| <2007年7月20日付> |
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○先週日曜日7月15日は、初めての戒厳令解除記念日となった。今年は1987年の戒厳令解除から20年になる。国民党が38年にわたって敷いた戒厳令の解除を求めたのが今の民進党である。民進党にとっては記念すべき日であり、国民党批判の格好の材料だ。政府・党を挙げてさまざまなイベントを開催した。総統府での「戒厳令と台湾民主運動の写真展」、高雄での戒厳令時期に放送禁止された歌の音楽会、台北での戒厳令時期の禁書と公開禁止公文書の展覧会などがそれだ。一方、戒厳令を施行した張本人である国民党は防戦に回らざるを得ず、戒厳令を解除した当時の蒋経国総統の「徳政」を強調するしかない。総統選挙においても、民進党にとって有利な材料となる。いずれにせよ、戒厳令解除が記念日になるなど、戒厳令当時は考えられなかったことだ。あの言論統制の厳しかった、反国民党活動が厳しく抑圧された戒厳令時代を思うと、今の台湾はいかに正常な社会なのか分かる。 ○しかし、1987年7月15日の当日を覚えている人は、台湾にはほとんどいない。国民党は当然、記念活動を行うことはなく、民進党が一部で祝賀活動を行った程度だ。私が記憶している限りでは、一般市民はほとんど反応しなかった。というのも、まず一般の庶民は、政治とかかわることを非常に恐れていた。政治とかかわることは、牢屋に入れられることを覚悟しなければならないし、場合によっては命にもかかわる。家族にも迷惑がかかる。特に反国民党活動家の接触はタブーだった。また、特に中国共産党の話、台湾独立の話は危険視された。しかし政治に関わらなければ何の問題はない。当時、「3%戒厳令」と呼ばれ、市民生活にほとんど影響がないと考えられていた。それが庶民感覚だった。ところが戒厳令が解除されると、初めは恐る恐るだったが、そのうちだいじょうぶだと分かると、皆が勝手なことを言い始めた。どんな政治的主張でも罰せられることはない。そして今の台湾の人たちの政治好きが形成される。戒厳令当時、一般庶民の生活で政治的な話がされることはほとんどなかった。それが今や、政治の話となるとあの熱の入れ方は何だと思うくらいだ。つまり、戒厳令という台湾社会にかぶせられていた重石がいかに大きなものだったのかが分かる。重石が取れ去られた後の台湾は、おもちゃ箱をひっくり返したような騒がしさになった。民進党政権が成立して以来、その騒がしさにさらに拍車がかかっている。 ○これはつまり、「庶民感覚」というものがいかに当てにならないかを物語っている。これだけの重石がかけられていても、感じないのであるからどうしようもない。独裁者にとってはやりやすい限りだっただろう。しかしこんな庶民感覚もある。50歳になる私の元同僚も、戒厳令時代を経験したことがある。当時、「台湾」はタブーだった。大陸反攻を目指していた国民党は、台湾を反攻基地としか考えていなかった。このため中国大陸と関係のない台湾の人たちが、台湾のことを深く知り、台湾は中国大陸とは違うという認識を持ち、ひいては台湾独立を考えるようになることを恐れたのである。台湾の人間でありながら、台湾のことを知らない。特に高校生になった時、「本当のことを知りたいと思うようになりました」というのがこの元同僚の戒厳令に対する印象である。本当のことが知りたくても分からない。そんな閉塞感が戒厳令の一面だったのである。ともかく、台湾の戦後の歴史を振り返ると、どうしても国民党に不利になるのは仕方がない。民進党は改革者として、立場が明確だからだ。国民党、そして総統を目指す馬英九氏はこれをどう説明するのか。台湾の人たちを説得できる歴史論述を国民党が提出できるのか、今回の選挙では相当に重要である。(早) |
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