| <2008年10月17日付> |
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○台湾プラスチック・グループ創設者の王永慶氏が亡くなった。街では号外が配られていた。この人物の台湾での影響力の大きさが分かる。91歳の高齢だったが、それにしても前日まで部下たちと酒を飲んでいたというから、大往生である。 ○先週、10月10日の国慶節。台湾で久々の連休だった。台湾では週休二日制の導入以来、急に休みを増やすと経営者の方から文句が出るというので、代わりに祝日が大幅に減らされた。祝日ではあっても休まないようになった。その中で残った数少ない休日の1つがこの国慶節だ。連休とあって交通は随分混雑したようだ。休みの期間中、近くの公園に行くといつもの休日より人が少ない。おそらく遠出をした人が多かったのだろう。 ○台湾で2回目の政権交代を経て馬英九総統が誕生し、国民党が政権に復帰して初めての国慶節だった。陳水扁政権の時代はこの国慶節、いろいろと話題を呼んだ。陳水扁退任運動の嵐が吹き荒れた2006年には、運動のシンボルカラーである赤いシャツを着た立法委員たちが会場を混乱させ、当時の陳水扁総統は、もう国慶節の祝賀大会はやらないとまで高言した。ところが翌年、任期最後の2007年の国慶節は、一転して軍事パレードで締めくくった。 ○今年は以前の国民党政権に戻り、以前のような国慶節となった。陳水扁意見が排除した「中華民国」の文字も戻ってきた。特に話題はなく、問題もなく、「普通」といった感じで終始した。この日の大会のテレビ中継を、馬英九総統の演説が終わるまで聞いた。国慶節での総統演説は、1年に1回、総統が注目を集める場であり、内容が注目される。今回の馬英九総統の演説は、これまでの施政の総まとめのようなもので、特に新味はなくやや残念な感じがした。お祝いの場なのでそれで良いのかも知れないが、せっかくの機会だったのでもう少し何か言ってほしいという気はした。 ○その中で今回の演説の特徴は、馬英九総統がかなり長い時間を割いて台湾語でしゃべった点だ。この台湾語の部分は、なんといっても台湾で最も関心が持たれている経済問題の部分であり、「自分は皆さんの苦しみを自分のものとして感じている」といった内容だった。台湾人の友人に聞いてみると、この馬英九総統の台湾語は、以前と違ってほとんど「なまり」がなかったということだ。馬英九総統は外省人であり、台湾で日常的に使われる台湾語は政治家になってから勉強したもので、これまでは下手だといわれることが多かった。それが、外省人とは分からないほどかなり進歩したようなのだ。 ○台湾の政治で台湾語を使うことは、重要な意味を持っている。民進党の政治家の演説が台湾語で行われることが多いように、台湾の本省人の支持者の心をつかむには台湾語でなければならない。この点、国語(北京語)でしか演説ができない外省人政治家には大きなハンディーキャップとなっている。馬英九総統も以前からそれを克服しようと、積極的に台湾語を使ってきたが、そのなまりのために評判はもうひとつだった。今回の演説で台湾語に進歩を見せた馬英九総統、本当の台湾の政治家に大きく一歩近付いたのだろうか。台湾語で話すことで、生活の問題を真剣に考えていることを伝えようという意図はよく分かるが、それが本当に聞く人に伝わったのか。この台湾人の友人からは、はっきりとした答えが返ってこなかった。ただ、馬英九総統の演説を外国人のアナウンサーがラジオで同時通訳していたのだが、台湾語の部分は全くお手上げだったそうだ。 ○さてこの双十国慶節の大会。総統は総統府の前に出てきて特設スタンドの真ん中に設けられた演壇で演説を行うのだが、気になったのは馬英九総統の顔の影である。スタンドの上には屋根が作られていたのだが、演壇の辺りがちょうどこの時間、影の境目となった。この日は特に日差しが強かったこともあって、馬英九総統の顔は演説の間、前に出るとまぶしいほどに明るくなり、後ろに下がると影の中に入って突然に暗くなる。スタンドを設計した人は、そこまで計算をしていなかったのだろう。馬英九総統には気の毒に感じた。せっかくなのだから、影のことにも細やかな気配りが必要だったのでは。 ○ここのところ、かなり暑さが戻っている。おまけに雨がちなので湿度が高い。それなのに、電車の中で毛のもじゃもじゃしたセーターを着ている女性を見かけた。天気の変化が大きいので着る物を選ぶのが難しいこのごろだが、見ているだけで暑くなってしまった。(早) |
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