⑨掛軸 花山法皇庵
Remains of Emperor Kazan's palace English is below
この掛け軸の写真は二の滝のすぐ横。この写真の一番上のところが花山上皇(968~1008)<984年の即位後わずか2年で皇位を追われ出家した>が千日瀧篭行したという花山法皇御籠所跡(かざんほうおうおこもりじょあと)がある。そこに上がると、木々の中に垣間見える二の滝を見下ろせる。和歌山県指定史跡。
御籠所跡からは、江戸時代に古瀬戸(こせと)の四耳壺(しじこ)と山茶碗(やまじゃわん)(県指定)が出土した。法皇の愛用品であるとの見立てにより、寛文年間(1661年~1673年)に藩主徳川頼宣が石櫃(いしびつ)を寄進し、これらを納めた。
ここに行くのには、修験行者は本流に流れ込む滝を登って行くと聞いていた。そのようなルートから当然行ける訳もなく、今年の6月裏山回り込んで漸く行く事が出来た。それでも途中のナメ沢では、私の年齢のせいか滑りそうになりながらの怖い道中であった。その後出会った熊野行者に聞くと、滝を直情する事も無く、同じように滑りそうなナメ沢を怖い思いして歩いたと聞いて少しホッとした。
The site of the palace where Emperor Kazan (968-1008) is said to have taken refuge in the Sennichitaki waterfall