『台湾通信』編集後記

<2007年10月12日付>

○10月10日の双十国慶節。李登輝時代の1991年に続く、久しぶりの軍事パレードとなった。1991年といえば、中国での天安門事件の直後、台湾では李登輝総統が国民党内での権力基盤をようやく固めた時期だった。一方、民進党などの在野勢力は軍人の【カク、赤へんにおおざと】柏村氏の行政院長起用に反対したり、思想の自由を侵害する悪法といわれた刑法100条に反対したりしていた。当然、国民党政権が行う国慶節の閲兵にも反対した。その民進党が軍事パレードなのだから、時代は変わったものである。ただ、軍事パレードそのものについていうと、当時の規模は今回に比べてはるかに大きかったと記憶している。当時は閲兵台の近くで見ていたので、目の前を通る戦車の迫力に圧倒されたし、あの重油の排気ガスには閉口したものである。今回はなかった軍人のパレードもあって、閲兵式らしいものだった。今回は前後に学生の演技があった。民進党政権ならではの台湾色の強い演技で、それなりに良くできていた。ただし、そのために軍事色はかなり薄らいだ感じがする。

○何せ陳水扁総統は昨年、退任要求運動の混乱の中で、「国慶節はやらない(ことを検討する)」と叫んだのである。それが今年もやるというのだから多くの人が驚いたし、しかも軍事パレードというのだから、なおさら驚いた。今年の国慶節では、陳水扁政権は「中華民国」色を極力、薄めようとしたようだ。毎年、総統府の塔に掲げられていた「慶祝中華民国国慶」の標語も、今年は台湾の国連加盟を訴えるもので、中華民国の文字は見られなかった。いったいどこの国の国慶節か分からないという批判は当然である。中華民国を廃して「台湾」としたい民進党政権にとって、中国での辛亥革命勃発を記念する中華民国の国慶節を祝いたくないのはやまやまだろう。しかし民進党政権はそれを廃止することができず、また逆にそれを利用しようとしてきたのである。この時代、矛盾だらけの国慶節であるのは間違いない。毎年、この政治の季節には、この国慶節がいつまでこうした状況の下で続けられるのか、つまり台湾と中華民国がいつまでせめぎあいを続けるのか、こんなことを思わざるを得ない。

○「以前の国慶節には日本から来た国会議員は2、3泊もしていたものだが、最近は1泊ですぐ帰ってしまう。少しさびしいですね」。こう語るのは、台北市内のあるしにせホテルの幹部である。国民党時代、親台湾派の日本の国会議員にとって国慶節への参加は大きな行事だった。しかし、その意義も薄らいできたのだろう。そそくさと帰って行くのだという。この時期には国慶節がらみの宴会も多かったが、今ではそれほど開かれないという。国慶節は変わりつつある。

○さて、総統府前で開催される国慶節の大会。会場周辺は交通管制が敷かれ、入場証を持っていないと入れない。座る位置も決まっている。このルールは、台湾の人であれば誰でも知っていることだ。ところがこの日、中国からの観光客がやって来て、警備の警官と「入れろ」「入れない」でもめていた。中国の観光客は「われわれ上海人は入れないのか」などと騒ぎ、無理に入ろうとするので警察に連れて行かれそうになった。すると彼らはこんなことを言い出したのである。「台湾には民主がないのか」。そのやり取りを横で聞いていた台湾人が、「あんたらに民主を言われる筋合いはない」と、中国人観光客をバカにすることしきり。中国でも「民主」という言葉は知られているらしい。

○先週、台風15号が通過してから、台北は急に涼しくなった。長袖の人や、薄手の上着を着ている人が増えた。ただし、空がどんよりしているので湿度は高い。(早)



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