| <2008年09月12日付> |
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○珍しく台湾映画が話題になっている。今日(12日)の『聯合報』はこの話題を1面トップで取り上げ、『中国時報』も監督のインタビューを載せている。ここのところ、この話題は盛んにニュースで報道されているし、新聞の投書欄にも取り上げられているほどだ。なぜ今になって台湾映画が話題になるかというと、「海角七号(CAPE NO.7)」(魏特聖監督)が台湾映画として異例のヒットとなっているからだ。3週間で5400万元の売上がどのようなものかというと、昨年、ベネチア映画祭でグランプリを獲得して話題となった李安(アン・リー)監督の『色、戒(ラスト、コージョン)』が1億3600万元で、昨年のハリウッドや香港映画を含めた台湾での映画興業成績で4位だった。 ○李安監督といえば、台湾の監督というより世界的にも知られる映画監督である。しかも『色、戒』は香港の梁朝偉(トニーレオン)というスターが登場している。それに比べて「海角七号」は、従来の台湾映画ならではのお金をかけない作り方である。それが3週間で李安の半分に達しており、メディアでの取り上げられ方から見てこれからも伸びそうである。ここのところ、劇場公開されてもほとんど観客が入らず、数日で降ろされるという台湾映画の惨状を見てきたので、今回のヒットが尋常ならざるものであることがよく分かる。 ○ということで、これはどうしても見ておかなくてはと、久々に映画館に足を運んだ。映画のあらすじは次のようなものだ。舞台は台湾南部の屏東県恒春の街。主役の青年は、台北でバンドのリードボーカルだったが、うまくいかずに失意のまま故郷の恒春に戻る。町の議員を務める継父の紹介で郵便配達を始めるが、失意の彼は郵便物を自分の部屋にため込んで配達をさぼる。そこにあて先不明のため日本に返送するようにいわれていた小包があった。そこには、60年前に敗戦で日本に帰っていく男性教師が、台湾の恋人にあてた手紙が入っていた。もう1人の主役は台湾に留学して中国語ができる日本人女性で、芸能プロダクションでマネージャーの仕事をしている。この街で日本から大物歌手を呼んでコンサートが開かれることになったが、その前座に地元のバンドを登場させようという企画が持ち上がる。そこでバンドのメンバーとして素人がかき集められ、青年がリードボーカルを務めることになった。その監視役が日本人女性で、寄せ集めのバンドに不満でやたらに青年たちと衝突する。 ○そうこうするうち青年と日本人女性の間に恋心が芽生える。この日本女性は青年の部屋で60年前の手紙を見つけ、必ず受取人へ届けるよう青年に伝える。「海角七号」というタイトルはこの日本人教師から台湾女性にあてて出された手紙の住所「恒春郡海角七号番地」から取られたもの。ふとしたきっかけで住所が分かり、手紙は届けられる。青年は日本人女性に、日本へ帰らずにここにとどまるよう告げる。コンサートは大成功を収める。 ○この映画を見て感じたのは、とにかく分かりやすいことだ。筋としてはありきたりともいえるが、青年と日本人女性の出会い。そこに60年以上前に日本の敗戦で台湾を離れた日本人男性教師と台湾の恋人の物語が交錯する。それに毎年ロックコンサートが開催される墾丁のビーチの雰囲気も明るい。それに加えて、随所にユーモアを交えて笑わせる。周りの観客を見ていると、大いに笑い、最後は感動で涙する。見終わって失望することのない映画である。これまでの独りよがりの芸術性を求めた台湾映画にありがちな分かりにくさ、難しさがないのである。 ○お金を使ったハリウッド映画と違って、台湾の映画はお金がないので「小品」になる。キャストも無名の人が多く、地元の人をエキストラとしてたくさん登場させる。しかも、台湾の風景を背景とした画面は大変にきれいである。そして台湾の田舎の人情味。これは台湾映画ならではの手法である。つまり、台湾映画が従来から持っている良さを存分に保ちながら、しかも通俗的な分かりやすい内容になっている。台湾のメディアがこれほどほめるだけの作品である。楽しむだけでなく、長く後味の残る映画だ。 ○個人的なことを言わせてもらうと、私はハリウッドや香港の映画は全く見ない。しかし侯孝賢監督の『悲情城市』で頂点を迎える80年代から90年代前半にかけての台湾ニューシネマ(新電影)の時代の映画が大変に好きで、以前は随分と見たものである。そのため、台湾映画の近年の惨状は見るに忍びないものがあった。見ようと思ってもすぐに降ろされてしまうから、映画館に行く機会も少なくなっていた。もし台湾映画が復活するとすれば、大変にうれしいことだ。しかも「海角七号」を見る限り、従来の台湾映画の良さは失われていない。ハリウッド映画ように娯楽に徹したものではなく、芸術性へのこだわりはきちんとある。この映画の魏特聖監督は、侯孝賢監督と並ぶ台湾ニューシネマの旗手である楊徳昌監督の助監督だったというから、伝統はきちんと受け継がれているのだろう。この映画、アカデミー賞の外国語映画部門にも台湾代表として出品されることになったそうだ。 ○しかし台湾のメディアが持ち上げるように、台湾ニューシネマの再来かどうかはこれからだろう。確かにすばらしい映画だとは思うが、各所であらが目に付く。特に日本語が出てくるところの処理が気になる。台湾の人が見る分には日本語が分からない人が多いので問題はないだろうが、日本人が見た場合はかなり違和感があるはずだ。台湾は全体として現在、経済、政治のいずれにおいても自信をなくしている。かつての経済成長期の活気はなく、中国の成長に比しての敗北感、先行きへの不安が充満している。政治面で誇るべき民主化も、陳水扁・前総統のマネーロンダリング疑惑や景気後退による馬英九政権への不満など、完全に自信をなくしている。こうした閉塞状況の中で、元気のよい映画が登場したことを喜ぶ気持ちは分かる。しかもそれが台湾という土地に根ざしたものだとすれば、なおさらうれしいことだろう。しかし一方的にほめるだけでなく、映画なのだから映画そのものとして正しく評価していくことが大切ではないかと、最近のフィーバーぶりを見ていて感じた。映画を見ていない人まで、この映画を論じているような気がして仕方がない。 ○ただ、この映画は世界の他の場所には求められない「台湾の味」を出している。経済をはじめとする中国との競争と共存のなかで、台湾は台湾らしさを出さなければ、中国に飲み込まれてしまうのは間違いない。それをどこに求めるのか、模索が続いていてまだ答えは見付かっていない。しかし、北京オリンピックの開会式のような「中国的」なものを見たばかりでこの台湾映画を見ると、台湾はこの方向でやっていけば決して捨てたものではないだろうと思う。こってりした料理を食べた後の口直しのようで、さっぱりとしたすがすがしさを感じるはずだ。文化というのは社会の最先端にある。あるいはこの作品に代表される台湾映画の新しい動きが、台湾の次の動きを示唆しているのではなかろうか。まずは見ていただきたい映画だ。(早) |
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