読み週記 4月

 

第3週(4/17〜4/23)

 噂のHP「青空文庫」を見に行った。版権の切れた文学作品などが多数掲載されている非常に便利で中身の多いページなのだが、結局どの作品も読まなかった。
 理由は簡単。パソコンに向かってインターネットを見ている最中に急に読書を勧められても気分が乗らないのだ。大体に於いて俺はほとんどの時間慢性的に本が読みたいのだが、別のことをしている時にあえて本を読もうとは思わない。時間の用途が違うのだ。
 もう一つは昔から言っている理由で、画面に表示された文章は読みにくい、と言うことだ。それには当然このページも当てはまるわけだけど、とにかく画面一杯にある文章を、しかも文学作品を読むのは非常に骨が折れるし集中できない。本を読む、という行為はただ文字を追って内容を頭に入れればいいと言う物ではないし、当然読んでいる空間自体が娯楽なのだ。パソコンやテレビの画面で、あるいは小さな液晶の画面でそれをするのはどうにもむずかしい。
 これからの時代本や情報がディスプレイを通して与えられる物になってしまうとすると、やりづらい事になるだろうなぁ、と漠然と思う。今はそれで良い。とりあえずしばらくの間アナログな「本」という形態がデジタル情報に取って代わられ、絶滅することにはならないだろうと言える。だが何十年も先にもそうである、と自信を持っていいきれない怖さがある。たった30年で時代はえらく変わってしまう。30年後には俺はまだ60前。心境の変化がなければまだ長生きする気満々で、目前に控える読書三昧の日々に浮かれているはずである。そんなときに用意されるのがデジタルブックばかりだとしたら目も当てられない。
 そんなことはこの先100年くらいありえない、と力強く保証してくれる人もいる。紙と活字に確信を持てる人は幸せである。だが、小学生や中学生の子供達、更には自分と近い世代の若者達にすら、変化に兆しが見えてしまうのだ。古い世代の文化は残るが、メディアは駆逐される。そんな恐怖が常にある。

 久々に図書館なんて物を利用してみると、これが町の小さな図書館でも発見はある。隆慶一郎のまだ読んだことのない本『駆込寺蔭始末』(光文社)は86〜87年にかけて、『週刊宝石』()に連載された短編集である。年代的には『影武者徳川家康』(新潮文庫)が「静岡新聞」に連載されていた期間中にあたる。もともと隆慶一郎は好きだが、短編はあまり高く評価していなかったし、これも思ったほど面白くはなかった。豊臣秀頼の娘、天秀尼のエピソードなどや、身分を捨てて駆込寺の始末人となる主人公など、隆テイストは満載だが、やはりこの著者の魅力はスケールの大きな物語になって光るように思える。でも再会が単純に嬉しい。

 先週ちょっと書いた『羊たちの沈黙』(新潮文庫)の続編、話題のトマス・ハリス『ハンニバル』(新潮文庫)上巻を読む。ある人に「それ何」って聞かれて表紙を見せたところ全くわからなかったみたいなので、そんなに話題じゃないのかも。レクター博士も相変わらずであるものの、下巻の前フリ、伏線ばかりがあるようで、あまり面白くなかった。もっとも期待が大きい分を割り引いて。面白いは面白いんだし。
 今回、レクター博士の敵役となる、博士の最初の被害者メイスン・ヴァージャーの異常性が際立つ上巻。実は『羊たちの沈黙』を読んでないので、ジャック・クロフォードがクラリスにどう絡んできたのかがよくわからない。そんなことでいいのか、俺。

 『週刊少年ジャンプ』(集英社)の20号を読む。中学生ぐらいを中心としたジャンプの影響力は未だに絶大だ。単発のマンガが注目を集める他誌に比べ、彼等の共通の話題となるマンガの多さでは圧倒的。ためしに近所の中学校の壁はりの作品や黒板の落書きを見てみるといい。その影響力の大きさがわかる。

 先日、近所の書店の平台を見ていて不思議な気がした。いまテレビでドラマ化された天童荒太『永遠の仔』(幻冬舎)の下巻がどかんと置いてあるのに、上巻の姿がないのだ。別の面置きを見て納得というかびっくり。その店のベストセラー10冊の第2位にこの下巻が堂々入賞しているのだ。ところがベスト10のどこを見ても上巻の姿は無し。つまりは話題に乗せられて上巻は買ったものの、下巻にまで辿り着けずにいた多くの人がドラマ化を期に見事下巻に辿り着いたという事になる。標本数が少ないので、それで母集団の傾向を断言するわけには行かないが、多くの書店で似たような状況があるのではないか、と思う。
 ベストセラーの秘訣は上下巻に分けること、と皮肉っていたのは古館伊知郎だが、なんともはや。わかりやすいというかなんというか。

第2週(4/10〜4/16)

 職場の隣にある中型書店に行ってみた。町の本屋さんにしてはそこそこ専門書が数多く揃っていて、便利な書店といえるが、そこはそれ、流石に近所の本屋だけあって、文芸書や外国文学などが普通だった。もっともその町の他の書店事情を知っているわけではないので、何とも言えないが。
 目を引いたのが文庫の棚。今大々的に宣伝されている映画化されたトマス・ハリスの『羊たちの沈黙』(新潮文庫)の続編、『ハンニバル』(新潮文庫)の平積みのところだ。
 アンソニー・ホプキンスがあまりにもはまっていた連続殺人犯ハンニバル・レクター教授。彼にまつわる連作なのだが、前にも書いたけど実は有名な「羊達の沈黙」以前の「レッド・ドラゴン」という話があって、これもマイケル・マン監督/脚本で映画化されているけれども、日本ではこの『レッド・ドラゴン』だけハヤカワ文庫で出版されている。
 ハリスのデビュー作で、「レクター博士シリーズ」を除く唯一の著作『ブラック・サンデー』も新潮文庫に入っているため、『レッド・ドラゴン』だけが新潮文庫でない。書店によっては新潮文庫の棚の前に『ハンニバル』を置くため、『羊たちの沈黙』を隣に並べても、『レッド・ドラゴン』が置けなくなってしまうのだ。
 その書店は別の平台にこのシリーズを並べているため、レクター教授の3作に加えて、『ブラック・サンデー』も並べられて、全部を一度に置ける。
 ここまではまだどこでもある話だが、この書店が凄いのは、その隣に作品中何回も登場するウィリアム・ブレークの本が隣に並んでいる点だ。さりげなく置いてあるので、一連のシリーズを読んだことのない人にはさっぱりわからないメッセージなのだが、ただ新潮社が売ってるから、というだけの理由でなく、その本を知っている人が考えて平台を構成しているのだ、という意思が伝わってきて嬉しい。

 『週刊少年ジャンプ』(集英社)の17〜19号を読む。男のこの間で圧倒的な人気を誇る「遊☆戯☆王」のカードゲームは売れ行きも好調。もとは「マジック・ザ・ギャザリング」の変形版だったのに、すっかり本家を食ってしまった。年齢が上がると後者に行く、とかそのスジの流儀があるのかも。おかげでマンガの方はすっかりそのカードゲーム一本になってしまったので退屈だ。

 読んだか読んでないか自信がないので一応名前を出すチャールズ・ブコウスキー『尾が北向けば・・・埋もれた人生の物語』(新宿書房)は図書館で借りた。相変わらずどこの書店でも(大型店を除いて)図書館でも、ブコウスキーは小説ばかりだ。これだけブコウスキーの認知度が上がっているのなら、詩を置いても売れると思うんだけど。だめなのかな。0

 若竹七海『僕のミステリな日常』(創元推理文庫)は以前に本を薦めたある人から教えてもらった本。一続きの短編を、社内報での連載という枠組みで一つにまとめ、全体でもう一つのストーリーが進行するようなこった作りの小説で、短編一つ一つも品のあるまとまりのいい作品であるうえに、短編集に付け加えられた形の全体の構成における小道具やまとめ方も秀逸。本当に面白い小説を薦めてもらえて嬉しい限りなのであった。ありがとう、たまちゃん。

 鷲田清一『「聴く」ことの力−臨床哲学試論』(TBSブリタニカ)も人の薦めてもらった本。今週はいろんな人のおかげで大助かりだ。語り聞かせるものであった哲学を「聴くこと」で新しい物に作り替えてしまったような1冊。臨床の場に臨んだ哲学の姿を見つめているつもりが、臨床の場に臨む自分を見つめていることになっていた。友達との関わり、臨床の場にいるカウンセラー、そして単に人と人との関係の中で「聴く」という事がどんな意味を持っているのか、いろいろなエピソードを交えながらわかりやすく、身に染みいるように吸い込まれる本だ。

 人に本を薦めるというのは本当にむずかしい。自分にとって面白いからというだけで薦めても必ずしも相手に喜んでもらえるわけではないからだ。相手に喜んでもらわなくてもいい、たまたまヒットすればいい、という考え方もあるが、やっぱり自分が読んで面白かった本は人にも楽しんで欲しいし、それだから喜んでもらえそうな本を薦めたいと思うのだ。
 一方で人に薦めてもらった本が面白いと本当に嬉しい。単に自分とは違う視野から面白い本を読むことが出来た、という歓びに加えて、そこには本を間に挟んでの人との出会いがあるからだ。

第1週(4/3〜4/9)

 休暇は終わりぬ。なによりも本屋でのんびり出来ない。時間に余裕がないわけじゃないんだけど。

 北村薫『冬のオペラ』(中公文庫)はある不動産屋の上に開店した探偵事務所の探偵と、不動産屋で働く主人公の物語。いつもの北村印でスイスイ読み進むものの、どこか消化不良。それぞれキャラクターに違いはあるものの、主人公と「名探偵」巫弓彦との距離感が、「円紫師匠と私シリーズ」(創元推理文庫)とかぶってしまうのだ。
 3篇の中短編で構成されたミステリーだが、トリック自体もこれといって驚きを感じさせない。

 萩原一志『BASTARD!』(集英社)は12巻で「地獄の鎮魂歌編」が終了。先週買ったときにキリの良いところまで、と思いながら買い損ねたのだ。同じ様な感想だが、あまりにもベタなので驚く。「パターンこそ真理」というやつだろうか。結構楽しんで読んでいる自分がいる。

 マンガの良くないところは、読むのにかける時間に比してスペースを取るところだ。そんな比較に意味があるかどうかはともかく、重要な問題であるのは確かだ。