読み週記 3月

 

第4週(3/27〜4/2)

 正月以来のゆっくりした日々。ちょっと気を抜いただけで生活が夜型になってしまう。「朝まで飲んだ」なんて日以外は「朝まで読んだ」となることもあるのだ。全く油断がならない。

 グレッグ・イーガン『宇宙消失』(創元SF文庫)は量子力学の発想を逆手に取ったようなスケールの大きなハードSFだ。病院から消えた女性を捜すミステリ風の始まりから物語は一転、無限に広がる可能性を全て視野に治めることを強要されるような世界が展開する。SF界ではもはや「既存の技術」となった感のあるナノテクを家電のように使いながら、主人公が可能性的、爆発的に分裂する自己に直面する様がたっぷりと描かれている。「ニュー香港」という視覚的には定番となったシチュエーションながら、アイディアの面白さとテンポの良さで抜群の小説になっている。

 神林長平は理屈っぽい小説家である。とにかく理屈っぽい。だから小説の中でも自分の考えを懇々と語ってしまう。時としてジョークすら理屈で責めてくる。自分と自分の世界と自分の小説で延々と議論を続ける。
 『魂の駆動体』(ハヤカワ文庫)でも神林長平は語る。それでいながら、神林長平は感傷的な作家でもある。この本ではクルマへの想いが前編に満ちている。その躍動も、歓びも、感動も、神林長平は全て語る。多少理屈っぽくても、優しく、楽しく。

 イリヤ・ズバルスキー/サミュエル・ハッチンソン『レーニンをミイラにした男』(文春文庫)はその題名の通り、スターリンの意図によって死後に保存されることが決定したレーニンの遺体をミイラにした旧ソ連の科学者によるドキュメントだ。歴史的な、時にショッキングな写真を交えながら淡々と語られる当時の様子を述べた著者は、巻末でレーニンの遺体は埋葬されるべきだ、と強く主張している。当時ともに働いた科学者、技術者達の名誉を守る一方で、遺体の永久保存自体は、「野蛮かつ時代錯誤的な風習」と語っている。ただその手法は何であれ、政治家が国民の統治のためにあのてこの手を使うのはいかなる政治体制とも切り離せない思想なのだ。

 今や俺の中で「安全な作家」と評価される山本周五郎。もちろん良い意味でである。常に圧倒的な面白さを備えているわけではないにしろ、はずれ本に当たったことがない。真摯に、常に安定したクオリティを発揮できるのは、周五郎の人間性への洞察と理想論がどの作品でも貫かれているからだ。短編集『花杖記』(新潮文庫)では、武士とそれを支える女達の姿が多く描かれていたように思う。あるいは愛する。

 ブラッド・メルツァー『最高裁調査官』(ハヤカワ文庫)はユーモアあふれる悪口雑言を飛ばす仲間達の友情の物語であり、自分の職務とキャリアを愛する最高裁調査官となった青年が遭遇した陰謀との戦いのサスペンスであり、恋愛ドラマであり、優れたコン・ゲーム小説だ。解説にアメリカのテレビドラマ『フレンズ』の名前が出た瞬間に「ああ、なるほど」と思わされたのが、主人公とその親友達の友情だ。作品の核となる青春ドラマの素には「今」の若者達のそんな世界があるに違いない。抜群のテンポと会話の妙であっと言う間に読ませる。快作だ。

 「新たな千年紀のための六つのメモ」と副題がついたイタロ・カルヴィーノの「カルヴィーノの文学講義」は、アメリカの大学で実際に行われる予定だった講義のためにカルヴィーノが書いた講義の草稿である。だが実際にはその「六つ」を完結させることなくカルヴィーノは他界する。自身文学を通して様々な挑戦や試行錯誤をしたカルヴィーノの言葉は必読に値する。文学に対するカルヴィーノの限りない愛情と信頼が満ちあふれている。実践かが偉大な哲学者であるいい証左といえるだろう。

 山本直樹『ビリーバーズ』(小学館)はこの第三巻で完結。「ニコニコ人生センター」の全貌が明らかになるにつれて、今まで描かれていた怪しげなメッキがはがれていく。だが本当に不気味なのはその宗教ではなく、それを信じた人々のこころの変貌にあるのだ。うまく完結されているように見える一方でやや終わるのが惜しいような作品。もっともっとオカシな展開を続けてもいいのではないか、と感じてしまう。

 何を思ったか子供の頃『週刊少年ジャンプ』(集英社)に連載されていて読んでいたはずの萩原一志の魔法使いマンガ『BASTARD』(集英社)を古本屋でまとめ買いし2〜11巻までを一気読みする。それは家にあった1巻をたまたま読んだからなんだけど。今読むと以上にベタな感覚が意外に気持ちいい。エロで売った感は無きにしもあらずだが、当時確かに新しいマンガであったあのは確かではないだろうか。あの頃の『ジャンプ』はやっぱり面白かったなぁ、と再確認。いかにも少年漫画らしい魔術師像だが、派手でありながら真面目であった。

 年は変わらぬが年度は変わる。「読み週記」と年度は全く関係ないが、実際は俺の生活が変わったりもするので大きく影響があるのだ。不思議なことだ。

第3週(3/20〜3/26)

 どうもここしばらく体調がすぐれない。本を読んでいても集中できないし、夜はすぐ寝入ってしまう。特に後者は不便で仕方ない。

 『週刊少年ジャンプ』(集英社)の15、16号を読む。どうでもいいことだが、16号にある読み切り「タクミン エンジン」は絵も下手な上に何の新鮮味も面白さもない。商品化されるレベルに全く達していないと思う。と言い切ってしまうくらい酷い出来なので、思わずもう一度読み直しそうになってしまった。どうしたジャンプ。

 『本の雑誌』(本の雑誌社)4月号の特集は「最強のろくでなし!」。どういうわけか対談のメンバーの一人が妙に癇に障る。なんだ、ぎすぎすしてるのか、俺?浦部信義「かぶと虫の本」が良かった。

 パトリシア・コーンウェルの「検屍官シリーズ」(講談社文庫)の脇に置かれた、FBI捜査官マイク・デヴリンを主人公としたポール・リンゼイのシリーズが意外に面白く、いいものを発見したと友達に自慢したところ、彼もとっくに読んでいてちょっとがっかりしたリンゼイの新作『殺戮』(講談社文庫)は心待ちにしていた第3作目だ。
 巻を追うごとに作家として自信をつけてきたのか、それに沿うように物語のスケールも大きくなってくる。今回は国民の大量殺戮を狙う犯人を相手にデヴリンが知恵を絞る物語。あえて自分から危険の中に身を投じたがる破壊的な性格はそのまま、相変わらず妻への愛との葛藤に迷うことになる。
 やや主人公のキャラクターが出すぎにも感じられるものの、作品としての完成度も高く、次回作も楽しみだ。今回気になるのは、「現場の人間」という意識を喚起するシーンが多すぎること。もともとシリーズの魅力の一つがFBI上層部、キャリア組への強烈な批判意識にあったことはたしかで、現場では実際にそんな感情が行き交うシーンが多かったのかもしれない。が、物語の中で「現場意識」を出しすぎるとかえってそれが嫌味に感じられることもあるのだ。

 そろそろ面白い本が目にはいるようになってきた。何度も言うように、読みたい本が多いか少ないかは、出版側ではなく、こちらの気分の問題が多い。それだけにいい流れにはなってきているのだ。

第2週(3/13〜3/19)

 年々人々と本の話をすることが少なくなっている。一因として毎日のようにある人がいなくなっているからではないかと思うことがある。つまり誰かと誰かがあって話をするとき、本の話というのは優先順位がずいぶん低いのではないかと思うのだ。普通の会話として「最近面白い本読んだ?」という言葉はあんまり出てこない。様な気がする。だからどうというわけではないが。

 安能務『隋唐演義』(講談社文庫)の下巻を読む。隋唐演義ではあるが、物語はもう唐の時代の話。女性上位の時代を象徴する則天武皇、楊貴妃が登場する。国際的な大帝国唐の歴史である。中国の面白いところは、このような演義文学が親しまれ、ドラマとしての歴史が人々に高く評価されていることにある。長大な歴史への敬意を誰もが持っているということなのだろうか。多くの皇帝が実に人間くさい人物として登場する。そうすることによって彼等への畏敬の念が損なわれることはない。日本の天皇も、同じように人間くさく描かれてもっと登場してくると面白いと思うのだが。

 ジョン・ブロックマン『33人のサイバーエリート』(アスキー出版局)は作者が「デジラティ」と名付けた、デジタル時代の人物達の言葉、彼等へのそれぞれのコメントを集めた物である。非常に面白かったのだがこれについてはクレイジーコアのHP(http://www.pluto.dti.ne.jp/~kushida)上にて書くことにするので、ここでは非常に興味深い1冊とだけ書く。

 冷静に考えてみると、俺自身は人によく今読んでいる面白い本の話をする。そういう会話があまり行われないのではなく、俺の周りにそんな人がいないだけなのかも知れない。

第1週(3/6〜3/12)

 どうも最近書店に行かなくなった。以前ほどヒマでなくなったと言うだけの事なのだが、他方でなんだか書店に行くことに罪悪感を感じるようになってしまった。昔ほどいい本が常に見つからなくなってしまったのだ。本が悪いのではなく自分の変化だとわかっているだけに何となく申し訳ないのだ。

 所属する団体のHPでインタビュー記事を掲載し始めたのだが、そんな折り、対談に全く向いていなさそうな人の対談本が文庫になっていたので思わず手に取った。脚本家三谷幸喜の『気まずい二人』(角川文庫)である。人見知りが激しく、どのテレビに出てもあのたどたどしいしゃべり方の三谷が、何人かの女性と対談をするという企画だ。あまりの気まずさに対談のゲストの方が気を使うというなんとも奇妙なシチュエーションが楽しい。
 なにより良かったのが、後書きで三谷自身も書いているが、対談やインタビューにありがちな「(笑)」マークが一切使われていないこと。チャットや掲示板で見かける度になぜか無性に腹が立つこのマーク。悔しいことに自分もインタビュー記事に使ってしまうのだが、三谷はこれを使わないことで意図する臨場感を的確に表現している。自身が語るように脚本集であるかのように巧みだ。

 ローレンス・ブロック『おかしなことを聞くね』(ハヤカワ文庫)はミステリー風味がたっぷりの短編集。シリーズ物に登場する主人公達を織り交ぜながら巧みになストーリーテリングでアイディアを披瀝する。短編小説の面白さがつまった佳作。マーティン・エレイングラフものの2篇は独特の後味が良い。

 サスペンスドラマとしてのエンターテインメント性を常に高いテンションで保ち続けていて飽きさせない浦沢直樹『モンスター』(小学館)の13巻。Dr.テンマは逮捕され、ヨハンは表に姿を見せない。壮大な風呂敷を広げる物語もクライマックスを感じさせながらまだまだ勢いが止まらない。ドラマ映像的なシーンの連続が浦沢作品の特徴ではあるが、何よりも物語のテンポの良さがキープされていて良い。