜1/23)

 先週も予告した通り(?)、例の本の再読にかまけている。案の定読み始めてしまったのだ。しかたない。これも定めだ、とあきらめる。おかげで全然書くことがない。

 クレイグ・ライス『大あたり殺人事件』(ハヤカワ文庫)は前作『大はずれ殺人事件』(ハヤカワ文庫)の続編。前作で賭けに負けたジェークとヘレンは新婚旅行の真っ最中。一人残ったマローンが殺人事件に遭遇し、再び彼等に勝負のチャンスが巡ってくる話だ。今度はモーナ・マクレーンの家の泊まり客達が絡むストーリーで、物語のテンポもユーモアもすっきりとして読みやすくなっている。ややご都合主義的な展開もあるものの、前作に比べると遥かに面白くなっているのは確かだ。

 ほとんど新しい本が読めなかったなかでも抜群の発見がジョセフィン・テイ『時の娘』(ハヤカワ文庫)。犯人を追っている最中に足を骨折し、入院を余儀なくされた警部グラントが退屈しのぎに始めた歴史の謎への挑戦。その題材がバラ戦争後に悪名をとどろかせるリチャード3世である。
 エドワード4世の遺児達を残虐に殺し、自らの権力を手にしたと言われるリチャードが実際はどんな人物であったのか。その幼児殺人はどのようにして行われたのか、という謎を探るために、女優との恋のためにイギリスに来ていたアメリカ人研究者を使って推理を働かせる。
 現存する歴史がいかにして書かれたのか。書き手とその情報源の意思や時代背景。その全てを考えなければ正確な歴史を知ることは難しい。資料批判と事実だけを見つめる姿勢が歴史学でいかに重要かを改めて思い知らされる。と、同時に歴史を探るわくわくする感覚が読み進むほどに高まっていくのが快感だ。

 どうやら去年ずいぶん新しい本を読み過ぎたのか、今年は再読の年になりそうないやな予感がする。昔ほどたくさんは読めなくなったものの、一冊でも多く面白い本を読みたい、と思う自分が自分自身を支えているようにも思えるのだ。

第2週(1/11〜1/16)

 この冬休み、HPの更新も休んでさぞかし実りのある読書生活ができるに違いない、と休みに入る前は思っていた。そのために本も買い込み、万全の体制を整えた年末、大掃除の時期になってその計画は頓挫する。中学校、高校の頃に読みふけったM・ワイス/T・ヒックマンの『ドラゴンランス戦記』(富士見文庫)をしまおうとしてふと手が止まった。
 今年の大掃除はとにかく本の整理を重視して、本棚にスペースをもうけるべく、古い本を箱に詰め、その箱で本棚を作る、という画期的な整理方法に着手したのだが、この本は厳しい選定の結果、箱組に回されることになったのだ。この物語はRPGのルールを元にして描かれたアメリカのファンタジー小説で、癖のある登場人物の魅力が優れた秀作で、箱の奥底にしまうのが急に惜しくなってしまったのだ。そこでとりあえず読んでからしまおうと考えてしまったのだ。
 実はこれ、全6巻である。そして物語の最後に残されたある双子の関係や、一旦は終わったかに見えた戦争のその後など、解決されぬ問題が多く残され、それは次の『ドラゴンランス伝説』(富士見文庫)で終わるのである。いわば大きな流れの中で全・後半に別れているような物なのだ。そしてその後半部分、これまた全6巻である。
 年、越しました。

 気を取り直して新年、新たな気持ちで読むのがずいぶん遅くなったけど、とりあえずは新年の読み週記。最初はヘーゲルの『歴史哲学講義(上)』(岩波文庫)。元々は図書館で見かけた本だけど、題名に惚れ込んで早速購入した。個々の歴史的出来事を追っていくのではなく、世界精神の移り変わりやその発達を地域ごとについて述べた物。ただでさえ難しいのに、論を進める上での前提や発想を説明するための序論がまあ辛いことといったら。
 いままで普通に歴史教育を受けてきた現代の日本人の視点から見るとおよそ予想もつかない展開を続ける論の進行にただただ圧倒されるばかりだが、同時にその思想の中からヘーゲルという人間の考え方や受けてきた影響が見えてくるようで面白い。歴史に関する本を読むときにはそれが書かれた時代、著者がいた世界などを常に考慮する必要があることを再認識するとともに、外国人の思想に与える宗教の影響についても深く考える。もちろん裏返して日本人についても。

 クレイグ・ライスの名前を完全に忘れていたので、『大はずれ殺人事件』(ハヤカワ文庫)に酔いどれ弁護士マローンが出てきたときは偶然かと思った。そういえば以前にこのマローンが出てくる本を読んでました。題名も版元も忘れちゃったけど。
 書店でこの『大はずれ殺人事件』、『大あたり殺人事件』(ハヤカワ文庫)が並んで面置きになっているのを見たときに、つい買ってしまった。面白くなかったときのために前者だけにしておくあたり俺も姑息だけど、結局両方買うんだろうなぁ、という気がした。
 この酔いどれ弁護士マローンとその友人であるもと新聞記者のジェーク、新妻のヘレンの3人がパーティーで予告された殺人の賭けに勝つために事件を追い回す物語。やや古くさいユーモアが妙に心地よい佳作だ。かなり戯曲的な台詞回しなど今読むと少し抵抗があるものの、登場人物達の個性がどれも巧くて楽しんで読める。

 ジェフ・アボットの「図書館長シリーズ」の最新刊は相変わらずわがままばっかりのジョーダンがボブ・ドンの家族達に会うべく孤島に向かう『図書館長の休暇』(ハヤカワ文庫)。主人公のジョーダンはいつになっても大人になれず、ボブ・ドンや恋人のキャンディスに甘えっぱなしで、島で起きた事件の捜査もたくさんの情報に惑わされっぱなし。これほど魅力のない探偵役も珍しいと思うが、そこがどこかリアリティになっているのだろうか。結局楽しく読んでしまうのだ。
 シリーズもこれで4作目。前作の『図書館の親子』(ハヤカワ文庫)が親友との関係にクローズアップしているのに続いて、今回はジョーダン自信の親子、そして家族が中心になっている。個人としては前作の方が好みなのだが、物語のテンポの良さはその長さを感じさせずに十分に読ませる。それにしてもこのシリーズ、巻を追うごとに長くなっていく。

 『週刊少年ジャンプ』(集英社)、島袋光年の「世紀末リーダー伝たけし!」における2000年問題にはつい笑ってしまった。よくもまあそこまで臆面もなくできるものだ。かなり力押しなのについ押し切られちゃうのはあの変な絵のおかげか。

 川原正敏『海皇記』(講談社)の5、6巻を読む。とにかくスペースの多いマンガだ。船とか鎧とかを一生懸命描く一方で、そんなところが目に付いてしまうのはなぜか。それはその妙なスペースが突然出てくるからだ。すごくマンガ的なマンガ。とりあえず読んじゃうんだけど。

 NHKの大河ドラマ「葵−徳川三代−」にはまっている。そのせいで気になってるのが隆慶一郎の『影武者徳川家康』(新潮文庫)だ。再読になっちゃううえに全3巻。ああでも読みたいなぁ。まだ正月用の本が大量に残ってるんだけどなぁ。でも読んじゃうんだろうなぁ。