読み週記 6月

 

 

第1週(5/31〜6/6)

 なんだか知らないが今週は数が少ない。せっかく数も少ないので内容も手を抜くことにする。

 まともやえらく古いけど、『ナショナル・ジオグラフィック』(日経ナショナルジオグラフィック社)の98年4月号を読む。この号の記事では、自転車でオーストラリア一周旅行をした人の記事が面白かった。こういうのを読むと、なんだかんだ言って俺は理科より社会が好きなのかも、と思う。興味の度合いの問題でしかないけど、社会の方が好きなら別の他の雑誌でもいいだろうに、とも思う。いや、面白いんですけどね。

 いつだったか電車の吊り広告で発見して気になっていた雑誌『ヴァッカ!』(バウハウス)をコンビニで発見したので購入する。「サラリーマンの365日を刺激する国民的バカ雑誌」という惹句につられたんだけど、内容を読んでみると、主に刺激したいのが下半身であることが判明してちょっとぐったり。
 ただ流石に「バカ雑誌」と主張するだけあって、なかなかバカな記事もあって、なんだか捨てきれないものを感じる。「車に何人乗れるか」ということで、車評論家の人と一緒に水着のオネェチャンを山ほど満載した揚げ句「こんなに乗れるけど、これじゃ走れません」と言い切ったところがえらい。付録として高校の制服を着た女の子4人くらいが並んでる写真のポスターがついてるんだけど、4人とも特に可愛くないところもすごい。誰だかわからんし。

 分裂症の息子が発病してから死ぬまでの日々を、オーストラリアの女性ジャーナリストがつづった『心病むわが子』(晶文社)には、母親の苦悩と葛藤がこれでもかってくらい投入されててなかなかの書。分裂症に関する啓蒙の書としても使えるかもしれない。精神医学は何10年も変わってない、って話を聞いたことがあるけど、一般的な精神病に対する認識もそんなに変わってないような気がする。いまだに多重人格と同じ様に思われてるふしもあるしね。骨折ほどわかりやすくないけど、援助交際よりはわかりやすい、って気もする。そんなことないか。

 映画にもなったので『LAコンフィデンシャル』(文春文庫)はわりと有名になったけど、それが大戦以後のLAを描いたジェイムス・エルロイのLA4部作の3作目だってのは以外と知られてない話。俺も読んだことがなかったので、4部作の1作目『ブラック・ダリア』(文春文庫)を読む。もともと4作目である『ホワイト・ジャズ』(文春文庫)がついこの間文庫化されて、それが読みたかったがためなんだけど、あんまり面白いんでびっくり。実際に起きて迷宮入りした殺人事件についての警察小説なんだけど、映画の街ハリウッドが現在の姿になる以前のLAの描き方や、主人公を含め、野心と傷の中で生きる人々の姿なんかが実に重くせまってくる。『LAコンフィデンシャル』を読もうと思った人も、とりあえずこれから読みなさい。